第2話 昭和21年・コメ

何しろ日本人は飢えていた。5月19日、皇居前で行われた、政府の食糧配給遅延に抗議する集会には25万人が集まり、「米寄こせ」の声が響いた。闇米を潔しとせず、配給米だけで生活した裁判官が栄養失調で翌年に亡くなったぐらいだ。

私も、母のお乳が出なくて栄養失調になって危なかったと聞かされた。勿論記憶はない。戦前貧しかったといえ、日本人は3度の食事には困らなかった。白い米の飯がこの年ほど意識されたことはなかったろう。

 昭和17年(1942)には1000万トンあったものが、昭和20年には 587万トンに生産が落ちたのである。戦前でも、2割ほどが朝鮮や満州から輸入されていた。それらが無くなった上に、復員や引揚者で人口が増えた。また、肥料生産が極度に落ちたことも原因であった。幸い翌年が豊作だったことや、米国からの援助物資でなんとか凌げたのである。


 昭和27、28年頃まで、電車や汽車には「担ぎ屋」と呼ばれる人たちが乗っていた。駅につくと、警官がバタバタと入って来る。その人たちは窓から荷物を放り投げて、逃げていく姿が見られたものだ。増産に務め、昭和43年1450万トンを記録したが、食事の多様化等で米離れ現象を起こし、現在では800万トンほどである。米あまり対策として「減反政策」が長年行われてきたが、TPPの成立にともなって、平成28年には政府はこれを廃止の方向である。

 米作りは大変な農作業とかつては云われたが、現在では最も手間をかけずに栽培できる農作物である。馴染んで来た米作からの転換は老齢化した零細農家には難しく、大量の農地が放棄され、荒廃地になりかねないという危機にある。

 

 旅行をしてつくづく思う、隅々まで手入れされた田畑の景色は見られなくなるのだろうか?今一度日本の「米」について国民の一人一人が考えてみる必要があるのではないだろうか。私は三度三度美味しい日本の米を食べられることに感謝している。値段が高いと思ったことは一度もない。

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