Part25 もうやめようぜ、つまらない事

「あん? 誰だよ、お前……」


 レオンが、両手をポケットに入れて、俺の前に近付いて来た。

 手を伸ばせば触れ合える距離で立ち止まると、ちらりと視線を下にやる。

 上履きの色を見て、俺の学年を把握したのだ。


「一年か。……おい、今、俺たちに何か言ったのはお前か?」

「はい。僕です」

「何つった?」


 レオンが声のトーンを低くした。


 テーブルに腰掛けたマコ、ソフトモヒカン、刈り上げ、それともう一人、今まで口を利いていなかった、外見上に素行の悪さを滲ませていない三年の男子が、ひょろりとした二年生から意識をこちらに向けている。


 俺は、全身にひりひりとした熱を感じている。


 リアライバルに叩き付けられた、獰猛でありながら無差別な敵意ではない。冷酷で鋭利な、弱者をひれ伏させようという悪意である。


「何つったンだよ? もう一遍、言ってみろ!」


 レオンが俺を恫喝した。

 俺ならば、その大声に驚いて、身をすくませて後退ってしまう。


 だが今の俺は、俺であって俺ではない。俺の身体はたじろがなかった。そればかりか、


「そんなつまらない事は、やめにしませんかと、言ったんです」


 肉体を持たない未来人は、俺の口をにやりと吊り上げて、そんな事を言った。


「つまらない事?」

「はっきりとカツアゲって言った方が分かり易いかな?」

「ほう……」

「お金が欲しいなら、お父さんかお母さんに頼めば良いと思いますけど」

「へ……随分と良いトコで育ったらしいじゃねぇの。パパとママに言えば、お小遣いを好きなだけ貰えるってか」

「あんたもね。今まで随分と、金を貸してくれる後輩に恵まれてたみたいですから」

「てめぇ!」


 レオンが、ポケットから左手を出して、俺の胸倉を掴み上げた。

 すると次の瞬間、レオンがぎりぎりと吊り上げていた眼を垂れさせ、


「痛ぇッ」


 と呻いて、急にその場で気を付けをした。


 俺の腕が動いた後の事だ。俺の左腕が、胸倉を掴まれた刹那、すぐさま内側から円を描くようにしてレオンの腕を抑え込んだ。この時、前腕が曲がり切っていなかったレオンの左肘にあてがわれ、逆関節に押し上げてしまう。


 折られるのを嫌がって、胸倉を掴んでいたレオンの手が剥がれた。ミライが手を放すと、俺の横に二、三歩たたらを踏んで下がってゆく。


「あははははは! ちょっと、何やってんのよレオン。カッコわるぅい」


 マコが胸の前で手を叩いて、笑った。


「そんなおチビちゃんにしてやられてやんの」

「あんたも大概だろう」


 ミライが、俺の口を使って言う。


「はぁ……?」

「不可抗力の覗きでKは、幾ら何でもぼり過ぎだってンですよ。店を選ばなけりゃ……まぁ、この時代なら……でもお釣りが来るかな。何にでも相場ってやつがある」


 ミライは、俺の左手の親指から中指までを突き出した。……意味は分かるが、余りに直接的な物言いに、俺が恥ずかしくなってしまう。心を読まれるのとは違った羞恥だ。


「――っ、あんた、私がその程度の女だと思ってんの!? ふざけんなよ、そこら辺の店で、安い金で誰でも構わないようなのと一緒にすんな!」


 何が人の機嫌を損ねるのか、それは他人には分かりようがない。しかしマコにとって、自分の価値がその程度だと告げられた事は、プライドを大きく傷付けるものであったらしい。


「トシ! こいつ、シメちゃってよ!」

「仰せの通りに、お姫さま」


 刈り上げの男子が前に出て来た。


 そしていきなり、俺の胴体に向かって蹴りを放った。太腿を持ち上げて膝を伸ばして真っ直ぐ繰り出す、喧嘩キック――いや、空手で言うと前蹴りに近いか。


 ミライが、バックステップで蹴りを避ける。


 するとトシが、蹴り足を前に出して踏み込み、そのまま掴み掛って来た。


 ――ミライ! またこんな……。


「心配するなよ、傷付けやしないさ」

「何だとォ?」


 ミライは口に出して言った。俺の身体を傷付ける下手は打たないという意味なのだろうが、それは言葉に出ていた為、トシへの過度な防衛をしないと言っているように聞こえる。


 トシが、右手をフック気味に振るって、俺の顔を狙った。……シメるって度合いを勘違いしてるんじゃないのか、この刈り上げは!


