Part24 冷静で優しい未来人

 保健室は一階の南端にあり、廊下を真っ直ぐゆくと俺たちの教室である。


 体育の授業などで着替えが必要な時は、今は空き教室となっている、かつては一年五組だった部屋を更衣室に使う。女子は、こことは別に更衣室が用意されているらしいのだが、男子には与り知らぬ事である。


 下手に知っていると、スケベだの変態野郎だの、うんこマンに並ぶ不名誉な呼称が与えられる事になるのだ。因みにうんこマンとは学校で大便をした奴の事だ。


 更衣室には施錠出来るロッカーが並んでおり、ここに服や貴重品を入れる。俺以外の生徒はもう着替えているか、体操服のまま昼休みに突入して校庭や体育館で遊んでいた。俺は学ラン姿に戻り、購買部へ向かった。


 今日は玉子サンドとハムサンド、鮭のおにぎりを買った。自販機でパックのコーヒー牛乳を買い、いつものように中庭へ移動する。


 ――食べながらでも、話、聞くけど。


 俺は定位置となっているベンチに腰掛け、ミライに話し掛けた。


「いや、飯を喰う時くらい、落ち着いていたいだろう。それに、大方の事は話したからな」


 ブラッド粒子の暴走が引き起こすソウルリバーサル現象。

 これにより人間が変化するリアライバル。

 その被害を喰い止める為に必要な重曹ブラッド粒子を扱い構築されるクロスブラッド。


 まだ分からない事も多いが、俺がやらなければいけない事は分かった。


 俺はミライと共にクロスブラッドとなり、リアライバルになってしまったあやちゃんを元の姿に戻さなければいけない。


 あやちゃんの心が、無意識とは言えあんな姿になってしまった事へのショックは、まだ薄れていない。だがミライの言うように、人の心には幾らかの悪い気持ちが宿っている。それを抑え込もうと善良に振る舞っているのなら、それはヒューマニズムに基づいた行動だ。


 俺は、あやちゃんの事が、前よりも更に身近に感じられるようになり、好きになった。


 二つで一組のハムサンドの包装を開け、食べる。脂の乗ったハムに、ほんのりと辛いマヨネーズが絡んで旨かった。しゃきしゃきのレタスが、口の中で心地良く鳴る。


 玉子サンドは、茹で卵のスライスを挟んだもの、マッシュした茹で卵をマヨネーズで和えたのを挟んだものの二つがセットになっている。異なる食感を楽しんだ。


 ――ミライ、俺に憑いて良いよ。


「急にどうした」


 ――ミライだって腹は減るだろ? いや、減らないかもしれないけど、見てるだけなんてつまらないじゃないか。俺の栄養になるのは変わらないんだから、ミライが食べたら良い。


「……悪いな。いや、ありがとう。実を言うと俺も久し振りにものを食べたかったんだ」


 ミライが俺に憑依する。俺の意思によって身体を動かす事は出来なくなるが、感覚はそのままだった。


「頂きます」


 ミライはおにぎりを開けて、食べ始める。俺の口が勝手に動いてものを咀嚼するのは変な気分だった。


 ミライはがつがつとおにぎりをやり、呑み込んだ。俺がそんな早さでがっついたら、間違いなく咽喉に詰まらせて、咳き込んでしまう。


 ――そんなに急いで食べなくても……。


「ん……そうだな。この時代は、そんなに急がなくても良かったのか」


 ミライはコーヒー牛乳を飲み干し、俺の身体から出た。


 ――この時代では?


「向こうでは、食べ物も少なかったからな」


 そうか……ミライがやって来た未来は、たった一五年先とは言え、リアライバルに人間たちが脅かされ、文明崩壊にまで至った世界なのだ。今のように、小銭を出せば腹を満たせる環境ではなかったのだろう。


 俺は、ミライが過去を改変しようという大それた決意をせざるを得なかったと推測出来る程の、過酷な未来を想像した。そしてこの、博識でドライになりそうでありながら、冷静で優しい未来人が、豊かなこの過去で何を思うのか、考えてしまう。


「随分と高く評価してくれるんだな、俺の事」


 ――勝手に心は読まないって言ったじゃないか!


