万屋復讐譚

第壱話〜悪夢と日常〜

ぐちゃ、ぐちゃ。ぺちゃぺちゃ…

ばきっ、ぼきぼき…


-----気持ちの悪い音が響く。薄っすら眼を開けるとそこは血溜まりで…

状況が飲み込めず、眼だけで周りを見渡す。


転がる死体、骨、彷徨うろつく霊魔、折れた刀、手足、はみ出た臓腑ぞうふ……。


朦朧もうろうとする意識の中、徐々に戻る記憶。


あぁ、多分死んだ。これ、地獄だろ?でも、地獄にも霊魔居んのか??などと冗談半分で考えを巡らせつつ周りを見ていたら、目が合った。合った気がした。

は、ヒトのカタチではあったが明らかにヒトではない。うわさに聞いていた、というよりも報告書にあっただろう。


まずい、絶対こっちに来る…そう直感が告げていた。即座に自分の身体の状態を確認するが、動かない。

かろうじて右手の指先が動き、そして何かに触れた。触れた物に気を取られていた刹那。



は近くに来るとしゃがみこみ、こちらを覗き込むようにしてカオを向けた。

のぞいたカオは、やはり人間のものではなかった。

不気味で虚ろな黒い眼は、そのまま吸い込まれそうなほどに闇が深く。

鼻のあったであろう位置には穴が二つあるだけで。

大きな口がにぃ、といびつな三日月形に変形した。


「!?」


逃げようとしても動かぬ身体。

先程指先に触れたのは刀の切先だったようだが、今はそれどころではない。

喰われて今度こそ本当に死ぬ。そう思った時だった。


≪---!!----!≫


目の前の霊魔が何か言った。が、意識が遠退きそうでよく聞き取れない。

口元を見たところで歪な三日月形の口は動いていないので、分からない。


(まずい!!このままじゃ、られる...)

朦朧とした意識の中、そんな風に思った時だった。

頭に直接声が響いた。


『…命が惜しいか?惜しければ、そのまま身体を我に預けよ。』


迷っている暇などない。に賭けるしかない。


(惜しい...この状況を打開したい!力を貸せ!!)

『ほぅ、我のことを何も知らずに受け入れるか。気に入った!!』


≪---!!!≫


何かを察知し、立ち上がった霊魔は雄叫びをあげ、腕を空へ振り上げた。

上げた腕は、下にいる鴒黎れいりへ向かって大きく振り下ろされ、鋭利えいりな爪の餌食になる。……はずだった。

なにせ、普通なら死んでいてもおかしくないほどの重傷を負っていたのだから。


どぉぉん、と地面が裂ける音がする。

そこにあったはずの鴒黎の身体は宙にあった。


瞬時に上を向く霊魔。跳躍した鴒黎の腕には一本の漆黒の太刀が握られていた。


「これは…?」

『来るぞ!!』


霊魔の腕が伸びる。まるで蠅でも叩き落とそうとするように。

太刀の刀身がきらりと光る。腕めがけて右から左へ太刀が移動。

もちろん、鴒黎の意志とは関係ない。もう、意識を保っているのがやっとだったからだ。


≪----!!!≫


腕の先端を切り落とされた霊魔は咆哮ほうこう

今度は耳がしっかりと霊魔の声をとらえた。


≪オ前ノ親モ仲間モ我ガ殺ッタ!オ前ノカラダ、我ノモノ!!...デモ、今ジャナイ。時ガ来タラ、!≫


『…は、我の契約者。そう簡単に渡しはしない。』

「な、契約!?」


子供のような、老人のような不快になる声を出した霊魔は、言い残して去っていく。

それを見届け、下りた地面で改めて状況を確認すると、そこにはかつて鴒黎と共に諜報活動をしていた者達のむくろと、があった。


そう、鴒黎を残して全員その場で息絶えており、あまりの出来事の多さに鴒黎の思考は停止し、意識は彼方へ遠のいた…



********



『…主人あるじ。』


刀霊に呼ばれて目を覚ます。そこは、自分の店の中。

ぐっしょりと汗をかいている事に気づき、またか、とため息。


『また夢ですか?』

「…あぁ、いつものだよ、ほむら。」


刀霊〈焔〉に返事を返し、身体を椅子から起こして立ち上がる。

長い髪をかき上げ、そのまま店の奥にある自室へと向かう。



ここはじん 鴒黎れいりが店主を務める“よろず屋”。

表向きは普通の喫茶店なのだが、奥には隠された扉がある。

その扉には幽世かくりよの物質が使われている。それは、この世ならざぬモノが人間にしか、分からないようにする為に。


鴒黎れいりはよろず屋兼喫茶店主人にして、霊魔情報専門に扱う諜報員達の長を務めている。


諜報員達の数は、現在のところ数十人。〈霊境崩落〉前は百人近い人間が全国各地に散らばっていたそうだが、大半が崩落の最前線に居た為、半数以上が霊魔化あるいは息絶えた。


現在は、諜報員達の大半が参謀長官である羽瀬はぜ氏によって統率されているので、鴒黎の元には必要最低限の諜報員達が働いている。もちろん、喫茶店の店員もこの者達で構成されている。



