モノで語る戦後昭和史

北風 嵐

第1話 昭和20年・ラジオ

トップバッターはラジオ。日本の戦後は8月15日の音玉放送で始まった。ラジオから始まったのだ。戦争で、昭和20年には40%になっていたが、戦前、ラジオの普及率は70%であった。小学校教員の初任給は55円の時代、標準型で50円したという。それでもほぼ1家に1台あったわけだ。


家電なんて言葉がなかった。町の電気屋はラジオ屋と云っていた。ラジオを家電としたら、一家に一台ラジオだけがあったことになる。ここから、ジャズが流れ、流行歌が流れ、浪曲が流れ、ラジオドラマが流れて来た。「緑の丘の赤い屋根。とんがり帽子の時計台、鐘が鳴りますチンコンカン」夕方にこの歌が流れて来た。昭和22年から放送された菊田和夫の戦災孤児が明るく生きる様を描いたラジオドラマ『鐘の鳴る丘』である。昭和27年放送の『君の名は』の時間帯は女風呂が空になったという。ニュースや娯楽の王様であった。


日本初のラジオ放送は、大正14年(1925年)社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK)からであった。第一声は

《アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します》であった。まず聞こえるかどうかを心配したのである。テレビの普及によってその運命が潰えるかに思われたのであるが、トランジスタラジオの登場によって小型化され、持ち運びが可能になり、野外に飛び出した。短波放送、FMが出来て放送スタイルも変わった。受験講座や、深夜放送のお世話になった。車の普及でカーラジヲ、営業車に乗っている時は欠かせないものだった。


今は、野球のTV放送がないときぐらいしか使わない。思えば大変にお世話になって来たのだ。

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