手遅れ
(残酷な表現、グロテスクな描写等含みます)
フィロメナが連れて行かれた。
そう知ったのは、クロヴィスと別れて少しした後だった。
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周囲の人間から情報を聞き出すのは簡単で、ただそこから自分が離れすぎていたことが問題だった。
唇につきたてた牙が皮膚を破り血の味が口内を染める。
彼の知る限り、あの梟の妹は戦うことに慣れていない。
親を亡くしても尚、あの子は穏やかで暖かな世界に住んでいたのだ。
くるりと踵を返し翼を広げる。
__クロヴィスはこのことを知っているのだろうか。
それを確認する時間はない。
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ここまで全力で移動したことなど今までに果たしてあっただろうか。
フィロメナが誘拐された先らしき場所にたどり着く。
それの内側から点々と赤い足跡が外へ向かって続いていたが、彼はそれを見る余裕がなかった。
扉のドアノブを回す時間すら惜しい。
息が切れているのも無視して彼は扉を蹴破り、そして言葉を失った。
赤い。
それは炎の赤ではない。
ぶちまけられたペンキのように、それらは壁の上で大きなしみを作っていた。
少し黒を混ぜたようなその赤が鉄錆びに似た匂いをたたきつけてくる。
うなだれるようにして倒れている、損壊の激しい遺体。
その殆どが顔の判別をすることが難しい。
そこら中にこびりつくように垂れ下がっている紐のようなものは、
「う……」
喉からせり上がるものをどうにか押さえ、重い足を進める。
何があったのかはわからない。
一切音がしない、悲鳴も聞こえない。
もしかして、このタイミングで魔族でも来たのだろうか。
そうだとすると、フィロメナも……
首を振ってその考えを消す。
歩くたびに足元の赤い水溜りが音を立てた。
下を見る。
確か外に続く足跡があったが、あの赤はこれだろう。
数人逃げ出したのだろうか。
その中にフィロメナがいることを心から願いながら彼は顔を上げた。
.
人の声がした。
それは話し声に似ているが、さて。
「……クロヴィス?」
どうしたことか、梟の兄の声だった。
扉を開く。
内側に張り付くようにしていた誰かがべしゃりと滑って地面に落ち、赤い色を跳ねさせる。
それがホルストのズボンのすそに張り付くが、しかし彼はそれに反応することができなかった。
赤い海の中心に、腕に何かを抱えたままぶつぶつ呟く彼がいる。
彼が抱えているのは、首だった。
それはただの首で、胴体と離れていて。
胴体は……。
今度こそ鷹はせりあげてくるものを堪えられなかった。
音に気がついてふっと表情の消えた顔が後ろを振り向く。
しかしそこにいたのが自分の友人であるホルストだということに気がつくと何も言わずにただ目を細めた。
彼の口元にはべったりと血がついている。
頬に涙の跡のようなものが見えた。
……かつて生きていたその少女の髪が、今は血に濡れて固まっている。
兄よりもきらきら輝いていた琥珀の瞳は今、虚ろで何も映していない。
「……ホルストか。どうしたんだ、顔色悪いぞ」
「……クロヴィス、」
「なあ、これ見てくれよ。俺、ふぃろを」
「クロヴィス!……ここから、出よう」
いきなり声を荒げたホルストにクロヴィスはきょとんとした。
外に出ようといわれれば不思議そうな顔をするが、それに従うらしく立ち上がる。
その両腕は妹を大事そうに抱きかかえていた。
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ああ、彼になんと言えばいいのか。
ぼんやりと虚空を見つめたまま何の表情も浮かべない彼を見て、鷹は口を閉ざす。
その腕には未だに彼女が抱かれていた。
「……クロヴィス」
「……」
「フィロメナは、……」
目だけが動いてホルストを見つめた。
あまりに暗いそれに嫌な汗が頬を伝う。
震える口をどうにか動かして、言葉を吐き出した。
「死んだんだよ。」
「……。」
「死んでしまったんだ、クロヴィス。」
「……わかってるよ。」
フィロを抱き上げているその腕が僅かにこわばった。
奥歯をかみ締め怒りを抑えようとしているのがわかる。
やがて、その怒りは別の何かへと形を変えた。
彼の口が三日月のように広がり裂ける。
ひゅ、と息を呑んだのは、恐怖を感じたからだろうか。
「……あいつらを見つけ出して捕まえようか。
はは、そうだな、それがいい。
あいつらがフィロにしたことを全部お返ししてやろう。
きっとあいつら喜ぶぞ。
だって、俺とフィロにしたときもあんなに笑ってたんだから。」
一体何を言っているんだ、と問い詰めることすらできない。
その内容を聞く勇気がない。
鷹が何も言わないから、梟は一人喋り続けていた。
うまく息ができない。
ああ、彼は、もうこの男は、
「なあ、ホルスト。
お前、確か組織みたいの作るっていってたよな」
少しの沈黙の後、ホルストは頷いた。
クロヴィスはまた嗤う。
「そこでさ、狙われた子供たちを保護してやろうぜ。
あいつらみたいなやつらに捕まらないようにさ。
……大人数で追うには、獲物の数が少ないだろ?」
ニタニタと嗤っている。
その目は獲物を前にした捕食者のそれだった。
鷹が彼と別れ帰路についたそのときから、手遅れだったのだ、何もかも。
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