第7話 昭和28年・赤電話

お別れ電話の公衆電話、涙でかけている♪は間違いなく赤電話。僕が大学を卒業して故郷に帰るとき、駅からあのひとにかけた電話は何色だったのだろう?今日は公衆電話にまつわるエトセトラ。


昭和28年、東京都内に初登場。店舗などの店先に委託公衆電話として置かれた。通称"赤電話"と重宝がられた。電話といえば黒色だった。彼女の家に電話するのに女性に頼んで呼び出して貰っていた時代。親父が近所のタバコ屋の前を通ったら、娘が赤電話で話をしていたのを見て「なにごと」と胸騒ぎをした時代。一方通行だけど恋する者たちには嬉しい存在だった。


ピンク色の電話もあったなぁー、どう違ったのだろう。あまり違いを感じずにかけていた様だ、タバコ屋の前が赤電話、喫茶店にあったのがピンクぐらいのイメージ。

黄色の電話もあった。あれは100円玉専用。遠距離かけるときは探したっけ。あとちょっと、追加で入れてもお釣りは出てこない。そこで考案されたのがテレホンカード。それも、使用済カードに新たに磁気情報を加えて、再び使用可能とした、いわゆる「偽造テレホンカード」も広く流通するようになり、社会問題に発展した。

緑色になったのはカードに対応した時代からだろうか?


対策は度数制限カード。そして磁気カード対応に加えてICテレホンカード対応公衆電話機が登場した。しかし、既に日本の携帯電話・PHSが普及しつつあったことや、ICテレカ対応電話機では、並行流通している従来の磁気カードは利用できない構造上の問題があったり、磁気カードと違い有効期限があるため、期限内に使い切る必要があった等で短期間で廃止された。


私が東京で営業職をしていた頃、持たされたのがPHS、ポケベルであった。営業車を走らせていて、公衆電話を探すのに、運転には危なく好きでなかった。やたら鳴らす事務員に腹を立てたこともある。それがなんだか、女子高生の間で流行し出した。数桁の数字を送れる機能が付加され、表示された電話番号に電話をかけることが出来るようになった。これを使って「14106」=「アイシテル」というように、数字の語呂合わせでメッセージを送る方法を考え出したのだ。これを使って援助交際。大したもんだぜ、女子高生。恐れ入り屋の鬼子母神。


ダイヤルQ2というのもあったなぁー。電話による有料情報サービスの情報料金を、電話料金と一緒に回収するもので、一部業界では有用に使われたが、爆発的な利用拡大に伴って、援助交際目的の利用が次第に増え、少年非行や未成年相手の買春の温床になったり、長時間利用したことによる高額の利用料金請求などが社会問題となった。


いろいろあった、公衆電話だが、携帯電話の登場がこれらを全て吹き飛ばしてしまった。ピーク時の昭和59年には全国で93万台を超えた公衆電話も、現在19万台を割るまでに減少した。ただ、大災害時、携帯電話が使えず、公衆電話のその機能が見直されている。

私の家で真っ先に携帯電話を持ったのが、高校生だった娘。次が大学生の息子、続いて妻。家にあったダイヤル式の黒電話を見て息子が言った。「あの電話、電話代だけもったいないなぁー」と、「俺の電話も残して置いてくれ」と私が云うと、「親父、あれを首から吊ってあんたの携帯電話にしたら」とぬかしやがった。私も持つことにした。家族は今やスマホ、私はガラ携である。

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