Part26 一瞬のヒーロー

「テツ!?」

「お前、どういうつもりだ?」


 マコとレオンが、悲鳴にも似た声を上げた。

 テツはそれを無視して、学ランの前を開けると、内ポケットから分厚い封筒を取り出した。


 銀行の封筒だ。


 それを持ってひょろりとした二年生の傍に進むと、彼の前に跪き、その封筒から文庫本の厚さをした札束を取り出した。


「ハヤオくん、君から貰ったお金は……確か二ヶ月でこれくらいだったかな」


 その札束を半分くらい取って、ハヤオ先輩の胸ポケットに突っ込んだ。

 更に残りの半分を、学ランの前を開かせて、内ポケットにねじ入れてしまう。


「今までご苦労さま。これから君には、関わらない事にするよ」


 テツはハヤオ先輩の肩をぽんぽんと叩いて、その場から立ち上がった。

 

そして股間を蹴られたダメージから立ち直っているゲンを心配するように声を掛け、地面にぶっ倒れたトシをレオンに起こさせて、マコの肩を抱くようにして校舎の方へ歩いてゆく。


「おかしな奴だぜ……」


 ミライが、俺から離れて呟いた。眼の前に半透明の男が現れると、途端に身体にどっと疲労が襲い掛かった。


 ――ミライ、何て事をするんだ!


「カツアゲに遭っていた先輩を助けた……ってだけだが?」


 ――でも、俺があいつらに眼を付けられたらどうするんだよ……。


「その時はまた、俺が守ってやるさ」


 ――そういう問題じゃない! ああやって、いつも喧嘩で解決する訳じゃないだろう。


「……まぁ、確かに、軽率ではあった。その点は謝るよ。喧嘩で……暴力で解決してはいけない問題だったという事も、分かっている……つもりだ。でも朔耶……」


 ミライは言葉通り、反省しているように見えた。ただ、それは軽々しく喧嘩という手段に出たという事であって、この一件を包括した反省ではない。


「あのままで良かったのか? 悪いが俺は、そうは思えなかった」


 ――それは……良くない、けど。


 それは俺にも分かっている。昨日、彼があの五人に恐喝されるまま、使い走りにされているのを見て、何とかしたいという気持ちにはなった。


 だけど自分の保身を考えたら、俺は、あの事態を解決する手段を見付ける事が全く出来なかった。そしてミライは、俺が最も理想しながら、最も忌避する手段で、ハヤオ先輩を助けてしまった。


「それでも、やはり軽率だったな。すまない、朔耶」


 ――いや……良いんだ。ミライは、やっぱり良い人なんだな。


 自分たちの、崩壊した世界を救う為に、身体を失ってまで過去へやって来た。それならば彼は、その絶望の未来を救う為に尽力すべきなのだ。それなのに、学生同士のカツアゲにまで介入して、虐げられている弱者を助けようと考えられる。


 ――ミライは、ヒーローなんだな。


「よせよ」


 照れたように……でもなく、困ったように、自嘲するように、ミライが顔を反らした。


 すると、


「あの……」


 と、背中から声を掛けられた。

 ハヤオ先輩だった。


「ありがとう……」

「い、いえ……」


 間近で見ると、ハヤオ先輩の顔色は傍から見るよりも悪く、多少は体質を改善した俺よりも虚弱そうであった。兎に角、気弱って感じの表情を作っている。


「君、凄いんだなぁ。あいつらに向かって、あんな……」

「いや、あれは……ううん」


 俺ではなくミライの力だ。だが他人にはミライの事は分からない。説明しても、俺が変だと思われるだけである。


 俺は話を逸らした。


「それにしても大変でしたね。二ヶ月で、そんなに金を盗られたんですか?」

「いや、これの三分の一も使っちゃいないよ。多分、口止め料ってやつだね」


 ハヤオ先輩は胸ポケットの札束を、懐に入れ直した。迷惑料というのか、慰謝料というのか、これを受け取る権利は当然ある訳だが、ちゃっかりしているようにも見えてしまう。


「口止め……」

「他の人たちは知らないけど、あのテツって人の親は市議だか何だかで、実家はお金持ちらしい。だから、こんな事をやっていると知られたらまずいと思って、用意していたんだろうね」


