第七十六話


 修練祭にかまけて約四日。

 ゼクトはどこにもぬかりはないとほくそ笑み、これから盛り上がるであろう修練祭に目を向けていた。


 しかし本人は気付かない。

 自分の周囲にもっと優しく扱わないといけない相手がいることを。



 「……………流石に私もここまで放置されると寂しいですよ!?」


 「寂しいのは分かるけど、うちの店で愚痴るのはやめて貰えないか?」


 修練祭の準備で解説や審判、さらには担当しているチームの訓練などのためゼクトは夜以外はリリアの側にいないことが増えていた。

 使い魔は主からの召喚があれば離れていても呼び出す事が出来るという事が分かってからは特に顕著になっていた。

 だからといって使い魔が主を放置するのはそれはそれで問題である。


 忙しいのは分かっているが、相手にされないのは悲しいものがあるのだ。

 それがただの使い魔ではなく想い人であればなおさらである。

 そんな乙女な傷心を味わい、リリアは昼間から銀のサルヴァトーレでヤクトを相手にくだを巻いていた。


 「ヤクトさんはエレインさんとはどうなんですか?」


 「俺達か? 惚気になるが聞きたいのか?」


 「あっ、やっぱりいいです。 ……はぁ……いいなぁ、私も惚気たいなぁ……」


 大きな溜め息をついてテーブルに突っ伏すリリア。

 ただでさえ客の多い昼間に非常に迷惑な客であるが英雄が来ているという事で寧ろ集客効果が出ているのがなんとも言えないところである。


 「……はぁ。 俺は旦那やその周囲とも交流があるから言わせてもらうが……たぶん旦那が一番大事にしてるのリリアさんだぞ? あんな男に大事にされてるってだけで優越感に浸ってもいいくらいだってのに」


 「……ヤクトさんにはそんな風に見えるんですか?」


 「旦那は飄々としてるが基本的に他人とは心理的な壁を作ってる。 絶対に踏み込まないし踏み込ませないって感じだ。 そんな壁の中にいるのがリリアさんにアカネさんやミソラさんだ。 アカネさんやミソラさんは家族みたいに接している気もするがあんたは違う」


 「それは……そう……ですかね? あ、いや大切にされてるのは分かるんですけど。 私も家族みたいな感じなのかなぁとか思っちゃって……」


 「どうしても気になるならちゃんと言えばいいさ。 側にいて欲しい、離れないで欲しいってな」


 「それは……そうなんですけど……」


 ヤクトの言葉はもっともであり、それはリリアも考えたことだ。

 実際リリアが寂しいと一言ゼクトに伝えれば、きっとゼクトはいま手をつけている事を全て捨ててリリアの側にいるだろう。

 

 「…………ゼクトさんが楽しそうなんです……。 私は……ゼクトさんにどれだけの事をしてあげられるか分からないから、楽しんでいるのならその邪魔はしたくないなぁ……って。 我儘なのは分かっているんですけど」


 「別に旦那はそんな事気にしないと思うけどな。 そのくらいの我儘は我儘にもならないと思うぞ」


 ヤクトはリリアがなぜそこまでゼクトに気を使っているのかいまいち分からないでいた。

 ゼクトは自由な性分でもある為、気を使ってしまうのは分かるが、使い魔でありリリアは主なのだから主導権があるのはリリアだ。

 

 「ゼクトさんを喚び出してしまって……きっと色んな物を捨てさせてしまったと思うんですよ。 そんなゼクトさんがこの世界で少しでも楽しめるものがあるなら、邪魔はしたくないんです」


 「……負い目か。 難儀な性格……いや、普通の使い魔だったらそんな事も考えないけど、出てきたのがヒトだったら色々考えてしまうよな。 …………そういや旦那は何をしてたヒトなんだ? あのバケモノ染みた強さはおかしいだろ。 どんな世界で生きてきたのか……」


 「……そこは内緒です」


 「そんな事も知ってるって事はやっぱりあんたが旦那に一番近い存在って事だな。 きちんと話をしてみな。 お互いの気持ちなんて黙っていたら伝わらない。 あんたが思っていることをきちんと話し合えばきっといい解決策もあるさ」


