第5話 昭和24年・お年玉付き年賀はがき

年初めの1月、東北では一人の女が2500円で2500人の女を売りさばいた「人身売買」事件があった。7月、8月の夏には、国鉄の首切りを巡って、下山事件、三鷹事件、松川事件と不可解な事件が相次いだ。戦後世情を色濃く残して、あまりいい年ではなかったようだ。その年の12月、『お年玉付き年賀はがき』が発売されたのがせめてもの明るい話題であったろうか。以来、日本人はこのお世話になって来た。


このはがきは一民間人のアイデアであった。当時京都在住で大阪にて洋品雑貨の会社を営む林正治さんが、「終戦直後で通信手段が十分でなかったこの時代にせめて年賀状が復活すれば、差出人・受取人ともに消息が分かり合えるであろう」と考えついたのがきっかけである。この年賀状にお年玉くじを付ければ皆が買ってくれる、更に寄付金も付ければ社会福祉にも役立つと考え、大阪の郵便局で郵政大臣への紹介状を書いてもらい、上京して郵政大臣に何度も面会した。


林氏は自前で見本となるはがきや宣伝用ポスターを作成し、更には具体的に景品まで考えてプレゼンを行ったという。だが前例のないものであり、戦後の混乱期でもあったので「時期尚早」とあっさり却下された。それでも氏は諦めず粘り強く交渉、同年暮れに正式に採用された。この頃の賞品は特等・ミシン、1等・純毛洋服地、2等・学童用グラブだったという。氏の粘りがなかったら郵政省はいくらの利益を失ったことだろう。この功績に対して、郵政審議会の専門委員任命で報いたという。


私の年賀状第1号は小学校1年生の担任の先生に出したものだった。先生が自転車で走ったら、村の男たちはみな田仕事の手を止めたという。母も「町でもあんな綺麗な人はおらんよ」と言っていた。まだ、達者でおられるやろか?

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