女装
アスターは目元をなぞるように動くそれがあまりに擽ったく感じて思わず身じろぐ。その顔を固定しようとチカゲの手が頬を掴んだ。
「こら!動いちゃダメですよぅ。」
「……だが……こそばゆくて……」
「我慢してください」
ぐう。アスターは観念したように目を閉じた。チカゲはよしと大きく頷いて、口紅を手に取る。顔に絵を描かれるとこんな感覚なのだろうなあとアスターは思った。
彼は女装する羽目になっている。事の発端は彼がチカゲの耳を齧ったことだ。力加減を誤って牙を立ててしまい、それに怒ったチカゲのご機嫌取りに着せ替え人形代わりにされていた。そういえば、アスターとチカゲでは明らかに身長差があるのだが、服はどうするのだろうとアスターは内心不思議に思う。化粧が終わりましたよという声に目を開いた。アンバーと目が合う。何故ここに、とは最早愚問だ。アスターは嫌な予感がした。
彼女は「随分可愛くなったじゃないか」と軽口を叩いてからチカゲに向き直る。
「やあ。服を持ってきてあげたよ。」
「ありがとうございますぅ。ちかげだと妙な顔されるから嫌だったんですよねぇ。」
「……ちかげが選んだものでは無いのか」
アンバーとチカゲのやり取りを聞き、アンバーがチョイスした服を着るのかとアスターは嫌そうな顔をする。続いて言われた言葉にチカゲはへぇー?とにんまり笑った。
「俺の選んだ服のが良かったの?」
「そうだが。」
アンバーよりもチカゲの方が信用できる。それにどうせ着るなら同じような雰囲気の服が良かった。チカゲはすんなり肯定したアスターにぽかんとして、そういうとこだぞ、と言う。何の話だろうとアスターが首を傾げ、その隙にアンバーは服をチカゲに渡した。
「?何故チカゲに渡す?」
「一人で着れないかもしれないだろう?」
「……」
失礼なと思いつつも否定できない。女物の服は時折訳の分からぬ複雑さを有している。大人しくチカゲの手を借りて着替えることにした。
チカゲに言われて人に擬態した後に、彼を見つめる。アスターが脱ぐのを待っていたチカゲは、いつまでも脱がないアスターにん?と言いたげな顔をした。
「なんで脱がないんですかぁ?上から着るのはなしですよぅ。」
「脱がせてくれないのか?」
「……まさか脱げないんですか?」
「いや?」
自力で脱げない訳では無い。もしそうだとしたら室内着にも着替えられないだろうと不思議そうな顔をアスターはした。じゃあ何で自分で脱がないんだよ!と言いたげなチカゲだったが、渋々アスターの服に手をかける。そこで一旦手を止め、チカゲは出てけというジェスチャーをアンバーにした。しかしアンバーは出ていかない。少しの押し問答の後アンバーはやれやれと背を向けた。
「……今のやり取りはなんだったんだ?」
「見るなよって言ったんですぅ。」
「そうか。」
チカゲは手際よく服を脱がせ、片手に持っていた服を着せる。どういう訳かサイズはぴったりだ。
姿見をチカゲが引っぱってくる。アスターは大人しく鏡を見た。元々顔の整っている彼が化粧をしたら女性らしくならないわけもなく。強いて言うなら少し体格の問題があるが、服のおかげである程度は誤魔化されている。
「ちかげの腕は衰えてないようですねぇ。」
満足気に頷いているチカゲを横目に、アスターは意外にも普段彼が着ているようなタイプの服を選んだアンバーに驚いた。アンバーの着ている服と似通った物を渡されるのだとばかりに思っていたのである。
ひょこりとアンバーが覗き込んできた。
「やあ、お気に召したかな?」
「……わざわざ買ったのか?」
「ははは、流石の私でも自分のサイズに合わない服は持ってないからね。」
女性にしては高身長な彼女でも、確かにアスターよりは背が低い。なるほどと頷きつつも、わざわざこの為だけに服を買った彼女に若干の戦慄を覚える。
それ、あげるよなどと言われるが、アスターにこれから先着る予定はない。
「女装したまま一緒に出かけたらどうだい?何人の男に声をかけられるか試したら面白いことになると思うよ」
「嫌だ。」
「そうですよぅ、ただでさえ女の悲鳴が凄いのに……」
どうやらチカゲもそれについては否定的なようだ。アスターはホッと胸を撫で下ろす。いくらチカゲの頼みでも、男に口説かれるのは流石に嫌だ。アンバーはつまらなさそうに肩を竦める。それからああそうだとアスターを見た。
「写真撮っていいかい?」
「出ていけ」
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