第5話 聖女となる娘【後編】



 そんなぼんやりとする頭で、聖殿にたどり着いた。

 間違いなく、「今度一人で来てください」と言われても道順は覚えていないと言える。

 ただとても広いホールがあり、その先に祭壇がある程度。

 石像のようなものもなく、実にシンプル。

 その祭壇の上は太陽の光が入る作りなのか、眩い光が降り注いでいる。

 柱が定間隔にあり、壁はない。

 あるのは石畳の床と、石造りの天井。

 そして光の注ぐ祭壇。


「……あなたは誰?」


 入ると、真美が少し表情を取り戻した。

 手を伸ばして祭壇の方へ問い掛ける。

 それにリュカとハーレンが驚いた顔をしていた。

 歩美も祭壇を見上げるが、なにもない。

 とても空気が澄んでいる場所だとは思う。

 だが、それ以上でも以下でもない。


「ま、真美? 誰かいるの?」

「え? お母さんには見えないの? あそこに綺麗な人がいる」


 指差す先は祭壇だ。

 歩美にはなにも見えない。


「ふーん……あのね、エウレイラっていうんだって」

「聖霊王が!?」

「せ、聖霊王?」


 ハーレンが声を上げ、慌てて己の口を抑える。

 大層な名前だ。

 王、というだけあり、きっと一番偉い聖霊なのだろう。


「そんな、まさか……召喚もなしに聖霊王が自ら会いに来たというのか? ……これが聖女……!」


 リュカが目を見開く。

 歩美にはなにも見えない。

 真美はそんな大人たちを一瞥すると、一歩一歩祭壇へと近づく。


「真美!」

「……わたしは、真美だよ。有坂真美」


 人の声が聞こえて、聖殿に仕えるらしい白ロープの者が祭壇奥から現れた。

 そして、なにが見えたのか腰を抜かす。

 真美は祭壇の前まで来ると手を伸ばした。


「……うん、いいよ。……やりたくないけど……殺されるっていうから……」

「!」

「…………新しい聖女を召喚するのに前の聖女がいると出来ないんだって。……………………うん、だからわたしがお母さんを守るの……、…………そうなの? …………うん、分かった……」


 なにかと会話している。

 そして、なにやら話はまとまっていったように思う。


「契約する。約束して……わたしとお母さんを守って、エウレイラ」


 ブワッと正殿の中を、真美を中心に風が巻き起こった。

 小さな光の粒がその風に乗って正殿の中を渦巻く。


「聖女様が聖霊王と契約された!」

「聖女様が聖霊王と契約されたぞ! 陛下に報告だ!」


 聖殿の者たちが興奮したようにはしゃぎ、バタバタ動き出す。

 歩美は——腰が抜けていた。

 座り込み、光の中に佇む我が子を凝視する。


 あれは、本当に私の娘なのか、と。


「アユミ様、大丈夫ですか?」

「…………は、はい……頭が、ついてこないだけで……」

「…………」


 リュカが歩美を支え起こす。

 真美は光が治ると歩美の元へと戻ってくる。


「お母さん、エウレイラと契約したよ。もう大丈夫だよ」

「エ、エウレイラ?」

「うん、聖霊の一番偉い人だって。わたしとお母さんを守ってくれるって」

「…………真美……」


 じわ、と涙が滲む。

 この子は——やっぱり自分の子どもだ。

 ほんの数分前の自分を憎々しく思う。

 幼いこの子は、幼いなりに歩美の事を……母を守ろうとしてくれたのだ。

 そんな我が子を『気持ちが悪い』と嫌悪した自分の方こそ気持ちが悪い。

 再び膝をついて、真美を抱き締める。


「ごめんね、ごめんね……! お母さん役立たずで……!」

「……そんな事ないよ……大丈夫だよ」

「守ってあげられなくてごめんねぇ!」


 この子ではなく、自分が聖女ならどんなに楽だっただろう。

 なぜ、どうして。

 ごめんなさい。

 そんな言葉が頭をぐるぐる駆け巡る。

 なんて情けのない母なのか。

 なんて無力な母なのか。


(考えろ。考えなきゃ……、考えて……せめて、私に出来る事を——!)