 俺は、普通の人間同士なら決して口にしないような事を、ミライに心を覗かれて恥ずかしくなった。別に怒った訳ではないが……兎に角、そんな事は思っても言った事はないので、自分がそう考えていると見抜かれると、気恥ずかしい。


 その羞恥心を誤魔化すように、ゴミを袋に纏めて、捨てにゆく。


「悪い、悪い。でも俺は、そんな風に言われる程の人間じゃないんだがな……」


 自嘲するように、ミライ。


 ゴミ袋を捨て、教室に戻ろうとしたのだが、ふとミライの視線が動いた。彼の眼の先を追ってみると、東屋があった。


 昨日と同じように、あのひょろりとした二年生が、あの五人組の前で立たされている。


 俺は咄嗟に眼を反らすのだが、どうしたって声が聞こえて来る。


「何だとォ? もう一度、言ってみろよ」


 アクセサリーをぶら下げた唇を動かして、金髪の男子生徒が低く声を上げた。三年生だ。


「だ、だから、もう、お金なくて……」


 ズボンを腰で穿いた、襟足を刈り上げた二年生が、東屋の柱を蹴り付けた。


「金がねぇだと? つまんねぇ嘘吐いてるんじゃねぇよ!」

「本当です! 本当なんです、もう、僕の小遣いじゃ……」


 その時の音にびっくりしながらも、ひょろりとした二年生は抗議を続けた。

 テーブルの上に腰を下ろし、短いスカートから下着が見えそうになっている女子生徒が、呆れたように言った。


「中学生にもなって、小遣いとか子供みたいな事ほざくなよ! 本当は持ってるんだろう」

「もうありませんよ……!」


 長い脚を組み替えながら、二年生の女子生徒。

 その翻るスカートから覗く下着に目移りしそうになるのを堪えて、彼は蒼白い拳を握り締めていた。


「おい……」


 それまで黙っていた、ソフトモヒカンの、背の高い男子生徒が、彼の胸倉を掴んだ。


「今、マコのスカートの中を見ていただろう」

「えッ?」

「マジ? 金はないくせにスカートの中は見たいんだ。本当に気持ち悪いンだから」

「そんな事してません!」

「別に見せてやっても良いんだよ。その代わり、見物料として一〇万円用意しな」


 マコ……と呼ばれた女子生徒はわざと、両膝を左右に広げて、がに股にした。スカートの裾が広がって、より広い面積が見えそうになっている。


「何なら触らせて貰えよ。パンツの上からでも、直接でもな。その他にも色々やって貰うのが良いんじゃねぇか?」

「ちょっとぉレオン、何勝手な事言ってんのよぅ」


 金髪顎ピアスの三年生、レオンとやらの言葉に唇を尖らせるマコ。


「てめぇのような、一生掛かっても女に相手されないような奴には、一〇〇万払ってでも今の内に経験して置いた方が得だと思うぜ。ぎゃはははははっ」


 レオンが下品な笑い声を上げた。


 ひょろりとした二年生は、ソフトモヒカンの生徒から押し飛ばされて、昨日と同じで尻餅をついていた。


 ……可哀想だが、あんな連中には関わらない方が良い。


 彼だって出来る事なら関わり合いにはなりたくなかったのだろうが、眼を付けられてしまったのなら、そういう不幸の星が頭上で光ったと思って貰う他にはない。


 俺は、つい眼にしてしまった光景を忘れるべく、かぶりを振って教室へ向かおうとしていたのだが……どうした事か。


 俺の足は、彼らのたむろしている東屋に、爪先を向けていた。


「先輩方……やめにしませんか。そんなつまらない事は」


 俺の口が、勝手に動いた。


 人が聞く声と、自分が聞く声は違うという。テープに録音した自分の音声が、思っていたのとは異なるというのは、良くある話だ。


 だがその言葉は、俺がいつも聞いている声だった。


 喋っているのは俺ではない。

 この感覚には慣れないが、どうした時にこんな感覚になるのかはもう分かっている。


 ――ミライ!

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