 ミライは膝を沈めて、頭の上にパンチを通り過ぎさせる。


 それと同時に、トシの右側に移動しており、彼の右腕を制しつつ、左の拳を頬骨の辺りに寸止めした。


 俺とトシにはかなりの身長差があり、俺は頭の上まで左腕を伸ばす形だ。


「こいつっ!」


 そのまま殴り抜かれると思っていたトシは、寸止めをされて、自分が莫迦にされていると感じたらしい。眼にはっきりとした怒りを灯すと、右のバックブローを顔に打ち付けようとする。


 ミライはスウェーバックで避けた。


 鼻先に感じる風圧が鈍い。俺の感覚が薄れている。しかし怖くて眼を瞑ろうにも、そうした部分はミライに支配されているので、まるでヘッドセットディスプレイを装着して遊ぶ拡張現実ゲームのようだった。


 そのまま距離を置こうとすると、背中が岩のようなものにぶつかった。


「ナイスだ、ゲン! そのまま押さえてろ!」


 ゲン……と、呼ばれたのはソフトモヒカンの男だ。彼が俺の後ろから、俺の胸の前に両手を回して押さえ付けている。


 正面から、サディスティックな笑みを浮かべたトシがやって来る。動きを止められた俺に、どのような暴行を叩き付けてやろうか、短い助走距離で考えているのだ。


 ――ミライ! ミライ、マジでやばいってば! おい、どうすんだよおい!


「心配するなって」


 ミライはそう言うと、ゲンの足の甲に思い切り足を踏み下ろした。ほんの少し、身体を締め付ける力が弱まる。


 その瞬間、俺の身体は膝を緩めて落下し、その緩められた膝がぽんと後ろに跳ね上がって、ゲンの股間に爪先を潜り込ませた。


「ぇぐッ」


 ゲンの、蛙が潰れたような悲鳴が頭上から降って来た。


 俺が身体を回転させると、ゲンの腕を振り切る事が出来た。そしてその場に蹲るゲンと、横に逃げる俺を見て急ブレーキを掛けたトシに、俺が接近してゆく。


「おしゃあッ」


 俺は左足を右前に踏み込み、腰をひねってジャンプし、右脚で空中に弧を描いて、踵をトシの横っ面に炸裂させた。


 跳び後ろ回し蹴りだ。


 幾ら俺が小柄で軽いと言っても、それでも人間一人分の体重だ。ジャンプと回転で充分に重さを乗せたキックは、喧嘩慣れした刈り上げを一発でノックアウトした。


 とたん、頭がくらっと来て、又もや倒れそうになった。飯を喰って血圧が上がっていた後だから良かったが、腹が減った状態でこんな事をやってしまえば、体育の時間の二の舞だ。


 ミライは、俺が転ばないように堪えると、東屋の方へ近寄ってゆく。

 ふらつく俺に近付かれてテーブルから降り、離れるマコ。


 しかしミライは彼女の事は気にせず、テーブルに乗せられていた購買の袋の中に手を入れ、そこに入っていた女性向けの栄養補助飲料の瓶を取り出した。


 蓋を千切るようにして開け、瓶を傾けるミライ。俺の咽喉を、鉄の匂いが滑り落ちて行った。


「お代は、彼に返しときますよ」


 唇の端を濡らした飲料を手で拭って、ミライが言った。


「……この……! ねぇ、何見てんのよテツ! 早くこいつ何とかしてよ! レオンも、ぼーっとしてないでさぁ!」


 ヒステリックにマコが叫んだ。


 レオンは、先程ミライにあしらわれてから、放心している。


 テツというのは、もう一人の三年生なのだが、この人物は髪も短く切り揃え、眉も太くなり過ぎないように剃刀を当てているが細くはなく、無精ひげも見当たらず、学ランを首元のホックまできっちりと締めていた。


 見た目が全てではないのは、杉浦先輩で分かっている。だが、その逆のパターン……つまり品行方正な顔をしていながら、恐喝を好む連中とつるんでいる人間に、俺は困惑する。


 尤も、ミライには俺の困惑が伝わっていても、それを顔に出さないようにしていた。


「喧嘩、強いんだね」


 テツが言った。

 他の連中と違って、知的な雰囲気が声から溢れている。


「それでどうするのかな。若しかしてその二人をぶちのめせば、僕たちがハヤオくんからお金を貰うのをやめると思っているの?」


「やめないんですか?」

「うーん……そうだなぁ」


 テツは、俺を見て、そして尻餅をついたままでいるひょろりとした二年生を見て、勝手に頷いてから、言った。


「分かった、やめにしよう」

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