第肆話〜碌と蒼〜
ある日の朝。
[
「…ん...
着物姿の女性が鴒黎を優しく起こす。
彼女は
[違う、言われていた薬ができた]
「そうか…。」
まだ夢うつつな鴒黎は寝返りを打ち、長い黒髪がそれに合わせて動く。
[鴒黎、できたら持っていくと言っていた]
「ん...もう少し、寝たい...」
昨日は一日中走り回っていたと思ったら、帰ってきた途端報告書の山に目を通していた。
疲れているのか、そう簡単に起きそうもない。
[昨日、遅かった?]
〔にゃぁ、夜中まで見てたと思うにゃ。〕
会話の矛先を黒い猫に切り替える蒼。
この黒猫は、
[それじゃあ、もう少し見てる]
〔にゃあも寝るにゃ!〕
碌はそういうとぴょんと鴒黎の寝る布団の上へ。
「ん...」
鴒黎は少し動いただけで、やはり寝ているようだ。
そんな鴒黎の横顔を蒼は静かに見ている。
[(こんなに綺麗な顔しているのに。笑ったら素敵だろうな…)]
笑顔は見た事があるが、心の底から笑った顔は見た事がない。いつも少し憂いを帯びた表情か、微笑むだけ。
自分の契約者がこれ以上無茶しないかと心配になる。
霊魔との戦闘で頼りになるのは焔と碌だが、焔は一度でも本能に委ねてしまえば止めるのが難しくなるし、碌は碌でそれを止められるほど強くはない。
唯一、自分が焔と鴒黎の精神に割って入って止める事が出来る。が、それも緊急事態の時のみだが。
そのまま寝顔を見つめる事数十分。
どうしようかと考えていたら、焔が契約者を叩き起す。
『
「っな!?」
突然の焔の大声に飛び起きた鴒黎は、碌をベッド下に落として上半身を起こす。
〔痛いにゃ!〕
「上にいる方が悪ぃだろ...」
ふあっと
「薬、どこ?」
[ちゃんと聞いてたんだ。いつものところ]
「そうか、いつも助かる」
よろず屋の仕事を時々手伝う刀霊の面々。
蒼は薬の調合もできるのでよく頼んでいるし、碌は碌で変化できるから店番を頼む事も多い。焔は顕現する事が少なくいつも刀に居るだけなので、基本話し相手兼予定帳代わりといったところか。
起きた鴒黎は洗面所で顔を洗い、
空いている二つの部屋を通り過ぎて、自室へ戻る。
部屋では蒼が着るものを用意していた。
「……蒼?これ着ろって事か?」
[うん。絶対似合う]
「...焔、碌。なんで止めなかった?」
『無理でした』
〔止められるわけないのにゃ!〕
そこに出ていたのは、女性ものの着物。
今日これから向かうのは
「…蒼、あのな?確かに俺は何度か花魁とか女の格好したけど、今回は何もないから、な?」
[着て]
「いや、だから...」
[着て。見たいから]
有無を言わさぬ蒼の圧力に負けて、鴒黎は帰ったら着るからと説得。
渋々頷く蒼を横目に、さっさと着替える。
とりあえず、
他にも霊符や耳飾り、持てるだけの隠し武器を至る所に装備。
髪は適当に
靴はいつもと同じ、編み上げの黒い
蒼が調合した薬を紙袋へ入れて、準備終了。
『花霞邸に行くだけでは?』
準備が多いので、焔が問いかける。
「あぁ、
『ふふ、嫌そうですね?』
「そりゃ、まぁ...」
はぁ、とため息をついて喫茶店内へ向かう鴒黎。
蒼はそれを見ながら、拾ってくれた日の事を思い出していた......
********
時は
鴒黎と焔が出会って二ヶ月程が過ぎた頃だろうか。
傷がようやく開かない程度に治った鴒黎は、霊魔討伐令が下った後のとある場所に来ていた。
そこは既に霊魔が倒された地域。
見渡す限り霊魔の
そこで、鴒黎は何かを探していた。
『
「こういう場所には何かしらあるからな」
『なにかしら...?』
「まぁ、見てなって」
何を探しているか具体的には教えてくれなかったが、言われるままに見ている焔。
「ん?」
『何かありましたか?』
「あぁ。今回は当たり、かな?」
鴒黎は見つけた“何か”に向かって歩き出す。
まだこの辺りの瘴気は完全に消えていなかったので、焔は鴒黎が見つけたものを見て驚く。
『この瘴気の中、よく分かりましたね...』
「ん?そうか?普通に視えたんだが...?」
出会った時から凄まじい霊力を持っているな、とは思っていたが、まさかここまでとは。
『主人、どういった風に視えているので?』
「どうって...こういう神気
焔は違うのか?と訊ねる鴒黎。
通常、神気・霊力・瘴気は異なって視えるが、こうも瘴気が多いと中々判別できるものではない。
刀霊と契約出来る霊力の持ち主には、瘴気と神気の違いが視える程度。
更に刀霊一体ではなく二体以上契約出来る者ならば、それに加えて霊力の判別が出来る程度。
だが、鴒黎の
『他のものはどう視えてますか?』
「ん?瘴気は紫っぽくて、霊力は白んだ青、とかか?」
『…』
「何か変、か?」
『いえ』
「そうか...?」
こんな人間に会った事はない、と焔は絶句する。
それは本来、
気を取り直して、話題を変える。
『それで、何を見つけたので?』
「これ。たぶん刀霊憑きだ」
焔が見たのは、ひと振りの脇差。目立った傷は見当たらない。
すると、脇差から一人の女が現れる。
[…誰?]
