第14話 昭和39年・電子式卓上計算機
オイラの幼少時代、いや高校時代だって、銀行は算盤だった。あの頃は預金する人も少なかったからいけたのだろうなぁー?お札を勘定するのにパ~ット広げて10枚づつ、窓口のお姉さん恰好よかった。街中では「願いましてわー」そろばん塾が繁盛していた。私も行かされたが、後から来た妹に抜かれてやめた。
そんな世の中を変えたのが『電子式卓上計算機』いわゆる電卓であった。この年、シャープとソニーが発売。キャノンがこれに続く。電卓と云えば「カシオ」では?カシオはリレー式計算機(電話交換機などに使われていたリレー〈継電器〉を用いていた)で計算機の市場をリードしていた結果、半導体の電卓に遅れを取ってしまったのだ。油断大敵!
私が大学を卒業して入った会社、会社と云っても商店に毛の生えた程度だった、この『電子式卓上計算機』があった。「社長、これは値段いくらですか?」と訊きますと「36万円や」と答えが返ってきました。私の初任給が3万円でしたから、1年分。社長は慣れた手回し式の計算機を使っていた。こちらの方がコンパクトで持ち運び可能とか、かたや卓上といいながら、16キロもあった。
当然開発は卓上から手のひら、ポケットサイズへ、小型化を目指す。これに貢献したのがワンチップLSI。ワンチップLSIによる部品点数の大幅な減少はコスト削減、大幅な価格低下を可能にした。製造過程の単純化は中小零細企業の参入を促し、激しい価格競争が展開される。
これを制したのが、出遅れていたカシオだった。71年オムロン、49,800円という当時の電卓の価格の半額を実現。しかし、翌年8月にカシオは12,800円という超低価格で「カシオ・ミニ」を登場させた。爆発的なヒットとなり、発売後10か月で100万台、3年で600万台と記録的な売り上げを記録。会社に1台、職場に1台しかなかった電卓を、1人1台の時代にしたのです。電卓と云えばカシオ、カシオと云えば電卓になった次第。
市場はシャープとカシオの独占するところとなり、開発は名刺サイズ、カード型の超薄型化に向かう。私が初めてヨーロッパに行ったとき、カード型電卓を使っていたら、向こうではよっぽど珍しかったのか、反響があった。
ドイツ人は「ちょっと見せてくれ」。手に取って、技術者だろうか3、4人で使いながら議論。フランス人は使っていたら、珍しそうに覗き込むが、貸せとは言わない。イギリス人は大英帝国の沽券に係わるのか、ちらっと見て無視。イタリアでは、レストランの主人が見せてくれと云ったので、貸すと使い方を教えろ。教えるとにっこり笑って「貰っていいか」とポケットに入れたのには慌てた。なんとなく国民性が見れたようで面白かった。
私が入社時に使った電卓は、今や100円ショップの電卓より能力が劣るという。げに恐ろしきは、資本主義の技術革新というやから。「うちが一番や」と家で安心して、寝させてくれないのである。
*LSI とは、IC(集積回路)のうち、素子の集積度が1000個~10万個程度のもの。また、単にICの同義語。
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