第4話 この世界の歴史

「……ハルカちゃんよ。たそがれの姫軍師ってな有名なのか?」


 空いた船室、そこにある布の上にあの少女を寝かせて。ラインバルトは尋ねた。


「むしろ私の方が不思議です。還流の勇者伝説をご存知の人ばかりなのに『たそがれの姫軍師』さまを知らない人しか今までいませんでしたから……」


 そんなラインバルトに小首を傾げつつ、ハルカは質問に質問で返してしまう。


「……たそがれの姫軍師さまとは。伝説の還流の勇者ルーティス・アブサラストのお嫁さんであった黒魔道士の少女ですよ」


 その事を失礼に思ったからか、ハルカは間髪入れずに教えてくれた。


「お嫁さん……? あの伝説の還流の勇者ルーティス・アブサラストにお嫁さんが居たのか?!」


 その事に素直に驚くラインバルト。


 還流の勇者とはこの世界で四千年前に起き、二十年近く続いて世界の全てを巻き込んだ大戦――『大罪戦争』で活躍した勇者の事である。各国から卓越した勇者である『八神将』とその親友達、女神の生まれ変わりの一人にしてカスタル王国の姫君『シィラ・ウェルネンスト・カスタル』と騎士団、そして女神を支えしドラゴン六種族と共に『魔王ヤライ』と配下の精霊王と魔獣、魔物の軍勢を倒した勇者と伝説では伝えられている。


「はい。タカマでは有名な伝説ですよ」


「いやいや!! 還流の勇者にお嫁さんなんか居ないだろ?! あの人『公開処刑』っていう最後の戦争で死んだんだぞ?!」


 白魔導士で色々な知識を持っているハルカちゃんなのは知っているが……さすがのラインバルトもあり得ないと言わんばかりに左右に首を激しく振る。


 そうなのだ。確か還流の勇者は魔王討伐の任務を放棄し勝手に封印した罪でお尋ね者になり。女神シィラの王国に逃げ込んだがその王国を他の女神達が宣戦布告し、戦争になった……。彼女シィラを救う為に八神将とその親友達は戦死し騎士団は団長の『大盾のアルジュナ』と副団長『雷破のデュオ』を含め全滅。ドラゴン種族はシィラと共に行方不明になったとか……。


 そして。その話を聞いた還流の勇者は嘆き悲しみ。残る五人の女神達にたった一人で戦争を挑み、一万人の神の力アバスを持つ勇者達と十億人の近衛騎士団ガーディアンを無傷で壊滅に追いやった末に女神達が治める国を灰塵に帰し。女神達が全ての力を注いだ大魔法で処刑した……というのが、『大罪戦争』の最後の戦いである『公開処刑』だった。


「……でも私の国ではその前にたそがれの姫軍師さまと名も無き神殿で別れたという伝説があるのですよ。

 たそがれの姫軍師さまは還流の勇者さまの右腕と呼ばれた黒魔道士……八神将すら超えた力の持ち主だとタカマの国私の故郷では伝わっています」


 それでもはっきりと、ハルカは答えた。


「ですが還流の勇者には並び立つ者は誰も無し……という伝説もありますが」


 そんな時に、クロムの声が入ってきた。


 ぱちくりと彼を見やるハルカとラインバルトに、


「あぁいえ失礼します。還流の勇者伝説の話を聞いて少し自分も気になりましてね……」


 慌てて一礼しながら謝罪するクロム。


「還流の勇者ルーティス・アブサラストは八神将及びその親友達が束になっても勝てない程に強かったらしいですから……誰も隣には居なかったと昔話では聞きましたが」


「……確かに私もその伝説は聞いた事があります。

 ……でも還流の勇者伝説はとても古い歴史ですから、改変されて伝わったのかも知れませんね……? それともタカマの伝承が特別に改変されていたのかしら?」


 クロムに対してうーんと口元に手を当てて持論を述べる如月ハルカ。


「とにかく。私が故郷で聞いた伝承には。還流の勇者さまにはたそがれの姫軍師さまというお嫁さんがずっと傍で付き従ったと伝わっています。そしてその方の名前が『逢魔椿』さまというらしいのです。彼女はそのゴーストで間違いありません」


 横たえた少女を見やりながらハルカは断言した。


「特徴的な紅い髪……そして黄昏色のオッド・アイ……! 間違いなく、私が伝承で聞いたたそがれの姫軍師その人の容姿に似ています……!!」


 いつもの控え目な様子はどこへやら、やや興奮気味のハルカちゃんだ。彼女も魔法使いだからか、こういう知識をお披露目できる瞬間は嬉しいのかも知れない。


「……ん」


 小さく息をして、横たわる少女が眸を開け上体を起こす。


「あ、起きましたか? 良ければ体力回復のお水等を飲みますか?」


 ハルカは回復魔法を水の入った小樽の中に溶かしながら、彼女に差し出した。


「ゴーストの私にこんな気遣いをしていただいて誠にありがとうございます。よろこんで飲ませていただきますね」


 彼女は弱っているのか少し震えつつも小樽を受け取り中身を干した。かなり喉が渇いていたのが見てとれた。


「あの……やはりたそがれの姫軍師さま……ですよね……?」


 おずおずと尋ねるハルカ。彼女の伝聞を信じる限り、目の前のゴーストは彼女にとって特別な存在なのだろう。緊張しているのが窺えた。


「えぇ。ゴーストではありますが間違い無く私は『たそがれの姫軍師・逢魔椿』ですよ。我が故郷タカマの末裔よ、壮健そうで何よりです」


 にっこりとそこまで答えて、彼女は力を失ったのか再度身体を横たえる。


「だ……大丈夫ですか?!」


 慌てて尋ねるハルカに、


「……大丈夫ですよ。私はゴーストですし、本体は別の世界で眠っていますから……」


 肺から息を抜くような声音で答える彼女――逢魔椿。


「お嬢ちゃん、あんた自分がゴーストって判っているのか……?」


 ラインバルトは驚愕した。こういった事には疎い彼だが、自分が人間だとは普通は疑わないと感じたからだ。


「私は魔力が高いですから、自分の身体の事は判りますよ。今の私は流れる魔力で創られていますね……。本調子ではないのが少々困りますね」


 かざした右手を握ったり開いたりして悔しそうに呻く椿。彼女は何とか起き上がろうとしたが――


「止めなよお嬢ちゃん、まだ寝ていなって」


「たそがれの姫軍師さま! さすがに今起きるのは無茶ですよ!!」


 ラインバルトとハルカの二人に阻止された。


「しかし……私はあそこに行かないと……!」


 だが彼女、椿は強情に立ち上がろうとした。


「……?

 少し待って下さいお三方」


 そんな時、今まで黙っていたクロムが制止してきた。


「どうしましたか?」


 ハルカの問いに、


「……どうも好ましくないお客様らしいですよ。ちょっと外に行ってきますね」


 クロムは答えつつ船室から出て行く。


 慌てて彼に問いかけようとしたその時だ。


 いきなり船体が揺れ始めたのだ。


 最初は風かと思ったラインバルトだったが……轟音と断続的に続く衝撃。巨人の手の中でもみくちゃにされるような激震を感じて何事かを悟る。


 不穏な様子を感じつつ、ラインバルトとハルカも互いに顔を見合わせるとそれを追っていった。

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