 「…………ヤクトさんって意外と面倒見が良いんですね。 でもスッキリしました! ちゃんとゼクトさんと話してみます!」


 「意外とは余計だ。 これでも組織の頭してたんだぞ?」


 「ふふふふ。 そうでしたね。 じゃあお仕事頑張ってくださいね!」


 リリアは最初に来たときよりもスッキリとした表情で店を後にする。

 いい表情で出ていったリリアを見送ったヤクトはやれやれと溜め息をつき、一つ気づく。


 「…………飲み物の代金払い忘れていきやがった……。 今度旦那に請求しとくか」


 残されたグラスと伝票を見てヤクトはそう愚痴を溢す。

 完全に食い逃げである。







 


 


 ベルトラントの中心都市であるワードルテ。

 魔法科学の発展したこの都市は生活の至るところにその恩恵がもたらされており、高い生活水準を保ちながら民が暮らしている。


 そんなワードルテのとある場所で深夜に密談を行っている者達がいた。

 一人は四十代半ば程度の男性で、非常に鍛えられた肉体の持ち主である。

 丁寧に整えられた顎髭がトレードマークで、本人もそれを気に入っており、なにかある度に髭を触る癖がある。


 もう一人は二十代の男性でやや気弱そうだが、彼もまた練磨された兵士の一人である。

 

 「隊長……本気でやるんですよねこの作戦」


 「上の言うことだからな……俺達は言われたことをやるだけだ」


 「どれか一つ失敗したら大変なことになりますよ……」


 「まぁな。 その為にこの作戦に国の予算をかなり注ぎ込んでるんだ。 これだけの金をかけて失敗はどちらにしろ国が傾くのは間違いない。 あの六頭連の連中にも高い金を払ってるからな」


 「六頭連に国の隊長格全員……銀の君まで動くらしいですし、下手したら戦争そのものですね……」


 「実際戦争みたいなものだからな。 あの方の命令でもあるし、仕方無い。 ……下手をしなくても作戦後はリクシアとは全面戦争になってもおかしくはないな」


 「嫌になりますね……。 上の考えは分かりませんけど、こうやって平和を自らぶち壊しに行くなんて」


 「言うな……こればっかりはどうしようもない」



 気弱そうな青年の言葉に壮年の男性は止めつつも自分もまた同じような感情を抱いていた。

 今回の作戦は間違いなくリクシアを敵に回す。

 それだけではなく、場合によっては他の国々もだ。

 リクシアの英雄がフォームランドを実質亡ぼしたという話を聞いた後で、尚リクシアを敵に回そうと考える上層部の頭の中身を見てみたいと本気で考える壮年の男性だったが、すぐに無駄だと悟り大きな溜め息と共に考えを捨てる。



 「最悪、あの方がきっと責任……というより問題解決に動くだろうさ。 あの方がいる限り、どれだけ強い相手だろうと必ず叩き潰すだろからな」


 「あまり詳しくは知らないのですがあの方は……その……本当にお強いのですか? 見た感じはそうでも無さそうですけど」


 青年はあの方と呼ぶ相手の事を思いだし、その容姿の頼りなさに、それほどの畏敬を覚える事ができないでいた。


 「あれは正しくバケモンだ。 まぁ俺達が失敗してもあの方が最終的には全てどうにかするだろうから、気負いすぎなくても大丈夫だ」


 「はぁ……。 出来れば問題なく終わって欲しいですね」


 「本当にな。 まぁ何とか作戦を無事に終わらせよう」



 二人の男性は持っていた酒の入ったグラスを軽く合わせ、軽やかな音を響かせる。

 先行きの不安を掻き消すような涼やかな音に、心を軽くさせられた二人は引き続き作戦を練っていくのだった。








 

 