 考えなければいけないと分かってはいるが、混乱した頭では大した事は考えられない。

 泣きじゃくる歩美をリュカが宥めて立たせ、名前の登録を手早く済ませたハーレンが二人を昨夜泊まった部屋へと連れて行く。

 歩美が泣き終わる頃には昼食の時間になっており、運ばれてきた料理を無理やり口の中に詰め込んだ。


「…………今後の事を、色々……話し合いたいのですがっ」

「「は、はい」」


 散々泣いたので、朝メイドたちが施してくれた化粧は落ち、えらい顔になっている事だろう。

 それでも歩美は入り口に立つ二人の騎士を睨むように見ながら言い放つ。

 今後の事を、話し合う。

 真美が『聖女』をやると言うのなら、母親の自分はなにが出来るのだろうか。


「せ、聖殿長を呼んで参ります!」

「あ、ああ、それと宰相も!」

「は、はい!」


 歩美の顔がよほど怖かったのか、ハーレンが焦って部屋から出て行く。

 その間に、残りの食事を平らげる。

 真美も口数は少ないものの、食事は半分ほど食べた。

 美味くも不味くもない料理だが、食事は体を作る上での資本だ。


「真美はしっかり食べないとダメよ。大人になる為の栄養ってたくさん摂らなきゃいけないんだからね」

「う、うん」


 娘も母の剣幕にやや怯え気味。

 二十分後、ハーレンが二人の男を連れて戻ってきた。

 それは昨日の紫の髪の青年と、初めて見る翡翠の髪の紳士。


「どうも」

「「は、はい……」」


 鋭い目付きで睨まれて、二人は怯えた声で返事をする。

 ごく、ごく、と食後のお茶を飲み干して、そのカップを勢い良く、しかし壊さないようにテーブルに置いた。

 ビクッと肩を跳ねる四人と、メイドたち。


「今後について話をしたいのですが」

「「は、はい」」


 同じように頷く二人に苛々が募る。

 とはいえ、具体的にこの子を守る為になにをしたらいいのか。

 どうすれば良いのか。

 なによりも優先すべきは真美の身の安全だ。

 それを確保するには、どうしたら良いのか。


「まず真美を守る為に、そちらはどんな事をしてくださるのですか」

「え、ええと」


 初老に見える紳士がリュカを『助けて』と言わんばかりに見る。

 しかし歩美はそんな事知ったこっちゃない。

 こうなったら真美に全面的に有利な条件しか認めず、こちらに不利と思ったら突っぱねる。


「……ご、護衛や戦争に関しては俺から……よろしいですか?」

「はい」

「まず、先ほどアユミ様が拒否された交代制、二人体制。部屋の前でも無理でしょうか?」

「自分たちの時間は確保してほしいです。それに、聖女って具体的にどんな事をするんですか? 私も付いて行って良いんでしょうか?」

「ええと……」


 今度はリュカが紫色の髪の青年を見た。

 見られた方はいかにも「げっ」という顔をする。

 しかし、わざとらしく咳き込み、歩美に向き直って口を開く。


「主に聖女様には聖霊との眷属契約を行なって頂きたい。護衛に関しては聖霊王と契約された分、人間の護衛は正直に不要だと思われます」

「どういう事ですか?」

「聖霊王は名の通り聖霊たちの王なのです。かのお方と契約した聖女は、歴代でもほんの数名と言われています……! そんな聖霊王と契約したマミ様は、大変清い御心をお持ちの方なのでしょう」

「そんなの当たり前じゃないですか。うちの子まだ十歳なんですよ」

「…………すみません……」


 大切に育ててきたのだ。

 大人のように心が汚れているはずもない。

 失礼な事を言うな、と睨み付けると顔を背けられた。


「え、ええと、話を戻しますと……マミ様には、聖霊王以外の聖霊と契約して頂きたいのです。マミ様と契約した聖霊に、例えばジェーロン騎士団長と『眷属契約』して頂くと、ジェーロン騎士団長も聖女様のお力で聖霊の力を100パーセント引き出した状態で聖霊術が使えるようになります!」