「靭 鴒黎。花守をしている。これは太刀に憑いている刀霊、焔」
[私の契約者は?]
「残念ながらここには居ないようだ」
[やはり...]
出てきた女は着物姿に長い黒髪。
目は綺麗な
女は続ける。
[元契約者に私は助けられ、ここに転がった]
「お前の名は?」
[私は名が分からない。契約した者が付けるようになってる]
「それで?」
[私と契約してほしい]
これはどうすればいいのだろうか、と焔の方を見る。
顕現こそしてはいないが、気配は常にある。
『よろしいのでは?』
「焔が言うなら、いいか...」
[成立?]
「分かった。契約しよう」
[ありがとう。名前、決めて]
「名前かぁ...」
責任重大だな、と苦笑いする女とも男とも見える青年。
私は彼が付ける名を待った。
しばらくして、青年が口を開く。
「
[そ、う...?]
「目が
そんなことない、と首を振って青年を見る。
目が綺麗だ、なんて初めて言われた。
今まで刀霊だから人間とは違うと
この青年なら、きっと。
[...蒼。蒼がいい]
「よかった。それじゃ、契約成立だ。よろしくな、蒼」
[分かった、鴒黎]
新たな契約者は、聞けば花守になりたてだという。
それなのに霊魔が現れた時の対処法や倒し方など、実に様々な知識を持っている。
興味が出てきた。後で色々聴こう。
何かの気配がしたので、青年に伝える。
[鴒黎。向こうに何かいる]
「ん?...あぁ、行ってみよう」
言われた青年は同じく気配に気が付いたのか、頷いて歩き出す。
細い路地に入ると、一匹の黒猫が今にも死にそうになっていた。
『主人。これではもう...』
焔は黒猫を見た瞬間、もうすぐ霊魔になると悟った。が、鴒黎はそれでも助けようと近寄る。
素早く周りを確認すると、ばらばらに砕け散った刀がひと振りあるのが見えた。
「これか!?」
『状況から見てそうでしょうね』
[...私が少しの間、繫ぎ留める]
「蒼?」
持っていた脇差に蒼い光が宿る。
鴒黎は黒猫の
「これでいいか?」
[ん]
小さく頷く蒼。
蒼い光が黒猫を包む。その光はとても暖かい。
「回復させられるのか?」
[ん。私の力。脇差で霊魔を倒す事も出来るけど、本来はこの力]
「へぇ、すごい拾い物したな、これは」
感嘆する青年を横目に、蒼は黒猫へ力を注いでいく。
[早く。留めるので精一杯]
「あぁ、焔!刀霊を霊魔にしない方法はないのか!?」
『そうですね...主人の霊力を込めれば或いは...』
「やってみる」
頷いた鴒黎は、黒猫に向かって手をかざす。
「……」
目を閉じて、霊力を黒猫に流していく。
蒼と鴒黎はしばらくの間微動だにせず、力を送り続けた。すると、黒猫の瞼が開いた。
〔にゃぁ...〕
[もう、大丈夫だと思う]
「あぁ、そうだな...」
刀霊と花守はそれぞれ力を送る事をやめる。
しばらくして、黒猫は動き出した。
〔にゃぁ?ここは、どこにゃ?〕
「動かないところはないか?」
〔にゃ!?誰にゃ?〕
「俺は靭 鴒黎、花守だ。この
〔にゃあ?はにゃ守さんかにゃ?にゃあのご主人様は?〕
混乱する黒猫に状況を説明する。
よく見ると、尻尾は二股に分かれていた。
〔...それじゃあ、もう、にゃあは...〕
「こうしてここに存在してるんだ、刀霊として俺達と来ないか?」
〔でも!!にゃあの
いくら刀霊でも憑代が無ければ、刀霊として働けない。
それなら、と焔が提案する。
『私の本体は刀身の方です。鞘の方を憑代とすればいいかと』
〔それにゃら、にゃあの力も使えるにゃ!〕
「お前の力?」
〔“お前”じゃにゃあ!にゃあは碌(りょく》って言うのにゃ!!〕
碌、と名乗る
能力は結界を張る事。防御特化型の刀霊だそうだ。
「碌、か。どうだ?一緒に来るか?」
〔行く!!行くのにゃ!〕
『では、こちらへ』
焔に促されて、碌は鞘の中へ消えていく。
「これで、大丈夫なのか?」
『...えぇ、問題ないかと』
すると、碌が鞘から出てきた。
〔にゃあ!!気に入ったにゃあ!〕
「それは良かった」
〔改めてよろしくなのにゃ!お前様!!〕
「お前様って...まぁ、よろしくな」
新たに蒼と碌が加わり、賑やかになる。
鴒黎は落ちている刀の欠片も回収し、その場を後にした...
********
蒼は鴒黎、焔、碌と共に花霞邸へと向かっている。
久々に昔の事を思い出したなぁ、と少し微笑んで。
「蒼?何か嬉しい事でもあったか?」
[ん。なんでもない]
なんでもない、と再度念押しして、微笑む。
きっと、この人間ならば刀霊だからと差別する事もなく、色々な事を一緒にやってくれるだろうなと期待を込めて。
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