第四十九話
時刻は夕刻。
まだまだ活気があるレムナントの町では一日の労働を終えた者達が酒を楽しんでいたり、疲れを癒すために宿に戻って食事を摂ったり、ある者達は最愛の者との逢瀬を重ねるなど思い思いに過ごしていた。
そんなレムナントの裏通りを一人の暗い表情をした男性がのそりのそりと歩いていた。
「くそっ……どいつもこいつも幸せそうにしやがって……」
眼鏡をかけた黒髪の神経質そうな男性。
王立学園の現生徒会長であり、名前をリーンスハイト・イーンヴィティア。
この国においてかなり高位に位置する貴族の息子である。
彼はただただ今の現状に苛立っていた。
もともと優秀だった彼は、自分が選ばれた者だと信じて疑わなかった。
王族とも懇意となり、生徒会長の座にまで上り詰める程度には確かに彼は優秀だった。
そんなある意味順調とも言える生活を送っている筈の彼は、しかし陰鬱な気持ちに支配されていた。
その理由は現在英雄と呼ばれるリリアと、その使い魔であるゼクトに起因していた。
懇意にしていた王子はリリアによって倒され、一目惚れした相手はゼクトにベタ惚れという聞けばなんとも悲惨な状況だった。
生徒会長としての求心力もほとんど低下しており、正直いてもいなくても良いような状態になっていた。
そんな状況が彼を精神的少しずつ追い込み、そのストレスによって彼は以前のような覇気もなく陰鬱な気分が顔に現れていた。
今では講義もさぼり学生でありながら酒場で酒を飲んでストレスを紛らわせる程に落ちていた。
「あいつがいなければ……あいつさえいなければ……セインは俺のものだったんだ……あのクソ野郎とクソアマさえいなければ……」
ぶつぶつと幽鬼のように呟きながら歩く姿は危険人物そのものだ。
駐留している兵士が見たら間違いなく捕縛されるだろう。
そんな危険人物と成り果てたリーンスハイトに背後から近づく人物がいた。
真っ白な髪に赤い光彩が異様に目立つ一人の男性。
ボロボロの外套を纏った男性はギラギラとした眼光に鍛え上げられた肉体から、どこか肉食獣のような印象を受ける。
「おぅおぅ。 学園の生徒さんが、こんな時間から酔っぱらってやさぐれてるのか。 こいつぁ傑作だなぁ?」
「……誰だ。 いや、何の用だ? ……怪我をしたくなければ失せろ」
ぎょろりと視線を向けるリーンスハイトの脅すような言葉にも、男は薄ら笑いを浮かべたままだ。
勿論立ち去るような様子はない。
ただでさえ不機嫌な彼にとってその薄ら笑いは、気に触ったようでリーンスハイトは男に向けていきなり魔法を放つ。
手に凝縮された魔力は炎となり球形となったそれは高速で男に向けて放たれる。
「おぉっとぉ! ははっ、過激な坊やだな! こんな短気じゃあ女にフラれるのも当然だな」
男がそう言いながら取り出した短剣で炎を切り裂く。それだけでも驚嘆に値するものだが、リーンスハイトはそれ以上に男の言葉に驚く。
「フラれっ……!? なんでお前が知って!? ……違う! 僕はフラれてなんかいない! 僕はぼくはぼくはボクはぁぁぁぁぁァァァァ!」
セインに認められない現状を指摘された事を必死で否定しながらリーンスハイトは剣を抜き、口角から泡を飛ばしながら男へ襲いかかる。
そんな事実など認めないと否定する彼の形相は鬼気迫るものがある。
「へへへっ……なんで知ってるかって? てめぇが心の中でずっと泣いてるからだよ。 そりゃそうだよなぁ? 好きな女が大っ嫌いな男とくっつくかもしれないんだもんなぁ? いや、もうすでに……」
「だぁまれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
攻撃したあとの事など何も考えていない殺意の籠った剣を振り下ろし、男の言葉を断ち切ろうとするリーンスハイト。
その凶刃を男は横に薙いだ短剣でいとも簡単に逸らし、体勢の崩れたリーンスハイトの腕を掴み地面に叩きつける。
反撃されるとはまるで思っていなかったリーンスハイトは受け身を取ることも出来ず衝撃を背中に受ける。
「がぁっ!?」
「お行儀の悪い坊やだなぁ。 ……憎いか? その男が殺したい程に?」
唐突な質問に普段のリーンスハイトなら間違いなく違和感を覚えただろう。
なぜ自分の考えている事が分かるのか?
