山もオチもないれいとる
「そこの鴉さん。ちょっと。」
聞き覚えのない女性の声を疑問に思いながらも、レイヴンは声の主を振り向いた。そこにいたのは鹿の獣人だろうか、ツノと耳を生やした女性。そしてその腕の中に彼の恋人が抱き抱えられていた。どうやら意識もない様子。顔が真っ赤な状態で気持ちよさそうに寝ているから、原因の検討はつくのだが。
何があったのかをレイヴンが尋ねる前に、その女性が口を開く。
「私はインノツェンツァ。最近群に来た、トルエノの同郷。水の竜。」
そういえばこの間竜族の数名に対する愚痴をトルエノが言っていたな、とレイヴンは思い出した。どうやらその内の一人らしい。
「なるほど。それで、彼女は何故そんな状態に?」
インノツェンツァは何やら別のことを言おうとしていたようだが、それより先にレイヴンが尋ねたことにより口を微妙に開いたまま固まる。むに、と口を閉じ、それから改めて話し始めた。表情は最初から変わらずの無表情であるため何を考えているかはわからないはずなのだが、こころなしか残念そうな空気を感じる。
「お酒を呑ませたら寝てしまったので困っていた。あなた、トルエノの番でしょう。私は部屋を知らないし、送っていけないから任せたい」
「……」
なんだか既視感を感じる。前にも同じようなことがあったような、と思いつつレイヴンは苦笑を口元に浮かべた。トルエノは未だにすやすや気持ちよさそうに寝ているし、仮に起きたとしてまともに自室に帰ろうとはしないことを彼はよく覚えている。その上断る理由も特には思いつかなかった。
「わかった。彼女をこちらに。」
レイヴンが腕を差し出すとインノは腕を伸ばして抱えていたトルエノを渡す。腕から腕に渡されたというのに、トルエノは起きる気配がない。
「じゃ、後は頼んだ。」
インノはびしっと敬礼をかまし、すたすたとその場を足早に去って行った。彼女はかなり酒が好きであり、さっさとトルエノを押し付けて酒を飲みに戻りたかったのだが、レイヴンには知る由もない。
レイヴンは長く息を吐くと、そのままくるりと踵を返し寮へと足を進めた。
・
自室に入り、寝台にトルエノを下ろす。トルエノが起きたら次からは極力アルコール類を呑まないように、と言い含めなければならない。レイヴンが外套を脱いで寝る支度をしていると、トルエノが目を開く。しかし顔はまだ赤く、熱っぽい。酒気が抜けたわけではないようだ。顔を覗き込むと、トルエノははふ、と息をついてじぃっとレイヴンを見上げる。
「……れーゔんさま?」
「おはよう。……水は飲めるかな?」
サイドテーブル上の水差しにレイヴンは手を伸ばした。しかし横から伸びてきた手がその腕に絡みつく。
「トルエノ?」
レイヴンの問いかける声には答えず、トルエノはぐるる、と喉を鳴らし、絡め取った腕に頬をすりつけて甘え始めた。いつの間にやら耳と尻尾が出ている。普段彼女は自分のことを竜だと言い張るが……レイヴンは苦笑いを浮かべた。尻尾に触れ、毛並みに沿って撫でる。トルエノは気持ちが良さそうに目を細め、その姿を人型から大型犬ほどの竜体に変えた。座るような状態からごろんと横になる。腹部を晒し、なでて!と無邪気に視線を投げかける様は、どう見ても猫のそれだ。
これは完全に酔ってるなあと思いつつ、レイヴンはその無防備に晒された腹に手を置いて動かす。ごるごる喉を鳴らす振動が毛に埋もれている彼の手に伝わってきた。……今は冬だからきっと冬毛なのだろう、すっかり手が埋まってしまっている。少なくとも夏のときはもう少しもふもふが落ち着いている。益々猫のようだ。
無心にねだられるまま撫で回していると、やがて催促が止まる。どうしたんだろうと顔を覗き込んでみれば、猫に似たその竜は満足げに目を閉じて寝ていた。
レイヴンは何度目かの苦笑いを浮かべる。自由気ままなところも猫に似ているな、なんて思いながらベッドの壁側を陣取る竜の隣に横たわった。手を伸ばしてもふもふと毛皮をなでながら、まじまじと竜を眺める。
とはいえ何度見ても、どうしても竜とは言い難い。耳の後ろから伸びるつるりとしたツノと、前脚から生えた翼が辛うじて猫ではないと主張している。……それ以外はどう見ても、猫だ。少し、いや大分大きいが、そんなことは些細な問題である。
レイヴンはやってくる眠気にあくびを噛み殺す。猫が好きな人間なら一度は感じたことがあるだろう欲求と、目の前の猫のような何かが恋人であるという事実を天秤にかけた。かなりの間が開く。
ぽふむ。彼は竜の毛皮に顔をうずめた。思った通りの感触である。息を吸い込んでも残念ながら猫の匂いはしない。桃の匂いがする。
寒い冬の夜に暖かいもふもふ。これに逆らえる人は中々いない。レイヴンはそのまま眠りについた。その日の夜はきっといい夢が見れただろう。恐らく。
翌朝レイヴンより先に起きたトルエノが、竜体の自分を抱きしめて眠るレイヴンを見て困惑し逃げ出すのだが、それはまた別の話である。
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