17 朝食

 祐介は考える。双葉に双子や瓜二つの人物がいるかどうかは、英信に尋ねてみるのが良いだろう。しかし、そもそも、英信は双葉という人間のことをどれほど知っているのだろうか。そもそも、このあたりから疑わしい。

 それよりも、東三の死体が密室で発見されたのはどのように説明できるだろう。現場となった部屋には廊下側のドア、裏口のドアの二つの入り口があったが、廊下側のドアにはシリンダー錠、裏口のドアには閂がかかっていた。同じように部屋の窓には閂がかけられていた。ベッドの枕元の机の上には廊下側のドアの鍵が置かれていて、根来がすぐさま、鍵穴に差し込んでそれが本物であることを確認している。

 あの時、現場に居合わせた幸児と未鈴のどちらかが、持っていた鍵を、どさくさに紛れて机の上に置いたのだろうか。いや、そんなはずはない。二人が部屋に雪崩れ込むよりも前に、机の上に鍵が置かれているのを祐介は目撃していた。

 もしも、この鍵を先に手に取ったのが幸児や未鈴であったら、話は簡単である。あらかじめ偽物の鍵を机の上に置いておいて、本物の鍵に見せかける。そして、自分の手の中に本物の鍵を隠し持っておいて、偽物の鍵を拾った時に、手の中で本物の鍵とすり替えて、本物の鍵を根来に手渡せば良いのだ。

 しかし、あの時、あの二人は鍵に指一本触れていなかったのである。あの鍵を誰よりも先に手に取ったのは、根来だったのである。


 すると、殺害方法に何らかのトリックがあるのだろうか。犯行が行われた時、犯人は室内にいたものと考えているが、実際は室外から殺人が行われたのだとしたらどうだろう。例えば、犯人は窓の外から長槍で被害者を突き刺したとか。しかし、長槍のような凶器が入り込めるような僅かな隙間すらも、あの部屋にはなかったと思われるのである。

 それに、あの腹部の傷は、日本刀のよるものであることはほぼ間違いないだろう。しかし、日本刀では、被害者の倒れていた位置には、どうにも届かないのである。

「根来さん」

「どうした」

「あの密室、どう考えます?」

「それはお前の専門だろ。俺に聞くなよ」

 祐介は耳を疑ったが、根来は顔を洗いに洗面所に向かった。

 爽やかな朝である。窓の外を見ると、夏の雲が立ち昇っていた。青い海が午前中の陽気の中で、輝きを放っている。朝の明かりのせいで、部屋の中は少し薄暗く感じた。電灯を点ける。外の明かりが強すぎるせいで、あまり明るさは変わらなかった。

 祐介は、殺人が起こったことなど忘れてしまって、ほっとため息をついた。

 コーヒーが飲みたいな、と思った。


 二人は洗面所に訪れて、さっぱりと整えると、二階と三階に訪れて、一人一人の無事を確認した。

 まあ、眠れた人物はあまりいなかったようである。それは当然だろう。すぐに、ダイニングに人が降りてきて、富美子と時子が料理を作り出す。それ以外の人間は、皆、浮かれない顔で座っている。

「犯人は……この辺にいるのでしょうね」

 英信は、妙な表現だが、浮かない表情を浮かべて根来を見つめた。

「何とも言えませんが、犯人が漁船のようなものを所持しているのなら、もう島から出て行ったかもしれません」

「漁船ですか」

「犯人は、我々と同じ船に乗ってきた訳ではありますまい。すると、犯人は船を持っているはずです」

 反対にそれがどこにも無ければ、すでに帰ってしまったのか、それとも自分たちと一緒の船に乗っていた人間の中に犯人がいるかである。

 一つ、海岸を一周してみようか。根来はそう思った。死体の現在の状況も気にかかる。

 こんがりと焼き上がった五枚切りのトーストに、根来がバターをたっぷり塗り付けると、北海道産のバターは熱さでとろけた。それに片面焼きの目玉焼きが二つずつと鎌倉のソーセージが三本ずつ。それと生サーモンと玉ねぎとレタスのサラダが、小皿に盛り付けられていた。

 根来は(こんな時でも、しっかりとした朝飯をつくるんだな)と変に感心した。それは尾上家という大それた家柄によるものだろう。普通の家ならば、殺人が起こった翌日なんて、カップ麺で我慢させられるところである。もっとも、カップ麺なんか誰も持ってきていないのであるが。


 オレンジジュースと牛乳が置かれていたので、根来は(男の朝は牛乳だ)と意味もないことを心で呟くと、風呂上がりでもないのに、それを一気に飲み干した。

「いやぁ、美味しいですなぁ」

 満足げに根来が呟くと、まわりの人間は同意しかねると言った顔をしていた。それもそのはずである。これは殺人の起こった翌日なのである。

 根来と祐介は、殺人に慣れてしまっているので、まったく気にもせずに朝ごはんに食らいついている。それを、まわりの人間はぼんやりと呆れたように眺めている。ここに第三者が居合わせならば、この温度差を皮肉とも滑稽とも思ったことであろう。

 根来はトーストを三枚もお代わりして、トースターは休む暇がなかった。そればかりでなく、他の人間が食欲不振を訴えたので、多くのトーストが根来にまわってきたのだ。

 なるほど、このトーストは外はこんがりと焼き上がっているが、中はふんわりとしていて実に柔らかい。それに驚くほどの弾力なのである。一口かぶりつくと、小麦の良い香りが立ち上る。その生地は、自然な甘みが溢れていた。

 鎌倉のソーセージも肉がぎゅっと詰まっていて、味わいが実に濃厚である。皮がぱりっとしていて香ばしく、中はジューシーなのであった。

 サーモンの乗ったサラダもぺろりと平らげてしまって、根来は、

「皆さん。あまりはかどっていないようですな。え、お代わりですか。それなら皆さんの分も私が頂きましょう。いえいえ、そんなに盛らんでも大丈夫です。ああ、こんなに良いのですか。え、他に食べる人がいない? そういうことでしたら、頂きましょう」

 毒でも食らって死んでしまえ、と周囲の人間に思われていたかもしれないが、根来は富美子にサラダを山盛りにされて、それを瞬く間に平らげた。根来の頑丈な体も、この食欲が生み出しているのかもしれない。

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