なぜこの男は自分に声をかけてきたのか?
そもそもこの男は誰なのか?
しかしそんな疑問は思い浮かばなかった。
酒のせいもあったのかもしれない。
それ以上に憎いか?という質問で彼の憎悪が再燃したからだ。
(あぁ……憎い。 王子を殺したあの女もあの使い魔も憎い。 ……ぼくのセインを奪ったあの使い魔が憎い! ニクイニクイニクイニクイニクイニクイ!)
憎悪で心を滾らせ、今にも暴れだしそうなリーンスハイトを見て男はにんまりと笑う。
「いいなぁ坊や。 お前は最高にいい玩具になってくれそうだよ。 なぁ、ちょっとおじさんの玩具になってもらう事にするぜ」
男はリーンスハイトの顔を掴み持ち上げると魔法によるものか仄暗い光がリーンスハイトの顔を包む。
それに抗おうとする様子はなく、徐々にリーンスハイトの表情が抜け落ちていく。
一瞬でその作業は終わり、男はリーンスハイトを無理矢理立たせると耳元でこう囁いた。
「なぁ……憎いなら……壊せばいいじゃないか。 その英雄さんも使い魔も……裏切った女もなぁ」
男は心底楽しそうに笑みを浮かべながらリーンスハイトを送り出した。
ゼクトが蟻と戯れていた日の翌日。
面倒な取り巻きから逃げ、恙無く一日の講義を終えたリリアはエルレイアとセインと共に寮のリリアの部屋でのんびりと過ごしていた。
「はふぅ……今日も平和だったなぁ。 平和っていいなぁ……」
「うふふふふ。 年頃の女の子がしみじみというセリフじゃないわね」
「まったくだ。 と言ってもどうせゼクト殿が戻ってきたら面倒事がまた来るんじゃないか?」
「…………正直、そんな気はする」
三人でテーブルを囲み、戦いがない事にだらけ切ったリリアがまた面倒事が来るのだろうかとややむくれた様な表情を浮かべる。
「でも羨ましいわ。 私もゼクトさんと遊びまわってみたいもの」
「遊びまわるかぁ……。 どっちかというと振り回されるっていうのが適切な気も」
「なんだ、振り回されているのか?」
「いいじゃない。 私はぜひ振り回してほしいわ」
「……セインさんも本当にゼクトさんの事好きですよね」
「うふふふふふ。 あんな素敵な男性はそうそういないわよ? まぁリリアさんがゼクトさんの一番みたいだから、私は二番でいいかな」
「えっと……私が一番に見えます?」
「ええ、凄く羨ましいわ」
「えへへへへー」
一番二番という時点でおかしな話ではあるのだが、自分が一番に見えるというセインの発言に気をよくしたリリアは頬を染めてニヤニヤとしている。
普通にしていれば十分に美少女なのだが、こういった所がいささか残念な部分でもある。
「……そう言えば今日の生徒会長を見たか?」
「え? ううん、見てないよ」
「……興味ありませんわねぇ」
「セインさんは大概の人に興味なさそうだな。 いや、今日たまたま廊下ですれ違ったのだが、何というか……気味が悪い、と感じてしまってな」
「見た目が気持ち悪いとかではなくて?」
「セインさん流石にそれは失礼ですよ!?」
「あら、つい本音が」
おほほほほと誤魔化し笑いを浮かべるセインにジト目を向ける二人。
自分に好意を向ける相手によくそこまで辛辣になれるものだと、ある意味感心する二人だった。
「まるで悪いものに憑りつかれているようだったな」
「もともとそんな顔だったような気もしますけど……。 明日見かけでもしたら少しだけ気にかけておきますね」
「あの人苦手なんですよねぇ。 威圧的というかなんというか」
生徒会長の事を思い出し、そして自分がこうした発言をしたらゼクトがどう思うだろうかと考えるリリア。
きっとゼクトなら笑顔で「消してきましょうか?」などと過激な発言をするだろうと思い、それが自分を案じてなのだと思うとニヤニヤが止まらなかった。
「苦手と言いながらニヤニヤするのは気持ち悪いぞリリア。 まぁ私の気のせいかもしれないしな」
「うふふふふ。 さて、じゃあみんなで夜ご飯にしましょうか」
セインがそう言い、二人が外に目を向けると既に暗くなり始めていた。
リリアは思う。今のような時間に隣にゼクトが隣にいてくれればどんなに幸せだろうかと。
