2 羽黒と根来
「なんだか知らんが、旅行気分だなぁ」
広がる青い海、霞んでいる雲、暖かい陽気、のどかな港町がパノラマで広がっている。色のくすんだ低い建物がいくつも並び、見渡す限り、歩いている人もいない。つんとした匂いの潮風が時折、強く吹いてくる。目の前には汚れた色の漁船があって、そこにはあごひげを生やした漁師風の男が立ったまま、ぼんやりとこちらを見つめている。
「根来さん、こんなところで缶ビールを握っているのを見たら、
探偵の
羽黒祐介は、池袋に事務所を構える私立探偵である。来年、三十歳になる。彼は、流れるような黒髪、色白な素肌、整った輪郭、優しげながら憂いを帯びたふたつの瞳をもった絶世の美男子だった。おそらく、人類史上、最高の美男子だろう。
「馬鹿だなぁ、お前は。まだ何も起きてねえんだから、ビールぐらい飲んでもいいじゃねえか」
「何か起きてからじゃ遅いでしょうが」
根来は、そんなことを不満げに言う祐介を尻目に、海の景色を眺めている。
「このへんだよなぁ、幸児さん、たぶんいるんだが、ああ、すいません」
根来はその辺にいる漁師風の男に話しかけた。
「このへんで若い男の人、見ませんでしたか?」
「そりゃあ、見ますけど……」
「そうですか、そうですか。それで、どちらに行きましたか?」
「若い人とだけ言われましてもねぇ」
漁師風の男は困ったように笑った。
「そうですか。じゃあ、青月島という島を知ってますかね?」
「青月島、ああ、あの島ですか。あそこは行けませんよ。昔から尾上さんっていうお家の持ち物だから……」
「その尾上さんに呼ばれましてね、あそこへ向かう漁船があるはずなんですよ」
「あそこへ向かう漁船? 青月島へ? そりゃあ、聞いてないなぁ。ちょっと待っててくださいね」
漁師風の男は、携帯電話を取り出すと、何事か話し合っている。そして、携帯電話をしまうと、首を傾げて、
「わからんですなぁ。ちょっと。港っていうと、このあたりしかありませんから、たぶんここらにあると思うんですがねぇ」
根来は満足げに頷いて、漁師にお礼を言った。そして、すぐに祐介の方に振り向いて、
「このへんにあるだろうってよ」
「聞いてましたよ」
根来は愉快そうに笑いながら、振り向いた。すると、そこにはこちらに歩いてくる若い男の姿があった。
爽やかな印象の人の良さそうな好青年、決して美男子とまではいかないが、愛嬌のある好まれる顔つきである。どんな悲惨な状況に追い込まれても、笑ったような顔しかできないのではないかという気がする、極端に明るい顔つき。白い歯が自慢なのか、前歯はいつも口元から見えている。出っ歯というのではなく、口の形が常に半月型に微笑んでいるからである。
この男が今回の依頼人の尾上幸児である。
「ははっ! 根来さん、羽黒さん、ようこそおいでなさいました。ここがどこだか分かりますか」
「新潟県です」
「正解ですっ! 山梨県民は武田信玄公を崇拝しているのですが、ここは上杉謙信の領地。私たちにとっては敵地です。あなた方も気をつけてください」
「何を気をつけろと言うんだ」
根来は真面目くさった顔で、その笑っている男を見つめた。
「すみません。冗談ですよ。さあ、あっちに皆さん、集まってますから」
「俺は山梨県民じゃねえぞ。群馬県警の鬼根来だ。覚えておけ」
「なんで、ここで啖呵を切っているんですか。行きますよ」
酒に酔って変なテンションになっている根来警部を、二人で引っ張って、港にある「越後屋」という料理屋に入っていった。
「皆さん、群馬県警の根来警部と私立探偵の羽黒祐介さんが到着しました」
料理屋に入ると、すぐさま、座敷に座っている集団が振り返り、その中から一段と太った男が立ち上がって、
「どうも。初めまして。わたくし、尾上英信と申します」
「ほぉ、あなたが英信さん。ああ、これはこれは、私は群馬県警の根来拾三と申します。群馬の鬼根来とは私のことでございます。んで、こいつが羽黒祐介と言って、池袋に探偵事務所を構えているケチな野郎でございます」
「よろしくお願いします」
