第三十三話



 リリア達がベリアールの話を聞き終わりしばらく。

 

 

 とある兵舎の一室でグレゴリーとフィリップが顔を付き合わせ、資料を読んでいた。

 部屋は音が漏れにくいように設計され壁には本棚があり、いくつもの書物が並べられ部屋の中央にあるテーブルには書類が広げられている。

 

 「……グレゴリー様。 やはりあの小娘に依頼したのは失敗ではないでしょうか。 万が一突き止められてしまっては……」

 

 「……ふん。 実験体がいつまでも捕まらず、被害が拡大しているせいで住民供の不安の声が大きくなりすぎた。 いつまでも握り潰す事は出来ん。 いま王都を湧かせているあの英雄達に協力依頼したとなれば小煩い奴等も少しは黙るだろう。 ……それに失敗したら失敗したで我々に被害はない。 奴等がここを探り当てる可能性もあるかもしれんが……その時は毒殺でもすればいいさ」

 

 鼻を鳴らしてフィリップの言葉に応じるグレゴリー。

 その姿には会議室での堂々とした戦士の風情はない。

 実験結果の報告書を見るその目は戦士というよりは研究者のそれだった。

 

 「……フォームランドの方の受け入れはどうだった?」

 

 「研究成果の一部を確認させたところ、受け入れに応じてくれました。 向こうもあの使い魔を知った以上は戦力を増強したいところでしょうし、我々を引き抜く事で国力も落とせるのですから。 ……ただ祖国を裏切る以上あまり信頼はされないでしょう」

 

 「…………だが、仕方あるまい。 内密に支援してくれていた王子が死に、超人結社の連中もいなくなったようだ。 これ以上この国でこっそりと支援もなく研究を続けるのは不可能だ。 幸いというべきか王子が獣魔薬の効果は証明してくれた。 あとは量産出来るだけしおいて、亡命するだけだ」

 

 「そうですね。 ……最後の精製はあと少しらしいので。 ……最後の実験体を早めに処分出来れば多少は安心出来るのですが」

 

 「たしか見た目は既に化物なのだろう? ならば人の社会に紛れ込む事も出来んだろうから時間の問題でもあるだろうがな」

 

 グレゴリーは嫌らしい笑みを浮かべ、報告書から目を離す。

 彼等が実験体と称しているのは獣魔薬と呼ぶ薬を投与された人間の事で、力を手に入れる変わりに人としての姿を失う厄介なものだ。

 本来の用途は戦争で死にそうな兵士が使用して最後まで戦い続けるための薬だ。

 初期では人としての理性を失ったり、暴走したりと上手くはいかなかったが、数多の奴隷の命を利用して完成にこぎつけていた。

 

 小競り合いの続く隣国フォームランドとの争いを終わらせるために作られた危険な薬だが、王に内密で行っていたこの開発は人道にもとる方法で、ゴードが知れば間違いなく激怒する内容だ。

 グレゴリーからすれば、戦争を無駄に長引かせる無能な王という印象しかなく劇的な力を手に入れることの出来るこの薬を認めないであろうゴードを心底毛嫌いしていた。

 反旗を翻して王を打ち倒す事も考えたグレゴリーだが、ゴードの周りにいる二人の最強の存在がそれをさせなかった。

 たとえ反乱を起こしても単純に武力で鎮圧されるのは目に見えていた。

 

 「……化物……そう……ですね。 人の社会ではもう生きることは出来ないでしょうね」

 

 「……? どうした? 歯切れが悪いな」

 

 「いえ……。 ただ、今さらになって自分のやっていることに疑問を持ってしまいまして」

 

 「ふぅ。 いいかフィリップ、我々はもう後戻りなど出来んのだ」

 

 「ええ……分かっています」

 

 グレゴリーの言葉に深々と頷くフィリップ。

 その顔には苦痛を無理矢理押し殺すような表情が貼り付いていた。

 

 「……今日はもう帰れ。 貴様も疲れているのだ」

 

 「……すみません。 ……お先に失礼いたします」

 

 フィリップは少し悩んだあと、頭を下げて部屋を出ていった。

 思い悩む部下の顔を思いだしグレゴリーは顔をしかめる。

 

 「……まさか……」

 