(やっぱり依存しすぎちゃってるよね。 ……気を付けないと)
そう思いながらも、きっと自分は依存してしまうだろうとリリアは自分の考えに苦笑しつつ二人と共に食堂へと向かっていった。
「なんで貴方がここにいるのかし、らっ!」
「あははははは、なんででしょうね。 取りあえず鬱陶しいので出会い頭で早々に大剣振り下ろすのは止めて頂きたいんですが」
おかしいな。
蟻を実験台にして、暗くなってきたからさっさと帰るか野宿するか考えていた所に野営の準備をしている奴等がいたから参加させてもらおうと思ったらチサトさんがいたのだが……いきなり斬りかかってくるとは。
そんなに恨まれるような事をした覚えは……うん、ないな。
それに一緒にいる奴らは……たしか火竜騒動の時に責任を感じてた連中か。
見覚えがある。
「相変わらず余裕そうな表情で受け止めるわね! さっさと斬られなさいよ!」
「余裕そうというか実際余裕ですので。 あ、そちらの人達は久しぶりと言うべきですかね?」
「あ、いや……だ、大丈夫なのか?」
「余裕です」
「きぃぃぃぃぃ! 本当に腹立つわねアンタ!」
お、チサトさん諦めたのか怒りながら行っちゃったよ。
まったくもう少し対人関係のスキルを磨いてこい。
声をかけた相手は優男風なイケメン。死ね。
あ、違う。
「あんたリリア様の使い魔だろ? こんな所で何してるんだ?」
「いえ、体が鈍らないようにちょっと訓練をしていました。 遅くなったのでよろしければ野営にご一緒しても?」
「あんたも訓練なんてしてるんだな。 あんたなら大歓迎だ。 俺はエヴァンだ。 火竜の時は本当に世話になった。 ありがとう」
「いえいえ。 リリア様の命令があってこそです。 しかし何故チサトさんと一緒に?」
「実はこの近辺にはかなり昔から危険な虫型の魔物が生息しているんだ。 そいつらがヒトの生存圏に侵入してきてしまうと大変な事になるから定期的に調査をしているんだ。 それでチサト様が俺達を雇ってくださってる。 王都からここまで他の兵士なんかを使うと経費が少し高くなるとかで、レムナントで直接雇っているんだ」
「なるほど。 しかし危険な魔物ですか。 レムナントに侵入してこようとするなら殲滅しておきたい気もしますね」
この人達はたしか集団でワイバーンを狩れるんだよな。そいつらが危険と判断するってことは結構やばそうだな。
まぁ長い事近づいてきてはいないようだし、来るなら殲滅するか。
「あぁ、いやそれがどうもどこかに移動したみたいでな。 念の為周囲を広範囲に調べたんだが影も形もない。 一応レムナント方面や王都方面に向かった形跡がないか調べたが、そんな様子もない。 だからどこかに移動したんだろうと思う」
「そうでしたか。 まぁ危険が無いのは良い事ですね」
「ははっ。 そうだな。 じゃあ食事は一応準備するけど、寝具は人数分しかなくてな」
「大丈夫ですよ。 どこでもだいたい眠れますし、夜中の見張りもやらせていただきますので」
「そいつぁ助かる。 あんたがいるなら皆安心して眠れるよ」
エヴァンとか言ったか、気さくな人だな。
こういう人は付き合いやすいから俺も助かる。
チサトさんも見習ってくれませんかねぇ、まったく。
始めて会った時の猫姫さんそっくりだ。そういや元気にしてるかな?
取りあえず色々あって深夜。
そこまで美味しくもない食事を頂き、先に眠らせてもらって元気十分で俺の見張りの時間がやってきた。
メンバーの人もつけると言われたが正直一人でも問題無さそうだったのでしっかりと休んでもらう事にした。
比較的気候も涼しく過ごしやすい。静かな空間に満天の星空というなかなか良いシチュエーションである。
この世界は人工的な光も少ないため夜空がよく見える。
人工的な光が強すぎると星は全然見えないからなぁ。
「……なにさぼってるのよ」
「空を見ていただけですよ。 というか一言目にそれとは」
「……ふん」
ぼんやりと空を眺めているとチサトさんが起きてきた。
まだ交代じゃないんだしさっさと寝ればいいものを。
そんな事を考えていると、いきなり向かいに腰かけてこっちを睨みつけてきた。
本当に何だろうか?