 おかしい……。

 しっかりとチームの連中を鍛えた後に戻ってきた俺を出迎えたのは頬を赤らめて、若干恥ずかしそうにしているようにも見えるリリアさんである。


 何がおかしいって部屋のテーブルの上に二本程空のボトルがあることである。


 いつも薄めて三杯程度で酔い始めるリリアが二本も開けることは流石に無理そうな気もする。


 そんな状況で帰ってきた俺としては一体どうリアクションすればいいのか分からない。

 酔っぱらいを注意した方がいいのだろうか。


 それとも真っ赤な顔でもじもじしてるのが可愛いと褒めるべきだろうか。

 

 悩むところだが、これだけは言える。


 酒臭いである。


 「一応聞くけど……どうした?」


 「ゼクトしゃん!」


 「あ、はい!」


 「座ってください!」


 テーブルの反対側をバンバンと叩いて座るように促すのでとりあえず対面の椅子に腰を下ろす。

 出来上がったリリアさんには中々に迫力があるな。


 「ゼクトしゃん! 素直に言わせて頂きます!」


 お、おう。一体何事だろうか。

 

 「最近私を放っておきすぎです! ……そのゼクトさんが楽しいのは分かるんですけど……寂しいんです。 私はゼクトさんに返せるものが少ないから、楽しんでるゼクトさんの邪魔はしたくないんですけど……それでも……」


 どんどん言葉が尻すぼみに小さくなっていってしまったが……。

 なるほど、確かにご主人様を放置しすぎていたかもしれない。

 最近は育てる楽しさもあって色々やっていたけど、リリアの事を蔑ろにしていい訳ではないな。

 しまった、これは本当に反省だ。


 寂しそうにしているリリアの隣に椅子を移動して、俯いているリリアの頭を寄せてそっと抱き締める。

 特に抵抗もせず、任せるままになっているリリア。


 「本当にすまない。 そうだよな、少し調子にのり過ぎていたかもしれない」


 「いえ……その、私もちょっと言い過ぎたかもしれません」


 「そんな事はない。 …………もしかしてまだ、俺を喚んだ事を申し訳ないとか思ってるか?」


 「それは……やっぱり……。 だってゼクトさんはきっと色んな人からも必要とされていたんじゃないかなって思うと……」


 俯いたままだけど、少し声を震わせているリリア。


 違うんだ。

 そんな事はないんだ。


 「なぁリリア。 俺はむしろ感謝しているんだ」


 「感謝……ですか?」


 「ああ。 最近になって気づいたんだけど……恥ずかしい話だが……俺は多分今まで寂しかったんだ。 仮想空間で面白おかしく楽しんでいたが、結局はそれから抜ければ一人だった。 たまに舞い込んでくる仕事も人と関わる訳じゃなく、むしろその繋がりを断ち切るものばかりだった。 それしか知らなかったと言えばいい訳になってしまうけどな。 それでも多分気にしないようにしてたんだ」


 ゆっくりとリリアの髪を撫でながら、自分が感じていることを言葉として紡いでいく。

 自分でも自覚したのは最近だったが、これは間違いなく俺の思いだ。

 それをきちんとリリアに伝えたい。


 「そんな俺がここに喚ばれて……そうだな。 最初は確かに不便も感じていたし、たまに帰りたいと思うことも無くはなかった。 それでもそれ以上に楽しかったんだ。 リリアが俺を必要としてくれて、アカネやミソラなんていう娘みたいな存在もいて……。 今まで閉じた世界で生きてた俺にとってこの世界は本当にキラキラとしていたんだ。 だから……」


 今はこちらをしっかりと目を合わせてくれるリリアの目を逸らさないようにして、伝える。


 「ありがとう、リリア。 俺を喚んでくれて……側にいさせてくれて」


 「……うっ……な、泣いていいですか?」


 「程ほどにな」


 胸元に頭を寄せて泣きじゃくるリリアを見て思う。

 ずっと引け目に感じていたのかもしれない。


 言葉にしないと伝わらない事もあるし、ましてやリリアはまだ子供だ。

 

 もっとこの子の側にいてあげよう。



 泣きつかれて眠るリリアを抱きかかえてベッドに戻し、そっとタオルをかける。


 今日はスッキリした気持ちでゆっくりと眠って欲しい。

 明日から……心のままに笑ってくれるといいな。


 酒精だけのせいでは決してない赤い表情を見て、本当にそう思う。 

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