第8話 昭和31年、週刊誌

表紙絵が谷内六郎の「週刊新潮は明日発売されます」とコマーシャルが流れたら、明日は金曜日かと思ったものだ。この年2月新潮社より、出版社初の週刊誌が創刊された。実は新聞社の週刊誌は『サンデー毎日』や『週刊朝日』で戦前から発売されていたが、内容は新聞報道を補うものでしかなかった。また、部数も大したモノではなかった。

週刊新潮の編集方針はそれらと違ったのであった。当時の編集者斎藤十一は編集方針を、後に「俗物主義」と呼び、新聞社が扱わないニュース、金と女に着目するものだった。なんと、創刊号は40万部を売ったのである。文藝春秋が昭和34年に『週刊文春』で追随。他の大手出版社も週刊誌を続々と創刊した。

出版社系週刊誌の記事を執筆するのは、社員記者ではなく、フリーライターやフリージャーナリストである。フリーライターの無署名記事による週刊誌報道を確立したのは『週刊文春』で記者を務め、後に小説家になった梶山季之である。

「金と女」、週刊誌記事で一国の首相の首が飛んだ。『サンデー毎日』の宇野宗佑・女性スキャンダルスクープである。この時の編集長が鳥越俊太郎であった。文春の記事で都知事の首が飛んだのは記憶に新しいところである。


時には質の悪い暴露記事や、煽情的な報道などがあるが、大手新聞社が書かないようなことを執拗に追いかけた調査報道で社会現象を呼び起こすようなこともあった。例えばオーム真理教事件を追いかけたフリージャーナリスト江川紹子が挙げられる。彼女は後にオーム真理教の取材に関して菊池寛賞を授与される。北朝鮮の拉致事件、これは1980年1月産経新聞がマスメディアにて初めて拉致事件の報道をしたとされている。タイトルは「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」。記者は産経新聞社会部の阿部雅美であった。しかし、私は「不可解な失踪事件が日本海沿岸で起きている」という記事を週刊誌でよく読んだ記憶がある。


女性誌の週刊誌、写真週刊誌も発売されるようになった。『週刊現在』や『ポスト』ではヘアー・ヌードまで載るようになった。私は旅行や、出張時には週刊誌をよく買ったが、普段は社内吊ビラの見出しと、立ち読みで我慢した。一度『現在』を持ち帰って、娘に嫌われたことがあったからだ。週刊誌の業界も、週間新潮は一時100万部を売り上げたが、いまや公称50万部で2位、1位文春は63万部とされ、廃刊になるものも多くなり厳しさを増している。


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