第16話 昭和48年・トイレットペーパー
この年の花形は何と言っても、トイレットペーパー。母は生き生きしていた。私の店の傍にスーパーがあった。外を見ると母がいつも行列に並んでいた。私を見ると、笑顔で手を振った。
10/25 オイルショック。国際石油資本5社、日本への原油供給約10%減を通知。
これが何故、トイレットペーパー・パニックに繋がったのか、いまだ持って不思議である。探し物があって、2階のあまり使ってない押入れを開けた。開けてびっくり、一面トイレットペーパーであった。今日は幾つゲットとか、自慢げに母は言っていたが、ここまでと、驚いたのである。戦後の物資不足の時代を母は思い出したのであろう。
使用量は日本人一人あたり年間およそ8キログラムとする推算されている。確かにないと困るものである。当時の田中角栄内閣の中曽根康弘通産大臣が「紙節約の呼びかけ」を行ったからと言われているが、なぜ紙なのか?鉄ではいけないのか?
このため、10月下旬には「紙がなくなる」という、根拠の無いデマが流れ始め、同年11月1日午後1時半ごろ、大阪千里ニュータウンの千里大丸ピーコックが、特売広告に「(激安の販売によって)紙がなくなる!」と書いたところ、300人近い主婦の列ができ、2時間のうちにトイレットペーパー500個が売り切れた。
その後、来店した顧客が広告の品物がないことに苦情を付けたため、店では特売品でないトイレットペーパーを並べたが、それもたちまち売り切れ、噂を聞いた新聞社が「あっと言う間に値段は二倍」と見出しに書いたため、騒ぎが大きくなり、騒動に発展したと聞いたことがある。いや、尼崎商店街のスーパーやと云う意見もある。発端はどうも、関西からであるようだ。
まー、ともかく日本が上から下まで慌てたのは間違いがない。トイレットペーパーから火がついて、食用油、味醂に、醤油、日用雑貨と飛び火していった。買いだめ騒動であった。お蔭で、スーパーの帰り、お客が店に寄ってくれ、私の店の売り上げは増えた。きつかったのは翌年である。婦人服業界に入って、前年比を割ったことがなかった売り上げが激減したのである。盛り場、神戸なら三宮であるが、ネオンも消されそれは淋しいものであった。サラリーマンは家路を急ぎ、喜んだのは主婦だけという笑えない話がある。
昭和49年にはマイナス1.2%という戦後初めてのマイナス成長を経験し、高度経済成長がここに終焉したとされる。
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