 グレゴリーはとある可能性を思い、フィリップが出ていった扉をしばらく睨み続けていた。

 

 

 

 

 

 

 フィリップが兵舎を出た頃には日も傾き始め、夕暮れ時に差し掛かりはじめていた。

 家に向かう人達も多く、自分もその中に入り込みフィリップは思案顔で家に続く道を歩く。

 そんな彼がいま考えているのは自分の状況とこれからどうするか。

 

 (……参ったな……。 まさかあの英雄に依頼する事になるとは。 ……グレゴリーの奴との関係もどうにかしたいが……)

 

 露店で食事を買い込み、両手に籠を抱えながら帰宅したフィリップ。

 騎士のなかでも高位に位置する彼はそこそこに裕福だが、彼の住む家は非常に質素だ。いまの彼の経済力ならば少し大きい屋敷に侍従をつけても養えるほどに貯えはある。

 しかし彼はいまの家から離れようとはしない。

 

 古臭いと言われても仕方のないその一軒家に戻り、周囲に人がいない事を確認したフィリップはするりと家に入っていく。

 

 「…………大人しくしていたか?」

 

 もともと独り身であるはずのフィリップには家に帰っても声をかける相手などいない。

 

 「…………ソト、デレナイカラ。 オトナシクシテル」

 

 しかし返答はあった。

 不明瞭な声でとても人が発しているようには思えない声が薄暗い部屋の一角から返ってくる。

 そこには女性というにはあどけなく、少女というには少し大人びた女の子がいた。

 左の肩付近から蠍の尾のようなものが伸びて、先端が三叉の針のようになっており真ん中の針だけが異常に細い。

 若く見えるが、真っ白な髪と表情の少なさが際立つ。左目のみが金眼になっており薄暗い部屋でも爛々と輝いているのが分かる。

 

 「……そうだな。 ……吸血は大丈夫か?」

 

 「キノウ、フィリップカラモラッタ。 ダイジョウブ」

 

 「そうか。 …………リアーナ。 お前は……生きたい、よな」

 

 「……。 シニタクハナイ。 デモコンナカラダニナッテ、ヒトトシテ、イキレルトハオモエナイ」

 

 リアーナと呼んだ女性の言葉にフィリップは何かを言おうとして、それが自分達のせいだと分かっているため二の句が告げれず、開いた口を閉ざした。

 

 リアーナは脱走した実験体だった。

 正確にはフィリップが脱走させた実験体だ。

 リアーナに出会い、例え魔の道に身を落とされてもなお高潔なリアーナにフィリップは惚れてしまった。

 それは会う度に思いが募り、しまいには何人かの実験奴隷を脱走させる際に紛れさせてリアーナを脱走させるほどに。

 思いのほか追手が優秀で、あとは最後にリアーナだけが捕まっていない状態だ。

 

 「……フィリップ? ナニカイヤナコトガアッタ?」

 

 「……君を見つけ、殺すために竜殺しの英雄が動く。 グレゴリーや私を含めた研究員達はフォームランドに行くことになるだろう。 ……意味は分かるな」

 

 「…………フィリップトハオワカレ?」

 

 「ああ。 この家は好きに使ってくれていい。 事が済み次第私達はフォームランドに亡命する事になる」

 

 「……ソッカ。 ……フィリップタスケテクレタ。 ソレダケデモウレシカッタ。 イッショニスゴシタジカンモタノシカッタヨ、フィリップ」

 

 どこか泣き出しそうな、捨てられたような悲しい笑顔でリアーナは笑う。

 自分だけでリアーナの吸血衝動を抑えられるのなら良かったが、実際は無理だ。リアーナがしっかりと活動できるレベルでの吸血量は本来ならヒト一人分で一か月程度もつ。

 しかし、もともと人間でもあるリアーナは王都の民を襲っても命を奪わないように吸血し、最小限にとどめていた。故にリアーナは常にガス欠状態なのである。


 (……そんな顔は卑怯だろ。 ……リアーナはもう消さないといけないんだ。 それはグレゴリーが決めた事で、私もちゃんとわかっている。 こんな姿じゃ王国内で幸せにはなれない。 必ず討伐されるはずだ。 私だって……リアーナと一緒にいたいんだ……)


