21 英信の話


 根来と祐介はその騒動の後、英信と時子の部屋に訪れた。

 英信と時子は、ひどく落ち込んでいる様子であった。それはそうだろう。尾上家の内部分裂は傍目から見ても、ひどい有様である。

「色々、お聞きしたいことがあるのですが」

 と根来が言うと、英信は深く頷いた。

「分かりました。何のことでしょうか」

「東三さんと双葉さんのことです」

「そうですか。しかし、私たちは、彼らのことをあまりよく知らないのです……」

 英信がそんな風に言ったので、根来はキツネにつままれたような気分になった。

「何ですって?」

「いえ、あまり気分を悪くしないでください。確かに、父に愛人がいることは知っていました。しかし、私の母というのは、あまり父のことをとやかく言う人間ではなかった。というよりも、形式的な結婚であったという面が強いので、あまり関係がなく、私もこの年になるまで、潤一さんとしかお会いしたことがなかったのです」

 そうだったのか。根来は祐介の方を見た。祐介はそれを聞いて、何かを考えているようだった。

「すると、東三さんや双葉さんとは、昨日、初対面だったのですか」

「ええ、でも母から話だけ少し聞いたことはありましたから。母もあまり知らなかったとは思うのですが、東三さんは料理人を目指しているらしいとか、双葉さんは剣道に熱心らしいとかね。だから、ああ、こういう人間だったのか、とは思ったのですが、まあ、それぐらいのものです」

 根来は頷いてから、さらに尋ねた。

「それで、東三さんから手紙が届いたのですね?」


「ええ。とにかく、六月中に青月島に集まろうという話でして、向こうが持っている暗号を公開するということでしたから、もうこれは行かんと! と思いまして。しかし、よく考えてもみれば、こんな話、乗らん方が良かったのかもしれませんね」

 英信は、いかにも後悔をしているといった口調であった。

「その後、東三さんから電話があったのですか?」

「ええ。その手紙には電話番号が書いてありまして、それを見て、慌てて電話をかけたんです」

「そうですか。なるほど」

「その後、五月中に双葉さんからも葉書が届きましてね」

「葉書が? その内容は」

「ええ。この集まりに参加するのでよろしく、と言った程度の内容でしたね」

「なるほど」

 英信はその後、しばらく気落ちしたように、何も言わなくなった。

 根来と祐介は、英信の部屋から出ると、そのまま地下室へ向かった。それは日本刀を確認する為だった。果たして、東三を殺傷したのはこの日本刀だったのか。地下室に降りてみると、何本か置いてあったはずの日本刀は今や一本しか残っていない状況であった。

「おい。一本しか残っていねえぞ」

「そうですね。犯人は一本では刃が欠けたりして、何人も切れないと思って、まとめて何本か持ち去ったのでしょう」

 祐介がそんなことを言ったので、根来は不満そうな顔をした。

「それじゃ、犯人はまだ人を殺すつもりか?」

「そうかもしれませんね。何にしても、犯人の思い通りにさせる訳には行きません」

「そうだな」

 根来は深く頷いた。


 その後で二人は二階に上がった。そして廊下を歩いて行き、一つのドアの前に立ち止まったのである。

「ここが双葉の部屋か」

 根来はそう言いながら、ドアノブに手をかけた。てっきり施錠されているものと思っていたが、鍵はかかっていなかった。

「双葉は、部屋の鍵をかけないで外出したのか?」

 根来は首を傾げた。祐介は何か考えがあるらしかったが、いつものように考えを口に出さなかった。ドアを開けてみると、ベッドは乱れていないし、机の上には鍵が置かれていた。そして、床にはボストンバッグが置かれていたのである。

 祐介が、そのボストンバッグを開けると、着替えやタオルといった旅行に必要なものがいくつも出てきた。しばらくして祐介は、

「ありませんね」

 と言った。

「何がないんだ?」

「携帯電話です」

「携帯電話? ここではどっちにしても使えねえよ。だから、初めから持って来なかったんだろう」

「ええ。でも、これは何ですかね」

 祐介は、そのボストンバッグから、葉書のようなものを見つけた。

 その葉書には、ボールペンで、


            *


 初めまして、双葉です。東三さんからもお聞きしているとは思いますが、私もこの度の青月島の集いに参加することに決めました。どうぞよろしくお願い致します。


                  長


             *


「なんだこりゃ。書きかけの葉書か。英信に送った葉書の下書きかな。だが、この「長」って何のことだろうな」

 根来は、意味が分からなそうに首を傾げた。祐介はその「長」の文字をまじまじと見つめていた。

 それと祐介は、ボストンバッグの中から、薬の袋を見つけた。中には、食後に飲むカプセル錠が入っていた。祐介はさも面白そうに、そうしたものを眺めているのだった……。


 そうこうしている内に、気がつけば昼になっていた。根来と祐介は、ダイニングルームのテーブル席に座って、昼食を楽しみに待っていた。しかし誰も上階から降りて来なかった。根来は、腹がグウと音を立てたので、たまらなくなって首を傾げた。

「おかしいなあ。誰も飯を食べに降りてこねえぞ」

「おかしいのは、僕たちの方じゃないですかね?」

 祐介がそう言ったので、根来はしばらく考えて、

「それもそうだな。殺人が起きて、身内に犯人がいるかもしれねえんだからなぁ」

 と言いながら、台所に歩いて行った。見れば、米も炊けていない。こんな状況では、当たり前と言えば当たり前だが。台所の至るところをひっくり返してゆくと、素麺があった。根来と祐介は、二人でその素麺を茹でて食べることにした。

 しばらく後、根来と祐介は、二人でテーブルを囲んで、黙々と氷で冷やされた素麺をすすっていた。時折、氷の音がカランと響く。しばらくして、英信が降りてきて、お化けでも見つけたように、この様子をじっくり眺めていた。

「ああ、英信さん。あなたも食べますか?」

「い、いえ、結構です。ところでみんなは?」

「いや、誰も降りて来ませんねえ」

 英信は少し呆れたような顔をして、ダイニングルームをおずおずと出て行った……。

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