「……」
「……」
文句でも言ってくるかと思ったが、それもなくただ睨むだけというのは勘弁してほしい。
沈黙が痛いです、はい。
「…………チサトさんは」
「あぁ?」
どこのヤンキーだよ声をかけた瞬間にそんな返事すんなよ。
「チサトさんはどうして騎士になられたのですか?」
「……大した理由じゃない。 ただ殺したいやつがいるだけ」
普段の強気な様子とは違い陰を感じる表情で唇を噛んでいる。
ちょっと地雷踏んだかもしれない。でもそんな事は気にしないのがゼクトさんクオリティだと思う。
「ほほぅ。 内容にもよりますけど報酬次第でサクッと殺ってきましょうか?」
「……っ。 あんたなら殺せるんだろうね。 ……でも復讐って自分でやるものでしょう? 私は家族を殺したあの男を自分の手で真っ二つにしてやりたいの。 その為に強くなったんだから」
「あー確かに依頼人の中には自分の手で殺したいって人もいましたね。 懐かしいなぁ」
暗殺者に拉致を依頼する素っ頓狂な依頼人もいた気がする。
報酬が良かったので受けたが、あれは結構面倒な依頼だったな。
空港降りたところでタクシーに乗ったところを拉致したりするのは中々にスリリング……あ、いや今はどうでもいいか。
「……あんた暗殺に手を染めたことがあるの?」
「使い魔として呼ばれる前はむしろ暗殺なんかで生計を立てていましたからね」
「あんたは復讐はその……無意味だと思う? エレインには報われないとか色々言われるのよ」
「いえ? むしろ大切だと思いますけど。 そういう言葉は大切な人を止めたい時に使う綺麗事みたいなものです。 けど、大切な誰かを殺されたことが無い人には復讐心なんて理解できないでしょう。 私はむしろ復讐推奨派です」
いたって真面目に答えたのだがチサトさんはポカンとした表情を一瞬浮かべ、声を殺しながら笑い始めた。
周囲に気を使って声を抑えているのだろうが、肩が超震えている。その笑い方きつくない?
「くっ。 くくくくく、ふふふふふふ。 普通、人を殺そうとするのは止めるのにくっ。 ふふふふふふふふ」
「そこはやっぱり考え方の違いですね。 世の中変な人も多いですから」
「例えばあんたみたいな?」
「いえ、私は普通です」
「そんなわけないじゃない! ふふふふふふふふふ!」
うむ。普通だと信じているとも。俺ほどの常識人を捕まえて何を言っているのだろうか。
しかし、チサトさんの笑う顔は初めて見たけど実に可愛いじゃないか。
口元に手をあててクスクスと笑う姿は、いつものツンツンした様子からは想像できんな。
まさかこれが所謂ツンデレというやつか!?
あ、デレてはいないか。
「ふぅ……すこしスッキリしたかも。 ……その、悪かったわね。 いきなり斬りつけたりして」
「え? もしかしてそれを言う為に起きてきたんですか?」
「う、うるさいわね! 悪い!?」
難儀な生き方してるな。もっと自分に素直に生きたほうが楽だと思うけどまぁ性格なんだろうな。
そう思うと鬱陶しいと思っていた行動も少し可愛らしく見えてくるから不思議だ。
「ふっ、ふふふふ」
「なに笑ってるのよ?」
「いや、チサトさんは意外と可愛らしいなと思いまして」
「…………ふんっ! し、知らない! もう寝る!」
えー、可愛いっていって怒るとか意味不ですけどー。
いや顔が真っ赤だから恥ずかしいのかな?
いやはや本当に女心は分からんなぁ。
うちのご主人様と同じくらい素直になってほしいもんだ。
その場を去ろうとしていたチサトさんだが、急に立ち止まりこちらを振り向いた。
まだ何かあるのか?
「その……おやすみ」
恥ずかしそうにそう言いながら寝具に戻るチサトさん。
うーん。まぁ少しは距離が縮まったと思うべきなのか……。
「まぁ……いっか」
機会があれば復讐を手伝ってやるのも悪くないな。
……リリアには内緒にしとくか。
流石にトラウマになりそうなものを見せるわけにはいかないしな。
色々面白い事も多かったが、最後に少しだけチサトさんに近づけた事が一番の収穫だったかもしれないな。
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