第2話 盗むぐらいの勇気はないのか

「あ、せ、先輩、こんにちは」

「……? あ、三枝くん、こんにちは。今日も、自習?」

「え、ええ。あの、ここ、いいですか」

「もちろん。図書館はみんなのものだしね。個別の自習席は、数すくないものね」

「はは……、そ、そうなんですよ、自習も大変で……」


 図書館の片隅、静かなる聖域。

 俺はあこがれの先輩に出会って、数秒で嘘をついていた。

 罪悪感をなんとか消す。勉強をしたくて図書室にきたわけではない。そんなこと、言わなくてもわかるだろう。


 秋を前に、やわからくなってきた日差しが差し込む図書室、一番角の長机。学園三年生の女子生徒『主代 秋葉(すみしろ あきは)』先輩は、そこに当たり前のように座っていた。

 

 目がくりくりとしていて、リスみたいに愛らしい。

 ふわっとした柔らかそうな髪は、カシューナッツ色。生まれつきらしく、染めていると噂されることは良くあるらしい。俺もその気持ちはよく分かる。だからか先輩の俺に対する視線は、とても自然で、それが心地よい。


 あと、先輩の胸はとてもふくよかで、母性にあふれていると思っているのだが、それをユキに話したら、『え、きも!? うわ、きも!? シね! レオなんて、シんじゃえ!』と叫んで自宅に走って戻っていった。大丈夫だろうか。

 完璧さがくずれていたが、帰り道に見られてないだろうな……。

 まあ、ご近所さんだし平気か。


 秋葉先輩の読んでいる本はジャンルとしては純文学らしいが、俺にはなにがなんだかわからない。でも、先輩が読んでいると、読みたくなってくるから不思議だ。


「先輩、今日は何を読んでるんですか?」

「今日は、これよ」

「……罪と罰?」

「ええ。ドストエフスキー。読んだこと、ある?」

「は、はは……、ど、どうだったっけ。聞いたことはありますね」

「とっても面白いから、読んだら、教えてね。色々とお話、しましょう?」

「! は、はい!」


 罪と罰。

 どっかできいたことがある。

 そうだ……、漫画版をどっかで見たことがある。

 よし、帰りに買って帰ろう。


 先輩は、俺の手元を見て、ふふっと笑った。


「三枝くん。勉強、しないの?」

「あ、し、しようかな!」

「ふふ……」


 そうして俺はしたくもない自習を始める。

 もちろん数学の公式なんて頭に入らず、俺の目は先輩の横顔と真っ白なノートの間を行ったり来たりしていた。


   ◇


 自室で漫画版の罪と罰を読んでいると、勝手知ったる他人の家といった感じで、ユキが俺の部屋のドアを開けた。


 それにしてもノックもなしにはいってくるのは、いかがなものか。


 一度、なにかを、なにかしようとしているときに急にあけられたときがあり、さすがに抗議したのだが、とうのユキは「え? なんの話してるの……? へそくりの隠し場所?」とマジで分かっていない顔をうかべるもんだから、べつの意味で俺は勝てなかった。


 さて、俺の読んでいるものを確認したユキは、「なんで、ドストエフスキー? 似合わなーい」などと言いながら、俺のベッドにダイブ。


「あー、目がつかれたー。目力が足りないぞー」などと言いながら、俺の枕に顔を押し付けて、ぎゅーっと抱きしめている。


 枕に顔をつけたまま大きく深呼吸をするのは、首周りから緊張をとるためらしい。

 同時に目を圧迫することにより、血流を良くし、疲れをとる効果もあるらしのだが、俺の枕でする必要はないと思う。

 まあいいんだけど。


「……先輩が、今読んでいるんだよ。だから、読んでる。読み終わったら、話をするんだ」

「え? 小説版と漫画版で何を語り合うの? うける。でも、それでこそレオだ。わたしは、とめません。存分に爆死してね。わたし、レオのためにお墓、買うからね」

「うるさいな。ほっといてくれよ」

「なによー。レオのほうから、わたしに相談してきたんじゃない。鼻息荒くしながらさ、『と、図書室で忘れ物を届けてくれた先輩の連絡先、調べるには、どうすればいいのかな、はぁはぁ』とかいってさ。うわー、きもっ。わたしなら、ばれたらアカウント削除するね。ブロックじゃものたりない」

「ちげえよ! 連絡先を交換できるくらい、仲良くなりたいだけで……」


 ……あれ、同じか?

 でも、とにかく、先輩の柔和な笑顔と、体からあふれ出る目に見えない癒し物質に、俺はやられてしまったのだ。

 図書室で反省文を書いているときに忘れてしまった私物を届けてくれた先輩。ああ、先輩……、まじで良い匂い……。


「……レオ、ほんとうに、その人に告白するわけ?」


 枕に顔をつっこんだまま、ユキが訪ねてきた。

 短いスカートがまくれて、パンツが見えてるんだが、あれは教えた方がいいのだろうか。

 正直、三歳離れた妹よりも長い付き合いなわけで、パンツ一枚では何も感じない。


「告白なんて……、する気はないけど……」


 まあ、うん。

 告白するわけじゃない。

 そういうのは、もういいって思うし。

 だから、ただちょっと仲良くなりたいだけなんだ。

 

 ユキはバッと顔をあげた。

 笑顔だ。眼精疲労は取れたらしい。


「だよね。レオにそんな度胸ないもんね! レオはそのまま、わたしに飼われるような人生に突入するといいんじゃないかな!」

「そんなルートはない」

「じゃあ先輩と仲良くなるルートはあんのー? あるんですかー?」


 にやにやとベッドの上で半身を起こすユキ。

 なんかむかつくので、バカにするように、言ってやった。


「パンツ、見えてるけど」

「……!」


 バッと、スカートを押さえるユキ。

 まじで今更の行動であるが、年頃の娘には効果てきめんだったか……いや、一才しか離れてねーけど。


「……レオのバカ! 変態! パンツ泥棒!」

「盗んでねえよ!?」

「盗むぐらいの勇気はないのかー! ばかー!」


 よく分からないことを叫びながら自宅へと走って戻っていったユキ。

 はぁ……。あれで世間体は完璧なんだから、怖いよ。一年後の生徒会長って言われているやつの言葉ではない。

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