 リアーナの表情に胸を締め付けられ、どうにかしたいという思いと、どうにも出来ないという思いのはざまで揺れるフィリップ。


 (……このままリアーナと二人で逃げれば……生活は苦しくなるが、人目のないところで幸せに暮らせないだろうか……。 たぶん動物を直に摂食する事で衝動も多少は収まるはず……。追手のかからない今のうちがいいか。 リアーナが納得してくれるかどうかだが)



 夕方の少し冷たく、湿っぽい空気を大きくすって呼吸を整えるフィリップ。

 その様子に驚いて目を丸くするリアーナ。深呼吸をしたあとのフィリップの顔は真剣で覚悟を決めた男の顔になっていた。うっすらと頬も赤らんでいる。



 「……リアーナ。 聞いてくれ」



 「エ? ワカッタ」


 「私は……リアーナ。 君が好きだ。 この世界の誰よりもだ。 どうか俺と結婚してほしい。 しばらくは逃亡生活になるが……。 それでも私はリアーナと一緒にいたいんだ」


 今まで騎士として真面目に、そして不器用に生き続けてきた男の精一杯のプロポーズだった。


 「わ……ワタシハ…バケモノダシ……」


 「そんな事は関係ない!」


 「デモ……ワタシ……コンナスガタダカラヒトマエニモデレナイ」


 「一生俺の隣にいればいい。 いて欲しいんだ」


 「……オカシイヨ。 ワタシ、ホントウハアナタヲコロシニキタンダヨ?」


 「知ってる。 実験なんて行ったやつを君たちが許せる筈がない。 それでも! ……俺は君になら殺されてもいい」


 「……ゥゥゥゥウァァァアア! アナタガヤサシクナカッタラ! サッサトコロシテニゲタノニ! コンナスガタニナッテモスキダナンテ……イッショニイテクレルナンテ……」


 ひとしきり泣いたリアーナは顔を上げてフィリップを見る。

 いつのかにかフィリップはリアーナに寄り添っており、お互いの顔が触れる程近くに来ていた。

 途端に顔が真っ赤に染まるリアーナ。

 リアーナの殺意はフィリップに匿われ共に過ごす時間の中で薄れいつしか芽生えていた愛情へと変化していた。



 「リアーナ……。 俺と……ずっと一緒にいてくれ」


 「……………ハイ」


 涙を湛えたその笑顔はたとえ魔に侵されてなお美しい笑顔だった。

 フィリップはリアーナの涙を拭きとり、そのまま顔を寄せていった。













 「というのが現状報告ですわ、ご主人様。 流石にそれ以上いるのは野暮ったいかと思い、抜け出してきました」


 「お疲れ様。 ……しかしまさか堂々とそんな会話をしていたのか。 ……王子も超人結社も潰しておいて正解だったな。 奴らにつながるクソが次から次に跳ね回る」


 

 王城のリリアに充てられた一つの部屋。

 客室などよりも少し広めのその部屋がまるっとリリアの部屋になるらしい。

 

 セインの父親であるベリアールから話を聞いたあと、まずはアカネとミソラ、それにエイワスとヤクトに指示を出して情報収集にあたらせた。

 とくにアカネとミソラは難易度の高い兵舎への侵入と潜入捜査を任せたのだが。


 「ご苦労様アカネ。  あのフィリップとかいう奴が匿ってたのか。 しかも国外逃亡検討中だったがグレゴリーも裏切ってその実験体と人気のないところへ逃げるつもり……と」


 自分たちが旗頭にしていた人達が悉くいなくなったんだ。さらには自分達の研究に絶対に理解を示してもらえないだろうという事を考えると国外に逃げるのはまぁ当たり前と言えば当たり前か。

 兵舎のどこに研究施設があるか美空が探っているらしいが、さてさてどうしたものか。


 「……ゼクトさん。 人体実験って……もしかしてお父さんの事にも関わりがありますかね」


 「十中八九間違いないでしょうね。 王子とグラーフ様の変化していた様子に類似点がいくつかあります。 ああいった薬が何種類も同時期に別々の経路で作られるという事はまずないでしょうし、やはりその人体実験によってグラーフ様を陥れたのでしょう」


 「……そう……ですよね。 ……どうするんですか?」


 「まぁそのフィリップさんはまだ救いもありますが、グレゴリーさんに救いは無さそうですね。 ……フィリップさんを利用してグレゴリーと研究員を集めて一網打尽にしたいところですね」


 さてどうするか……。

 先にフィリップを抑えるか?

