名もない一人の視点
最初はぼうっと一方を見つめている青年が心配になっただけだった。
私は当時彼のことをよく知らなかったけれど、見かける度に彼はどこかをじっと見つめていて、私はそれを何となく不安に思っている。
声をかければひどく面倒くさそうな態度で会話に付き合ってくれる彼は、徐々に鬱々としたものをその内面に孕みだしていた。
そしてその私を見下ろす視線の中に何かを見たような気がして、その度に心臓が妙な動きをする。
その視線の意味が知りたいと思った。
例えそれが気のせいだったとしても、私はそれに意味を見出そうとしていた。
私は彼の特別なのだと思いたかった。
「ねぇ、」
「よう、クロヴィス。何してんの?」
「……ホルスト」
今日も今日とて建物の方を見ながらぼんやりと佇んでいる彼を見て声をかけようとする。
しかしそれよりも先に青年が彼に声をかけた。
親しげに肩を組み、なにやら話をしている。
彼は先ほどの儚げな雰囲気はどこへやら、胃を痛めているような顔で深くため息を吐いた。
先ほどとは全然違うどころか、私と話していたときとは全く違った顔で。
自分の手から何かが落ちていった気がした。
青年の黄色い目と目が合って息を詰める。
心底不愉快そうな顔をしていた。
けれど彼が目を向けたときにはその顔もいつもの笑顔に戻っていて、私は慌ててその場を離れる。
自分の家に逃げるように滑り込んで扉を後手に閉め、座り込んだ。
あの男は私の内心を察していたのだろう。
確かに、彼に対して私が抱いていたものは決して綺麗なものではなかった。
あの二人の、いや、彼のあの声が耳から離れない。
私はあんな声を聞いたことがない。
あんな顔も見たことがない。
きっとあの男は私が彼の特別ではないと言いたかったのだろう。
彼が自分の特別に向けるような声と表情を、私は知ってしまった。
動けない。
また彼を見かけても、自分はきっともう彼に話しかけないだろう。
クロヴィスはふと周囲を見た。
「ん?どしたの?」
それに気がついたホルストが足を止めてクロヴィスを見る。
彼はゆっくり顔を戻して小首を傾げた後数度瞬きをした。
「いや……最近話しかけられることが多かったもんでな」
「えーなんだよ、モテ期?」
ホルストがからかうように口にするとクロヴィスは重いため息を吐いてホルストの額にチョップをかました。
それが割と力の篭もったものであったようでホルストは思わず頭を抱えて呻く。
「いってー……、で、何?惚れた?」
「馬鹿言うな。
……ただ少し話に付き合ってただけだ」
そういって目を伏せるクロヴィスを見つめ、ホルストはやれやれとため息をついた。
先ほど話しかけようとしていた女性だろう。
あの目の中に宿る感情に覚えがあったが、はてさてどうしたものだろうか。
「お前の妙な優しさ、悪い男っぽくて俺は嫌いじゃないね」
「悪い男……。
……でも毎度会う場所が違うのは少しばかり……なんだ、謎というか」
「お前それやばいやつじゃね?
最近何か外に出る用事頼むたび若干憂鬱そうだったのそれが理由?」
そうかもしれない、と無自覚ながらストレスを溜めていたらしい彼を見た。
彼のストレスの原因と言える彼女はこの一件以来彼に近づかなくなる。
だがそんなことを少しも知らないホルストは、これからは一人で外に出させるのをやめた方がいいのかもしれないと内心でまたため息をついた。
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