第15話 昭和42年・ミニスカート

前年、ビートルズが来日、武道館公演をした。若者たちはエレキに夢中。タイガースらのグループサウンドが全盛。そんな中、スーパーモデルが来日した。ツイッギーの来日である。昭和40年、パリではクレージュ*が春夏向けのパリコレでミニスカートを発表した。初めて女性が膝上を見せたのである。これは画期的な出来事であった。この年のツイッギーの来日で、ミニスカートブームが日本でも起こり、猫も杓子も、ミニスカートが街を闊歩した。海外からの情報はテレビの普及によって瞬く間に茶の間に入り、日本のアパレルビジネスは昭和40年代大きな飛躍期に入ったのであった。

私は丁度その頃、大学を出て、神戸の婦人服飾店に勤めていた。そこが、いち早くミニスカートを取り上げ、〈さんちか店〉には若い女性が押しかけた。ローウエスト切り替えのミニワンピースも別注でよく売れた。ある有名な若手女優が来店し、私は裾のピン打ちをした。もっと上げろと言われ、その露わな太腿にピンを刺さないかと手が震えたものだった。


そのうち、マイクロ・ミニまで行って、裾長け36センチだったろうか、「これ、見えるわね」と若い娘客(娘は若いのだが)に云われた。さすがに、見えませんとは言えず、頷いた。「じゃやー、頂戴」、世の中どうなってるんやろう?エスカレーター上るとき、お尻にバッグを当てる女性を見かけるようになった。ミニスカブームの最前線にいた私、若かったなぁー!


注釈と資料

アンドレ・クレージュ:若い頃に土木建築学を学んだ。その構築的なデザインは斬新で、スポーティで機能的な傾向を強調した。ミニスカートの元祖はイギリスのデザイナー、マリークワントとされる。両者の違いは、クレージュはハイファッションの世界に身を置き、エレガントな顧客が、着こなすミニスカートだったといえる。一方、マリークワントはロンドンのタウンファッションの立場で、カジュアルにミニスカートを創作した。

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