第6話 てへぺろ
父さんが日本人。
母さんがフランス人。
そんな我が家の朝食は、日本食ど真ん中のメニューばかりである。
白米。
味噌汁。
納豆。
卵焼き。
豪華な時は焼き魚などなど。
俺の母を見た人間は、もれなく『キレイな人だね……なんだか、すてきな食卓を想像しちゃうなあ』とかなんとか言うが、現実は上記の通りである。
フランスパンなんか生まれてこのかた、食卓にあがったこともない。
おやつは基本的に、昆布とかだ。
そのせいでリコちゃんの趣味がおばあちゃんみたいになっているのだと思う。ではなぜ兄の俺には影響がないのかといえば……、それはきっと、あれだな。
昔からユキが、趣味のお菓子作りの毒見に俺を使うもんだから、洋食成分が蓄積されていったのだろう。
とくにバレンタインデーあたりになると、吐き気がするほど多様なチョコを食べさせられる。起きたら鼻の穴にチョコレートが詰められていたこともあった。
だからその時期は、チョコのニオイを嗅ぐのもイヤなくらい。仮に俺が誰かからチョコレートをもらったとしても、拒否反応から返品してしまうに違いないのだ。悲しすぎる。
閑話休題。
朝の食卓は、兄妹二人で囲むことが多い。
母さんはリビングでテレビを見ているし、父さんは仕事に出ているからだ。
今日も今日とて、食卓に座るリコちゃんは納豆をかき混ぜることに真剣だ。
右に50回。
左に70回。
最後に右に10回。
これがリコちゃんのベストだ。
ちなみにお嬢様学校というヒエラルキートップ層の中であっても、絶世の無口美女と名高いリコちゃん。
そんな彼女の結婚したいタイプは『納豆の混ぜ回数が自分と同じ男性』である。
もちろん冗談だとは思うのだが、なぜかそれは他の人間にも公言しているらしい。
リコちゃんがおかしいのは、兄である俺の前だけだ。両親がきつく注意をしても、なぜか俺の前だけ嘘つきなのである。
よって他者に宣言しているということは嘘ではなく、本気ということになってしまうのだが、もしも真実なのだとしたら結婚条件としてはどうかと思う。
クリアできるやつなんているんだろうか。
ちなみにぴったりと同じ回数をまぜる人間など、俺が知る限りでは一人しかいない。
それは兄だ。
つまり俺だ。
それ以外に、出会ったことはない。
これからもない気がする……。
リコちゃんが、かきまぜ中の納豆から目を離さずに言った。
「なら、兄さんが私をもらってください。だいぶ巨乳ですよ」
「エスパー!?」
なんで俺の思考が分かったんだ。
毎度のことながら怖すぎる。
あと別に俺は巨乳好きではない。
大事なのは母性なのだ。
「兄さんの考えていることなんて、誰にだってわかりますよ」
「そこまで分かりやすいかな……」
「六歩進んで二歩下がって四歩進んだあとに六歩進んだ位置を特定するくらい、分かりやすいです」
「難解すぎるだろ」
「……え? ただの、足し算と引き算ですけど……」
「だ、だよね。ちょう、らくしょうだよ」
答えは?、とかリコちゃんに聞かれたら兄の威厳が保てなくなる。
暗算をしようとしたが、問題文からして覚えてなかった。
リコちゃんは納豆をかき混ぜ終えたらしい。
顔をあげると、月に一度程度しか見せてくれない満面の笑みを浮かべた。
「兄さんは、バカのままでいいんです」
女神みたいに美しい笑顔だった。
「笑顔の無駄遣いだ……」
「それにしても兄さん。一つ質問をしてもいいですか?」
「俺に答えられることなら」
「猿でも分かる問題ってなんだろう……?」
「君の兄は人だよ」
リコちゃんは淡々と続けた。
「兄さん。もしかしなくとも、気になる異性が出来ましたか?」
「……え? わかる?」
「その異性の生死以外は」
「生だよ! 生! ぜったいに生!」
「最初から、生ですか……? 最初はつけたほうが……」
妹が盛っていた。
「訓読みだ、音読みじゃない」
ちょっと知的なツッコミをしてしまったな。
朝から鼻が高い。
「兄さん。逆です。音読みと訓読みの違いもわからないのですか」
「……まあいいさ。人は間違う生き物なんだ」