鴒黎は自室に戻って汗を拭き、外行きの和装に着替える。

髪をまとめて高い位置で結い上げ、腕まくりする為のたすきも忘れずに素早く荷造りをして部屋を出る。


〔お前様!!今日は少女の所へ行くのかい?〕


部屋を出たところで、真っ黒な猫が鴒黎に話しかける。


「そうだよ、りょく。また店番頼む。」

〔分かった!!〕


りょくと呼ばれた猫は、嬉しそうに鴒黎の足にまとわり付く。

その尻尾は、二つに分かれていた。


「あぁ、そうだ。花魁おいらんに化けるのだけはやめてよ?」

〔え!?どうして?だって鴒黎、似合うのに!〕

「普通でいいの。じゃないと折角せっかく来た客が居なくなる。」

〔...はぁい...〕


少し不服そうに頷いた二股の真っ黒い猫は、ぴょんと飛んで一回転。

するとそこには、着流しを着た鴒黎と瓜二つの人物が立っていた。

違うのは、目の色が緑色という一点のみ。


〔これでいいでしょ?〕

「はい、よくできました。」


頭を撫でられてご満悦の碌。


この碌は猫又の刀霊なので、変化へんげやちょっとした術が使える妖怪である。

今回のように鴒黎の代わりに店番する事も多かった。


碌の変化を見届けて、鴒黎は店の入り口から外に出ようとする。


[鴒黎、気を付けて]

「あぁ、行ってくるよそう。」


声をかけてきたのは和装の女性。歳の頃は十八くらいだろうか。

蒼と呼ばれたこの女性も鴒黎の刀霊の一人。

焔以外の刀霊は皆、鴒黎と焔によって助け出され、契約したモノ達だ。

その物語はまた別の機会に。


鴒黎は扉を開けて喫茶店内へ。

喫茶店にはまばらに客がおり、蓄音機からは流行りの曲が流れている。


「頭ぁ、いってらっしゃいませ!!」


店員の一人が元気よく声をかける。


「だから、せめて店の中ではその呼び方はやめてくれ…。」


鴒黎はもう、とため息をつく。

店員兼諜報員達に悪気は全くないが、聞いた客達がなんとなくざわつくので鴒黎はこの呼び方を良しとしない。


(ったく、俺は賊の長じゃねェぞ…。)


そんな事を考えつつ、喫茶店を足早に出る。

カラン、とドアに付いたベルが鳴る。


『主人、少し急がれた方が...』

「分かってるよ、焔」


今日は大事な出張。とはいっても目と鼻の先にある”花霞邸かすみてい”に向かうのだが、その仕事内容が特殊だった。


―---------―


数日前、突然花霞邸に出てくるようにと呼び出しをくらった鴒黎は、何かやらかしたかと思考しつつ向かっていた。


(あの時の事はたぶん違うし、この間の陛下のお忍びも違うだろうし...)

『主人、前見てくださいね。』

「ん。分かってる。」


たくさんのを潰しつつ、陛下の部屋の前に到着。

一応仮にも陛下直属の諜報員達の長である鴒黎には、直接陛下に会う事ができる権利がある。


「陛下、じん鴒黎れいり、只今参りました。」


扉の前で膝をつき、一礼したまま一言告げる。

返事と共に開いた扉の先には、現天皇陛下である少女•依花よるかと花守達の長、かこい 麗華れいかが居た。

そこで告げられたのはお説教ではなく、鴒黎への任務。


よろず屋兼喫茶店主人である鴒黎へのはこうだった。


一、依花様は洋食というものが食べてみたいので、何か作ってほしい。

二、この花霞邸の厨房と厨房にある食材を使って良いので、ついでに駐屯ちゅうとん中の花守達の分まで頼みたい。

三、要するに花守達と依花の昼食を作りに来てほしい。


聞いた鴒黎は唖然としたが、陛下のを聞かないわけには行かず、毎日は無理だという事だけ告げてその場を後にした。


「お説教よりもすごいのが来たなぁ...」

『なんにせよ、怒られる事ではなかったし、いいのでは?』

「それはいいんだけど、せめて食べたいものの内容くらいは決めてほしかったなぁ…。」


今度は昼食の献立をどんなものにするか考えつつ、帰宅する事になった鴒黎。

刀霊である焔は、その様子を黙って見つめるのであった...


―---------―


そして、今日がその日である。

初回である今日は鴒黎自らが監修・調理する事になっていた。


花霞邸に着くと真っ先に厨房へ行き、そこにいた料理人達に下準備の指示を出す。

とりあえず、依花様に食べて頂くのはライスカレーにする事にしていた。


最近喫茶店でも出しているこのライスカレーは、老若男女問わず人気の一品だったし、何より量を多く作れるので今回の案件にはぴったりだった。


料理人達と鴒黎の調理は着々と進んでいったが、全員分の量を作るのに約二時間かかった。


それでも昼食の時間には何とか間に合い、鴒黎自ら依花陛下の元へと配膳していく。


こうして、陛下の”お無茶振りい“は無事に成功した。


『主人、お疲れ様です。』

「ありがと、焔。いやぁ、厨房の設備がしっかりしていたうえに、料理人達が手際が良くて助かったよ...」

『喫茶店ではこうは行かなかったでしょうからね。』


鴒黎は任務(?)を無事に終え、後片付けをして帰宅した。

今後は作り方を覚えた料理人達がしっかり作ってくれることだろう。


「帰ったら、少し寝る。」

『...整理しないといけない報告書がまだ少し残っているのと、調合の依頼のある薬が二点ほど、更に新しい霊符の作成依頼がいくつかありますが?』

「…忘れてた。いや、見ないようにしてたのに...焔はいつもそうだよなぁ。薬の調合は蒼に手伝ってもらおうか...」


刀霊が執事のように仕事の指摘をしつつ、自宅兼仕事場に戻る鴒黎。

こうして、一時ひとときの平和な日常は過ぎて行った…

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