第19話 昭和52年カラオケ/54年ウオークマ ン

誰だって歌いたい。何処でだって音楽を聴きたい。それを実現したのがこの二つ。

カラオケは今や世界用語になり、ウオークマンはiPodの先駆けとなった。


普通の人は、人前で歌を歌うと言えば、歌唱のテストか、学芸会か修学旅行のバスの中の合唱ぐらい。「背伸びして見る海峡を・・港、宮古、釜石、気仙沼~♪」を聴いたのは、良く飲んでいた頃のジュークボックス。地震があったとき、すぐ場所がわかった。気仙沼は岩手県ではなく、宮城県なのです。

そのうち、有線になり、ついに登場、伴奏つきで歌えます。カラオケが登場したのです。たちまち、酒場やスナックでブームになった。ホステスさんも下手な話題のサービスをしなくても良くなった。無粋なものが出来たと言っても・・皆が歌えば、自分だけ遠慮とはいかない。かくて、カラオケは酒場に欠かせないものになった。初期はテレビ画面もなく、歌詞を見て、ただ歌うだけ。その後、テレビ画面に意味ありげな映像が映り、字幕がつくようになった。あずさ2号に乗って、あす、私は旅に出ます。歌う私はまるで主人公!


80年代に入って、カラオケブームにさらに火をつけたのがカラオケボックス。酔客しかカラオケは歌えないのか、健全な俺たち、私たち高校生にも歌わせよ!健全な主婦にも歌わせて!と反旗がひるがえった。この声に耳を傾けた男がいた。岡山の男性であった。カラオケボックス第一号店は貨物用のコンテナボックスを改造したものであった。たしか、TVのニュースでやっていた。男性の名前は覚えていない。密閉された空間は、健全な高校生も不健全になるので、以降、ボックスには外からも見えるガラス窓がつくことになる。家族で、職場の仲間で、2次会で使われる健全な娯楽として普及していったのである。


電車の中だって、どこでも聴きたい(好きな人は好きなんだねェ―)、これを実現したのがソニー、第1号の発売は1979年であった。発売以来1億6000万台という驚異的ベストセラーになった商品であったが、発売当初のマスコミの反応は芳しくなく、人目に触れなければとの考えから、宣伝部や営業スタッフはウォークマンを身につけ山手線を1日中ぐるぐる回るという作戦にでる。日曜日には若いスタッフにも製品を身につけさせ、街中をあるかせた。わたしは、歩きながら聴けるとこから付いた名前と思っていたが、ああ~、苦労の果てのウオークマンだったとは・・

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