第8話 らんらん

 図書館にたどり着くと、俺は一目散に、隅に位置する長机に向かった。

 今日はなぜか図書館の利用率が悪く、どこの席もがらがらだったが、先輩と集中して話ができるから俺にとっては都合がいいだろう。


 はたして先輩はいつものようにそこに座っていた。

 まるで俺を待っていたかのように、いつもそこに座っている。


 そういえば……、今でこそ先輩の定位置だけど、出会う前は俺が先にここに座っていたんだよな。とはいえ、反省文のときの一度だけだけど。

 

 そこに先輩がぶつかってきて……、俺のバックがおちて……、その時は、まともに顔を見なかったから、先輩のことも知らなかった。


 その後、忘れ物を届けてくれたときに、はじめて先輩を意識したんだ。

 まあ、いまとなってはどうでもいいことだけど。


「せ、先輩、失礼します……」

「……? ああ、三枝君、こんにちは」

「こ、こんにちは……!」

「今日も自習?」

「は、はい!」

「でも、今日は他の机もあいてるけど……?」

「……で、ですよね」


 たしかにそうだ。

 俺にとっては最悪な状況だったらしい。

 だが、先輩はにこりとエンジェル的スマイルを浮かべた。


「なんちゃって。ちょっとイジワルしちゃった。いつもと同じ環境じゃないと、勉強って気が散っちゃうもんね」

「そ、それです!」

「ふふ……、いつも元気だね、三枝くんは」

「それだけが取り柄ですから!」

「ああ……、うん、いいね……」


 なんだかうっとりしている先輩。

 なんて最高な会話だろうか。

 先輩と話すと、本当に癒される。なんていうか、男子高校生が求める女子の先輩に必要なものを全部兼ね備えているよな。


 先輩らしい心の広さ。

 つきあげてくる母性。

 そして、大人の色気……。


 いや、だめだぞ、レオ。

 天使のような先輩をそんな目で見てはいけない。

 

 俺は手の甲をぎゅっとつまむと、勉強道具を広げ始めた。


 ここからは多少、ヒマな時間になる。

 俺は勉強をするふりをしなければならないし、先輩は本を読み続ける。まあ、視覚的な楽しみはこの時間が一番なんだけど、やっぱり先輩と会話をするのが一番良い。


 だが今日は、違った。

 先輩は本を置いた。

 それから俺に向き直る。


「ねえ……、三枝くん」

「え? あ、はい、なんですか」


 先輩の目はどこかトロンとしていた。

 呼吸もなんだか乱れている気がする。

 指先が震えているようにも見えるが……まさか、風邪か? 天使をむしばむ悪魔が出現したのか?

 

『先輩、保健室いきます?』と尋ねるより先に、秋葉先輩は、耐え切れないように口を開いた。


「ね、ねえ、三枝くん。実は、明日、うちには誰もいないの」

「あ、そうなんですか……? なら防犯対策しっかりしないとですね」


 空き巣とか最近おおいからな。

 リコちゃんは昔、空き巣犯を納豆で捕まえたことがある。この話をすると100人中100人が興味を示すのだが、話をしている途中で100人中100人が耳を塞ぐ。


「い、いや、私はいるのよ? 自宅に、親がいないの」

「なるほど」


 先輩は留守番か。

 じゃあ、誰もいないってわけではないよな。

 防犯上、鍵をしっかりとかけるくらいが注意点かな。


「ええ、それで……ね」


 先輩はどこかじれったそうに、指を組み替えている。

 なんだか、足元をごそごそと動かしているが、ふとももの間にスマホでも落としてしまったのだろうか。


「明日、休みじゃない? 三枝君は、用事、ある?」

「いえ、とくには……」


 休みなんて、ゲームしかしてない。

 土日だろうが、長期休暇だろうが、それは変わらない。

 夏休みは、ユキがきて、おしゃれしてきたにもかかわらず、ほぼ半裸でベッドに寝転がってだるそうに雑誌を読むのが恒例だった。


 先輩は、『じゃあ……』と提案してきた。


「明日、よかったら、うち、こない……? 勉強、おしえてあげよっか……?」

「ああ、そうですね、それは中々――って、ちくしょおおおおおおお今まで全部夢だったのかよおおおおおおお!?」

「こ、こえ! 声が大きいよ、三枝君……夢じゃないから……!」

「え!? 夢じゃない……!?」


 やけに慌てる先輩には悪いが、慌てるのはこちらである。

 だって、これ、防犯用の警備員として呼ばれているわけではないよな!

 そして、死の間際に見ている人生最後のごほうびの夢でもないよな!


 なんてこった!

 今なら言えるぞ!

 これは、やばみマクスウェル!!


「それで……、どうかな、三枝くん?」


 どうかなもなにもない、

 先輩の言葉に俺は、こくこくと頷くしかなった。

 だってこんなこと、宝くじの一等があたるくらいに、運が良いことだ。断る理由など皆無である。


 だが、その時。

 俺は色々と気が付いていなかったのだ。

 たとえばそう――先輩の目が、どこかおかしい感じで、らんらんと輝いていることに。


 そして妹が予言者のように口にした、俺の特性とやらの話の重要性に。

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