「えっと……つまり、マミと同じように聖霊術? という力を騎士団長さんも使えるようになる、という事ですか?」

「はい、そうです」


 リュカが頷く。

 それなら……。


「真美は戦争に行かなくても良いという事、ですか?」

「はい、そうですよ」


 そう見上げて聞けば、リュカが優しい笑顔で頷いた。

 その言葉に……胸を撫で下ろす。

 安堵の溜息。


「な、なんだ……」


 真美は危険なところに行かなくて良い。

 そして、真美の事は聖霊王が守ってくれる。

 隣に座っていた真美を思わず抱き締め、頭を撫でた。


「良かった、良かったね、真美!」

「…………」

「……真美?」

「…………うん……」

「…………」

「もしかしたら、聖霊王様と契約されてお疲れなのかもしれません。アユミ様、別室で続きのお話を致しませんか?」

「あ、はい……そう、ですね。……真美、お母さん近くの部屋にいるね? ゆっくり休んで?」

「……うん」


 メイドに真美を預けて、隣の部屋へと移動した。

 こちらも隣室に負けず劣らずの部屋。

 扉一枚隔てて隣の部屋に行く事が出来る。

 その部屋で、色々と話を進めた。

 衣食住の保障。

 真美の身の安全の確保。

 戦争に関しての事は、歩美には難しくて、これから勉強が必要なようではあるけれど……。


「真美にはたくさんの聖霊と眷属契約してもらえば良い、という事ですね」

「騎士団としては、それがありがたい。聖女様と契約した聖霊と眷属契約出来る人数が増えますので」

「それから、聖女様には是非、この世界についても勉強して頂きたい。ああ、もちろんアユミ様にも。魔女を倒すまでには慎重に準備を整えねばならないでしょう。最低でも二年……。それまでの間、この世界について知っていって欲しいのです」

「この世界について……。……はい、分かりました」


 リュカがずっと機嫌良さげに微笑んでいるので、心が軽くなったのもあり素直に頷く。

 それに実際、もう元の世界に帰れないのならこの世界で生きていくしかない。

 生きていくには、この世界の常識を学ばなければならないだろう。

 リュカの言う事は最もだ。


(他に、私に出来る事はあるだろうか?)


 それを考えた時、生きていく上で必要となるのは仕事だろう。

 それはこの世界でも同じはずだ。

 そして、仕事に必要なものといえばその職に関する知識。

 自分に出来る仕事の知識といえば……クレーム対応ぐらいなもの。

 しかも電話越しに、だ。


(あ、文字!)


 その時にクレームの内容をメモしたりする。

 他にも、仕事をするなら文字の読み書きは必須だろう。

 言葉は不思議と通じるが、読み書きはどうだろうか?


「あの、読み書きを覚えたいんですが……」

「文字の読み書きですか? なるほど、分かりました。教育係をつけましょう」

「お願いします」

「という事は聖女様にも必要でしょうか?」

「そうだな。手配しておいてくれ、リツシィ。リュカ、君は彼女と聖女様の護衛役を……」

「すでに手配済みです。しばらくは私とハーレンで彼女とマミ様をお守りします」

「!」


 見上げるとリュカはその視線に気付いて、微笑んだ。

 確かに、リュカは一番最初に出会った人。

 歩美を『聖女の母』と知らなくとも優しく接してくれた。

 彼ならば信用が置ける。

 側にいてくれるのは心強いと思った。


「よろしくお願いします」

「はい、お任せください」


 こうして、帰れなくなった母娘は異世界で『聖女」、『聖女の母』として生活する事になる。

 前途多難な異世界生活。

 不安はあるが、やるしかない。


(真美には私しかいないんだから!)







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