「そんなに金があるなら、初めから先輩にたかる必要ないじゃないですか!」

「うん……」

「意味分からねぇ……」


 それが本当ならば、彼こそレオン言う所の、パパやママに言えばお小遣いを好きなだけもらえる人間だ。そんな環境にいる人間が、他所の人間から金を巻き上げる。


 俺にはいまいち分からない話であった。


「で……先輩はそれで良いんですか」

「別に病院に行くような酷い怪我をさせられた訳でもないし。使った分のお金はこの通り帰って来たし、今更、何を騒ぎ立てる事もないよ。それに、こんな事で話を大きくしていたら、親や、僕の進路に影響が出来るかもしれないしね……」


 へらへらとした笑みを、ハヤオ先輩は浮かべた。


 俺はどうにも納得し切れないでいたのだが、ハヤオ先輩の言う事も分からないではない。


 仮に事件として扱い、裁判沙汰にしても、彼らの行動が暫く制限されるだけで、何年かすればなかった事のようになる。ハヤオ先輩に対して支払われる罰金とか慰謝料も、今、彼が懐に入れられた金額と大差ないであろう。


 それに、彼らが重い罰を科せられたとして、それでハヤオ先輩が受けた金銭的・身体的被害以上の、精神的苦痛が晴れる訳ではない。


「じゃあ、僕はこれで……早くしないと、授業に遅れちゃうなぁ」


 ハヤオ先輩はそう言って、俺の前で踵を返した。


「先輩、これ……」


 俺はテーブルに残された購買の袋を、ハヤオ先輩に渡した。


「僕、こんなに食べられないよ」

「先輩の金で買ったんですよ」

「うーん……」

「腹が減っては何とやら、です。午後の授業もこれ喰って頑張りましょう」

「……あはは、面白いな、君」


 ハヤオ先輩は袋を受け取って、その袋からおにぎりを一つ、俺に渡してくれた。


「僕、平坂ひらさか隼男はやお。二年生です」

「一年の、飛鳥朔耶です」

「まぁ……何かあったら、またね」


 ハヤオ先輩――もとい、平坂先輩はそう言って、購買の袋を手に提げて校舎に消えて行った。


 俺は、彼から受け取ったおにぎりを、取り敢えず食べた。


 ――あんまり、良い気分じゃないな……。


 俺はミライに言った。


 テレビのヒーローなら、恐喝していた連中をぶちのめして、事件は解決だ。


 テレビの物語の映像には、フィルムの外側がない。漫画のコマの外にも同じだ。


 しかし現実はそう簡単ではない……。


 悪い奴が、弱い人を虐げている光景を見て、我慢し切れず、その悪い奴らを打ち据えてしまう事は、ミライのような力がある人間ならば簡単だ。


 でも、その時だけだ。

 その一瞬だけしか、弱い人を助ける事は出来ない。


 助けたその人が、与り知らぬ場所で理不尽に復讐またがたきされてしまったら、すぐにその場に駆け付けてやる事は出来ないのだ。


 だから俺は……いや、これは言い訳に過ぎないのだが。


 何より俺一人では、先ず一人の人間をその場限りであっても助ける事など、出来はしないからだ。


 ただ……この日を、俺は悔いる事はないだろう。


 テツという男はああ言ったが、又、平坂先輩が彼らのターゲットになる可能性は少なくない。テツの判断に、レオンたちは不満そうだったからだ。そしてそれ以上に、ミライの事を知らない彼らは俺を良く思わないだろう。


 平坂先輩も、俺も、彼らに狙われるやもしれなかった。

 それでも俺は、ミライの力を借りての事とは言え、平坂先輩に一時的にであっても手を差し伸べられたのだから、今までのように見て見ぬ振りをしたと後悔する事はないのだろう。


 その点に関してだけは、軽率なミライの行動に感謝したいと思った。

 おっと、こんな事を思ったら、ミライには筒抜けになってしまうかな……。


「さ、そろそろ教室に戻った方が良いんじゃないか。次の授業が始まっちゃうぞ」

「……だね」


 俺たちは、教室に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る