16 アリバイトリック

 祐介と根来はソファーの上で眠っていた。祐介は根来よりも先に起床して、あたりを見回すと、これはまずいと焦りだした。それもそうだろう。「夜中は自分たちが巡回していますから、どうぞ安心してお休みください」なんて、尾上家の人間に言ってしまったのだから。それなのにこんなところで、迂闊にも眠ってしまうとは探偵失格である。すでに誰か殺されてやしないだろうか。

 祐介に少し遅れて、根来も起床してきた。そしてすぐさま状況を理解した。それにしても「夜中は自分たちが巡回していますから、どうぞ安心してお休みください」なんて馬鹿なことを言ったものだ。大体、各人を部屋なんかに返さず、尾上家の人間をまとめてこのリビングに集めて寝かしておけば簡単だったじゃないか。勿論、そんなことを提案すれば、あいつらは文句を言うかもしれないが。

 ただ何よりも、尾上家の人間に、二人してソファーで寝入っているところなんかを見られなくて良かった。いや、すでに誰かに見られたのだろうか。二人に一陣の不安がよぎる。

 しかし、そんなことを忘れさせるくらいに外の天気は晴れ晴れとして爽やかだった。

「なあ、羽黒。昨日の第二の殺人のことだが、全員にアリバイがあるということだったよな。だが、俺はこんなことを考えたんだ」

 と根来はなにかを語り出そうとする。

「いつ考えたんですか」


「昨晩、寝ながら考えたんだよ。うるせえな。いいから黙って聞け。潮の満ち引きっていうかな、それが事件と関係している気がしてならないんだ。双葉の死体は浜辺で波にさらされていただろ。すると、死体は波によってどこかから運ばれてきたんじゃないのか、とこう思うんだよ」

「波に、ですか」

「そうだ。だから実際は、双葉は洋館のすぐそばで撲殺されたんじゃねえのかな。その死体が、海に捨てられて、波に運ばれて、あんな遠くの浜辺に打ち上がったんじゃねえのかなと思うんだ。もしそうだとすれば、十分や二十分の時間でも、充分に犯行は可能だろ」

「根来さん。残念ながら、そのトリックは不可能だと思います。確かに発見時、死体は波にさらされてはいましたが、死体がそっくりそのまま運ばれるほど、海水に浸かってはいませんでしたよ。それに打ち上げられたにしては、死体は海から離れていました」

「まあな。しかし、それだとしてもだな。例えば、死体発見時にあの場に居合わせた人間の誰かが、発見される前に、死体を島側に引きずったのだとしたらどうだ」

「そんな痕跡は、どこにもありませんでしたよ。死体は引きずられてはいませんでした」

 根来は駄目かと思って、頭を押さえた。

「じゃあ、違うか。しかし、もうちょっとこの方向性で考えてみようとは思うが……」

 根来はぼんやりと言ったのであった。

 確かに根来の言う通り、潮の満ち引きがトリックに関係しているというのは実に面白い発想である。しかし、一時間程度で、そんなに海水の量が変化するとも思えない。祐介が死体を発見した時に目撃した程度の水かさでは、どうにもなりそうにない。


 アリバイトリックというのは、A点を犯人の居場所、B点を殺害現場とした場合、犯人はA点からB点にどうやって移動したか、という問題である。しかし、欺かれてはいけないと祐介は思う。そもそも、このA点からB点に移動するということ自体が、引っ掛けなのではないか。犯人は本当に、A点からB点に移動しなければ殺人を犯せなかったのだろうか。

 まずは、この点から疑わなければならない。犯人はA点にいながら、B点にいる被害者を遠隔的に殺害したのではないか。あの石をどこか木の上にでも縛り付けておいて、時間がくると勝手に外れて、被害者の頭に落ちるようにしたのではないか。そんな突飛なことを考えても仕方ないが、機械的な仕掛けとはあり得る話だ。

 また被害者の死体は、本当に最初から、あの浜辺に横たわっていたのだろうか。根来の推理には無理があると祐介は言ったが、実際、死体は初め、洋館から歩いてすぐのところに転がっていたのではないだろうか。つまり殺人はまずA点で行われた。それからB点に何らかの力によって移動されたというのである。しかし、そのような動力は何か。やはり根来の言うように海水なのだろうか。

 または海水なんかの力を使わずに、犯人が自力で、九時以降に死体を引きずってあの浜辺に運んだのだとしよう。といっても、九時以前にしても、九時以降にしたところで、誰一人として、そんな時間的余裕はなかったことだろう。

 アリバイのある時間に殺人が行われたと見せかけるトリックはどうだろうか。つまり実際はアリバイのない時間に犯行が行われたというのである。

 もしも殺人が、実際には犯行推定時刻よりも後に行われたのだとしたらどうだろう。例えば、実際には被害者はずっと生きていて、あの浜辺を散歩していただけだった。そして、英信、幸児、未鈴の三人の内の誰かが、根来と祐介を探している振りをしながら、先に双葉を見つけて、その時に撲殺したというのである。

 しかし、死体は実際に死後一時間以上経過していることが、確認されているのである。つまり、この線も薄くなった。

 それでは、殺人は実際には、犯行推定時刻よりも前に行われたというのだろうか。この場合、双葉が生きていたとされる時刻、つまりは双葉が夕食を食べているのが目撃された時刻、彼はすでに、あの浜辺に死体として横たわっていたということである。

 すると、あの夕食の席にいた人物は、双葉の影分身だったとでもいうのか。すると、双葉の双子説が出てくる。あるいは、双葉と瓜二つの人物がこの島に潜んでいるということになる。

 なんだか、祐介はこのトリックで、推理小説でも書こうかなという気分になってきた。なかなか面白い推理である。しかし、どうも現実的とは思えない。

 それとも、リビングやダイニングの時計をずらすなどして、時間を錯覚させるトリックだろうか。しかし、それも上手く成立しなかった。

 双葉の双子説を、根来に話そうか、祐介は考えた末にやめておいた……。

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