IF 稲妻を呑む炎

 かつん、かつん。硬い靴底が床を叩く音が聞こえる。玉座に収められた少女は、血液を抜く機械に繋がれたまま、静かに虚空を見つめていた。そんな彼女の身体に影が落ちる。


「……シンティラ」


 それまでずっと、何百年も動かなかった少女の指がぴくりと動いた。その名で少女を呼ぶ存在は、父なるかの竜を除いて、ただ一人。


「お、にい、さま」


 随分と長いこと使われなかった声帯が震え、か細くあどけない少女の声がそう呟く。ゆらゆらと、うまく動かせぬ手を伸ばして、兄である青年に触れようとした。彼はその細く病的に白い手を取り、包み込むように握る。あまりに冷たいその手には血の気がない。簡単には死なぬからと、ぎりぎりまで血を抜かれる苦痛はいかほどのものか。心を閉じるに至った理由は、他にあるのだけれど。

 仮面の奥に表情を隠している青年の、その大きな手が微かに震えているのを感じれば、少女は緩慢な動作で彼を見上げた。どんなに目を凝らしても、青年が何を思っているのかわからない。ただ、その大きな身体がやけに小さく見えて、少女は口を開いた。


「……なか、ないで。」

「泣いてなど、いないよ。」


 青年は膝をつく。朧気だった父なる竜の気配が、徐々に強くなってきている。恐らくもう少ししたらこの気配が視線になるはずだ。父はまだ少女に死を許していない。だが、このまま永遠に苦痛の中に置くことを、少女の兄であるこの男は許すことができなかった。連れ出せたらどんなに良かっただろう。しかし全て手遅れなのだ。

 青年は、これが最後のチャンスだとわかっている。だが、こんなに幼い肉親を、この手にかけることに躊躇いがあるのも事実。おしゃべりが好きだった彼女と最後くらい沢山話してやりたかったのだが、そんな時間はない。

 立ち上がる。剣の柄を握った。世界の美しさも、人々の優しさも、その綺麗なもの全てを知ることができなかった、哀れで愛しい妹の無垢な視線がついてくる。


 ――ああ、真白の光を纏う者よ、答えてくれ。何故彼女は望まぬ行為ばかりを強いられねばならなかったのか。何故我が家族の中で最も純粋で、最も清い彼女が、こうならねばならなかったのか。

 何故、この世はこうも優しき人を傷つけるようなものになってしまったのか。


 彼は世界を呪う。呪って、呪って。果てに最も嫌悪すべき方法を取ることにした。――王と呼ばれる者よ、父なる大地よ、母なる海よ、愚かしき弟たちよ。道を違えた神など消え去ってしかるべきだ。お前たちの作った退廃と停滞に満ちたこの世界など、お前たちごと全て喰らって生み直してやる。そして、それが全て終わったら、私も消え去ってしまおう。それが、きっとこの世界のためなのだ。


「……これで、痛いのもつらいのも全部おしまいだ。……我が最愛の妹よ、俺を許さないでくれ」


 ごう、と、勢いよく溢れ出した焔が揺れた。それはかつて戦場で見たものよりも煌々と輝き、少女の網膜にその赤色を焼き付ける。それは太陽のように熱く、少女は身体が溶け出していくような錯覚を覚えた。

 それは、彼の少女に対する深い愛情だった。死なせてやることしかできない彼の、せめてもの贖罪だった。

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叙唱されるもの 小話 ゆずねこ。 @Sitrus06

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