「法廷でも同じことが言えますか?」
「俺は何をしたの?」
「浮かれ野郎罪です」
「浮かれ野郎って……」
金髪碧眼の超絶美少女の朝の会話ではないが……、それにしてもウキウキしているところなど、どこで見られたのだろうか。
恥ずかしすぎるが、妹だし、兄の気持ちなんて手に取るようにわかるのかな。
「兄さんの思考を読めない生物なんてミジンコぐらいですよ」
「だから、ゴキブリにいつも逃げられるのか……!」
あいつらマジで日本語を理解しているからな。
「ちなみに兄さん」
「ん」
「その方の生死はとりあえず脇に置いておくとして」
「一番大事なの脇に置かないで」
リコちゃんは探るような物言いをした。
「その方、どこか、なにか、おかしいことはありませんか?」
「おかしいこと? おかしいって、例えばどんなことだ?」
おかしいっていっても、一概にはいえないだろう。
人それぞれの基準があるしな。
「鼻にビー玉をつめこんで授業を受けているとか」
「満場一致でおかしい!」
逆に会ってみたいよ、そんな人。
「私、ティッシュの玉なら経験あります」
「おかしいのは妹だったか……」
「おかしいですか?」
「おかしいでしょ」
「鼻血が出ただけですけど……」
「っく。たしかに普通だった……」
先入観が強いってよく言われるんだよな。
「ちなみに兄さんはご自身を普通だと思っているようですが……、本当は普通ではありません」
「バカっていいたいんだろ」
「普通のバカではないということです」
「もっとひどかった……」
リコちゃんは器用に納豆を口に運んでいくと、もぐもぐと小さな口を動かす。
まるで絵画に完璧に描かれた少女が、納豆を食っているみたいだ。
「たとえばユキ姉ですけど」
「ああ、たしかにアイツはおかしい」
「でも、おかしくなるのは、兄さんの前だけでは?」
「……まあ、たしかにそうだ」
何度も言うが、ユキは完璧主義といえるほどに、全てにおいて努力を重ねている。
勉強も、スポーツも、人付き合いだって、本当に完璧だ。
そいつらに俺の部屋でのユキを見せたら、俺がハメたと逆に疑われるくらいに、ユキの信頼は厚い。
リコちゃんは、もぐもぐと納豆を食べ続ける。
「私もそうです。兄さんの前以外では、とても優秀で、とても美しく、そして中学生ながらエロい体をしています」
「父さんが聞いたら泣くぞ」
「兄さんの前だけです」
「まあ、でも確かにそうだ」
リコちゃんも、俺の前だけこんな感じ。
他の人間の前だと、無口で無表情でただただ美しいだけの三枝リコになる。
……しかし、だからなんだ?
「兄さんには――」
リコちゃんは最後の納豆を口に運ぶと、ゆっくりと飲み込んだ。
「――内面に何かを隠しているような存在にとっての、天敵なんですよ? 兄さんを前にすると、どんなに巧妙に自分を隠していても、ダメなんです。本当の自分が出てきてしまいます。兄さんの体からは、そういうフェロモンが出ていると、長年の研究で判明しているのです」
「はあ……? 研究って、どこが研究してんだ」
「それはもちろん――」
月に一度のはずのリコちゃんスマイルが、なんと短時間で二回も出た。
「――リコ所長が務める、兄さん研究所に決まっているではないですか」
「なんだそれ……」
バカげた話だ。
まるでSFである。
仮にそんな能力があっても可視化されなきゃ、ないも同然だしな。
リコちゃんは食器を片付けると、話を終えたことに満足したのか、『お母さん、いってきます』とリビングに声をかけた。
それから俺を見て、楽しそうに一言。
「てへぺろ」
……我が妹ながら意味がわからない。
そしてそのネタはもう古いぞリコちゃん。
「俺も早く、登校するか……」
食器を片付けるために立ち上がる。
――それにしても。
本当に俺にそんな力があるとしても、秋葉先輩には関係などないだろう。
なぜかって?
だってあんな天使みたいな人に、裏表があるわけないもんな。
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