叙唱されるもの 小話

ゆずねこ。

しつらくえん

白い小鳥ははっと目を覚ました。

今自分がいるのは馬車の中、少しばかり薄暗い。

外を覗く。

一面に広がる荒野と広がっている青空に目をしばたかせた。


「起きたの、シルフィ?」


柔らかい大好きな声にそう聞かれて弾かれたように顔を上げる。

母親は優しい笑みを浮かべたままシルフィの頭を撫でた。

ここはプロメティア帝国の一角。

彼女らは彼女らの親戚を頼ってここまで来ていた。

白い小鳥の父親が死して数日経っている。

その悲しみはまだ胸の内に巣食っていたが、この親子はまだ生きねばならない。



.



「良く来たね~!」


尋ねて行った先では女性が笑顔で待っていた。

彼女は笑顔のまましゃがみこむとシルフィに飴玉を渡す。

シルフィは母親を見上げ、それからぱくりと口に含んだ。

林檎の味がする。

女性に連れられて親子は一室に通された。


「それじゃあね、シルフィちゃん。

ちょっと私お母さんに話しあるから、ここでじっとしててもらえるかな?

ここにあるお菓子は好きに食べていいからね」


なでなでと自分の頭を撫でる手が少し乱暴でシルフィは不安げに彼女を見上げた。

笑顔だ。

笑顔のはずなのに、目は冷たく小鳥を見下ろしている。

やがて手が離れ、女性は母を連れて外へ出て行った。



.



どのくらい時間が経っただろうか、外から足音が聞こえてシルフィは顔を上げる。

扉を開けて母親が入ってきた。


「シルフィ、ちょっとお散歩しましょうか」


少し声が上ずっている。

呼吸が荒い。

しかしその情報から何かを察することができるほどこの少女は成熟していなかった。

手を引かれて何故だか窓から出るとそのまま近くの森の中へと入る。

母親は懐から何かを出すとそれを空に向けて軽く放った。

それは鳥になって飛んでいく。


「……ママ?」


シルフィの声に母親は振り向くと唇に人差し指を当て、足早に森の中を進む。

何度か転びそうになって一生懸命足を動かしついていく。

何か言う余裕はないほど歩く速度が早い。

不安げに母を見上げるが、彼女はしきりに後ろを気にしていてそれどころではないようだった。



.



どれくらい歩いただろうか、すっかり日が暮れてしまった。

しかし母親の足は止まらず、ついにシルフィは転んでしまう。

泣き出しそうになるも母親に口を覆われる。

その手があまりに震えているので、シルフィはそろそろ恐怖を感じ始めていた。


「大丈夫、大丈夫よ」


シルフィを抱えてまた彼女は歩き出した。

後ろの方から草を掻き分ける音がし始めると、また少し速度が上がる。

たった数分のことだろう、だが随分と長いことそうしていたような気がした。

彼女はついにシルフィを下ろすと目線を合わせる。


「いい、シルフィ。このまままっすぐ走ると大きな木の下に出るから、そこまで競争ね。

ママが来るまでそこに隠れてなさい」


後ろから足音が聞こえた。

振り向く。

まだ誰もいない。


「さあ、早く」


優しく小鳥の背中を押す。

小鳥はたたらを踏んで母親を見上げた。

彼女は優しい笑顔をしている。

後ろの喧騒が耳に届く。

シルフィは前を向いて走り出した。

何度か転びかけるも小柄な体は木々に邪魔されることなく進む。

後ろから何か鈍い殴打音のようなものが聞こえた気がした。

振り向きそうになる顔を必死に前に向ける。

きっと見てしまったら動けなくなるのだという確信があった。


拓けた場所に出た。

母の言っていた大きな木がその腕を広げ葉を茂らせている。

小石に躓いた。

転んで体を強かに打ちつける。

もう彼女は動けなかった。

冷たい地面に体の熱が奪われるのを感じる。

自然と荒くなった息が徐々に嗚咽に変わった。


「……助けて……」


小さい声がやけに大きく響く。

両脇に手を差し込まれ抱き上げられた。

悲鳴を上げそうになって、しかし顔はその誰かの胸に当たり口を閉じる。

恐る恐る顔を上げてその誰かを見た。

黄色い瞳が見下ろしている。

口元をくちばしに似た形状のマスクで隠した誰かは、笑顔を浮かべる代わりにその目を細めた。

そっとその手が小鳥の頭を押さえ、何かを見せないようにと顔を伏せさせる。


「クロヴィス」

「わかってる」


くぐもったその男の声にもう一人の低い声が応答、続いてかすかな衣擦れの音。

やがてそれすらも消えると木々のざわめく音のみが響いた。

遠くから何かの破裂する音が聞こえた気がして顔を上げようとするが、自分を抱き上げる誰かに制止される。

とん、と地面に降りる音に小鳥の体が強張った。


「……駄目だった。」

「そうか。」


それだけのやり取りの後、誰かの体が動くのを感じ服を掴む。


「さて、シルフィちゃん。君には二つの選択肢があるわけだけど」


どうして自分の名前を知っているのだろうと小鳥は不思議に思いながら顔を上げる。

どこからか鉄の匂いがした。

自分を見下ろす黄色い目と目が合う。

彼女の疑問に気が付いたのだろうか、彼はこういった。


「俺はホルスト。群っていう組織を知ってるかな?そこのリーダーだ。

俺らはきみのママからきみをよろしくって言われててね。」


そこで一度言葉を切り、ホルストは少女を抱き直した。

少女と目を合わせ、ここまで理解できただろうかというのを確認すると続きを口にする。


「……だからきみを助けた。

でもここからは、きみが選択するんだよ。

きみはこのまま俺たちと来て養育……要するに、大人になるまで育てられるか、或いは他の孤児院だとかそういう場所に行くかのどちらかだ。

後者は安心してくれていい、俺たちが良く知っているから下手なことはさせないよ。」


お母さんは、と言いかけてやめる。

小鳥は少しだけ考えた。


「……お兄さんたちのおうちに、つれていってください」


小鳥の返答にホルストは目を瞬かせ、頷く。

優しく頭をなでられる。

そこには少しの憐憫と同情が込められていた。


「わかった。

……クロヴィス、引き上げるよ」


鷹の手がまた小鳥の顔を伏せさせる。

お香に似た匂いが微かにした。

ばさりと翼が広げられる音、浮遊感。

小鳥はそっと目を動かして眼下の森を見た。

木々に隠されたあの中に母はいるのだろうか。

どの選択をしてもきっと、あの優しい黒い目を二度と見ることができないということを、彼女は知っていた。


母鳥は小鳥を守るために死んだのだ。

だから、小鳥は生きねばならない。

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