 実験体に結婚を申し込む程に愛情があるのなら、ここから逃げるのを手伝ってやるとすればスムーズに事を進められそうだが。


 そんな事を考えていると、窓にスッと影がさした。

 そちらを見ると美空が窓に張り付いていた。何をしているんだろうかこの子は。

 よく見ると触手で体を支えていた。

 窓をあけると身軽な動作で中に入ってきた。忍者のようだ。


 「ただいまますたー。 さむかったからいっしょにあったまろう。 はだかで」


 「火にも耐性はあるし火の中にぶち込んでみるか?」


 「……じょーだん。 すこしきんきゅう。 ぐれごりーがふぃりっぷを殺すためにうごきだした」


 「グレゴリーが? ……どこかで感づいたのか? ……ふむ。 …………アカネこの通信石を陛下のもとにもっていってください。 そのあとは王都の適当に人の多そうな場所にこの通信石と拡音石を一緒においてきてください。 なくなると困りますが、今回は仕方ありません」


 「了解しましたわ。 どうせなので盗まれないようにしておきますわ」


 得意気に通信石と拡音石を受け取るアカネ。

 通信石とは言葉の通り、共鳴する石同士で音声のやり取りができるという優れものだ。

 欠点は効果範囲が王都一つ分程度。使えると言えば使えるけど、やはり効果範囲の狭さは欠点である。


 「ますたー、わたしは?」


 「ミソラは私とリリア様と一緒にフィリップさんの家へ向かいましょうか」


 「ほーい」


 「ゼクトさん。 私グレゴリーさんを殴打するかもしれません。 その時は止めてくださいね」


 「止めないかもしれませんけどね」


 「ふふふっ。 流石ゼクトさんです」


 「むむっ! じゃあわたしもぜんりょくでおうだする!」


 やってもいいけど、ちゃんと生き返らせてくれよ?

 間違いなく頭なくなるからなそれ。

 

 ……あ、エレインさんとチサトさんに声かけるの忘れた。

 まぁ……いいか。事後報告にしておこう。


 俺達は暗がりのなか、フィリップの自宅へと向かうのだった。







 ※小話


 アリア「アリアと~」

 ルリア「ルリアの~」

 アリ・ルリ「料理教室~」

 アリア「というわけでとある料理を作ろうと思うの」

 ルリア「ほんとうに唐突だねアリアお姉ちゃん! でもどうしたの?」

 アリア「実はマーヤおばさんに男の人を元気にする薬を貰ったの。 うふふふ、ちょっと高かったけどね」

 ルリア「元気にする薬!? それはすごいね! 誰に食べさせるの?」

 アリア「本当はゼクトさんに食べて欲しいんだけど、まずは実験にナイルさんね。 マーヤおばさんの娘さんのトリスと付き合ってるんだし丁度いいわ」

 ルリア「あー、たしかにナイルおじちゃん忙しそうだし疲れてそうだよね! きっといい贈り物だよ!」

 アリア「うふふふ。 トリスへの根回しも済んでるから作るだけね!」

 ルリア「おー! ……それで何を作るの?」

 アリア「うふふふふふふふ」



 二日後。



 ルリア「ただいまアリアお姉ちゃん!」

 アリア「あらお帰り。 急いでどうしたの?」

 ルリア「うん。ナイルのおじちゃんとトリスお姉ちゃんがようつう?でしばらく動けないんだって。 だから町の見回りの順番を少し変えるって言ってたよ」

 アリア「あらあら。ちょっと元気になりすぎたのかしら?」

 ルリア「……?」

 アリア「うふふふふふ。 まだわからなくてもいいのよ。 …………あのレシピは効果ばっちりと……」

 ルリア「な、なんだかアリアお姉ちゃんが怖い……」



 にやりと笑いながらメモを取るアリア。

 ゼクトが状態異常系のほぼすべてを無効化できるのを知るのはまだまだ先のお話……。

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