祐介はおじきをしながら、根来の背中をつねった。
「はぁ、なんかいてぇな。まあ、いいや。こうして私たちが揃ったからには、もう大丈夫でございます。いかなるトラブルも解決いたしますから」
「そのこと、そのことなんですがね」
英信はけっつまずきながら、慌てて座敷から降りてきて、根来と祐介の近くに寄ると、二人を店先に連れて行った。
英信は、一段とかすれた小声になって、
「なんと言いますか、今回はそういう依頼ではないのですよ」
「えっ、しかし、幸児さんの話では、護衛をしてほしいというような話だったと思うのですが」
「ええ、そりゃあ、もちろん。もちろんでございますが。あの
「はあ、というと、何です」
根来は訳が分からなくなって、眉をひそめた。祐介もぼんやりとして英信の顔を見ている。
「なんと言いますかね。つまり、あの東三という男が暗号を解いて、埋蔵金を手に入れるというのは大変に筋違いだと思うのですね。だって、そうでしょう? あの男は所詮、愛人の子なんですよ?」
「ふむ」
「それだというのに、あの暗号を持っていたのは父の愛人の子の潤一という男でした。それが私には不満でたまらない」
「そうでしょうなぁ」
根来は感情のこもらない返事をした。なんだか、酔いが覚めてきてつまらなくなってきたのである。羽黒祐介はそれに気づいて、笑い出しそうになっていた。
英信はそれに気づかずに興奮した調子で喋り続ける。
「私があなた方にお願いしたいのは、暗号を解いてほしいということです。安全は守っていただいてもかまわない。ええ、それはそれでそうしてもらいましょう。是非とも。しかし、何よりも暗号を解いていただいて! それも、あの東三という男よりも先にですよ。あいつに先を越されたら何の意味もないんだ。いいですかな。これは競争なんです。うさぎと亀が競争をしたら、亀が勝たないといけないんですよ! 分かりますか」
よく分からない例え話をする。根来はつまらなそうに眉をしかめる。
「はあ、で、亀がどちらですか」
「亀はあいつですよ。頭の回転がのろいから。あはは……。まあ、それはそれとして、私がお願いしていますのは……」
「ん? 亀が東三さんですか? でもさっきの話だと亀が勝たないといけないと仰いましたよね」
「亀が勝たないと……。ああ、じゃあ私どもの方が亀ですね。私どもが亀だから、あいつはうさぎということになりますね」
「うん」
祐介はだんだん眠くなってきて、根来と顔を見合わせて、アイコンタクトで「こいつの話、早く終わらないかなぁ」と話し合った。
「要するに何ですか、暗号を解いてほしいということなんです」
「そういう話でしたなぁ」
根来はあからさまに不満そうな声を出した。
「しかし、どうでしょうねぇ。東三さんの方は、私たちみたいな助っ人を呼んでいないわけですからねぇ。遺言の趣旨を考えると、フェアじゃありませんよね」
「フェ、フェアなんて気にしてられるか。巨万の富なんだぞ!」
英信は目を見開いて不満げに声を荒げた。
「どうするんだ、羽黒。話と違うじゃねえか」
「そうですね。ただの暗号ではなく、遺産金の相続に関係しているものですからねぇ、この問題に私たちがあまり関与するのは良くありませんね」
「何言っているんだ、あんたら。お、おい、巨万の富なんだぞ! 」
根来はだんだん腹が立ってきて、鋭い目つきで英信を睨みつけた。それが鬼のように恐ろしかったので、英信は思わずウッと喉の奥で息を殺したのである。
それを見ていて、ようやく祐介は口を開いた。
「こうしましょう。私たちの意見は、東三さんもいる席で述べます。それでいいですね」
英信は頭をかきながら頷いた。
「そうですね。また島の方で相談させていただきます。まあ、これには成功報酬というものも考えておりましてね。いえ、とにかく島に行ってからまたお話ししましょう。悪く思わんでくださいね」
と英信は、変にニコニコと愛想を振りまきながら、二人を料理屋の中に案内したのであった。
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