第10話 昭和33年・チキンラーメン

この年、本田技研工業の「スーパーカブC100」(49cc)が発売された。カブ号シリーズは2014年時点で8,700万台以上に達し、輸送用機器としては世界最多量産・販売台数を記録した驚きのモノであった。日本初の缶ビールがアサヒビールより発売された。ウイスキーのポケット瓶に代わって旅のお友となった。どれも書きたいのだが、なんたって『チキンラーメン』!


夜遅くまで受験勉強をしていたら、母が「ラーメン作って上げようか」と云った。

うどんを作ってくれたことはあったが、ラーメン?台所に入ったと思ったらすぐに「はい!お待ち!」であった。それがチキンラーメンとのお初であった。

インスタント食品の幕開けであった。日清食品の安藤百福翁が試行錯誤して開発されたもので今更説明を要しないであろう。が、説明を加える。ある日、妻が作っていた天ぷらを見た印象や食感をヒントに「油の熱で乾かす」ことを思いつき採用したのだという。今や、日本の即席麺は世界を圧巻している。2012年の国別の消費量は、中国が440億食と全世界の半分近くを占め、次がインドネシアの141億食、三位が日本の54億食と続く、一人当たりでは韓国がトップである。全インスタントラーメン中売り上げ一位はサッポロ一番みそラーメンとなっている。チキンラーメンはそのロングセラー性では群を抜いている。


大学の寮時代、寮近くに店はなく、即席麺を買い込んでいて、腹を減らした奴に5割増しで売っていた不届き者もいたっけ。ほんと、夜食として重宝したものだ。


しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん♪、「大五郎、3分間待つのだぞ」仁鶴扮する拝一刀、「じっと我慢の子であった」とナレーションが続く。松山容子の顔写真でお馴染みの『ボンカレー』は、チンラーメンがお湯をかけて3分なら、お湯につけて3分であった。包装材料に保存の工夫を加えたレトルト商品の誕生であった。


社会人になって会社の寮に入ったが、賄のおばさんが、味噌汁椀にインスタントの袋を載せていたのには参った。インスタントでない食品はなくなった。カメラだってインスタントになったなぁー。

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