Part12 クロスブラッドの力
リアライバルというらしい怪物を打ち倒した俺……飛鳥朔耶の前に立っていたのは、昔馴染みの布川あやかちゃんだった。
しかもどういう訳か、俺を襲った怪物リアライバルが、クロスブラッドの打ち出したブラッディストライクによって霧散した場所に、あやちゃんは立っている。
いつも綺麗な黒髪は、強風が吹き付けたようにぼさぼさになっている。服も皮膚も、校庭に舞い上がった砂埃で汚れているようだった。
――あやちゃん? どうして、あやちゃんがここに……?
俺はあやちゃんの事が気掛かりで、下校途中に牡丹坂高校へやって来た。そこに現れたリアライバルは、高校の教師を一人殺害し、そして俺の命までも狙ったのだ。
命の危機に瀕した瞬間、俺の前に光と共にミライと名乗る男が現れ、俺はいつの間にか手にしていたクロスピナーでクロスブラッドに“重装”した……。
「彼女があのリアライバルの正体だ」
俺の口が勝手に動く。けれど発せられたのは俺の言葉ではなく、ミライの言葉であった。
――あの化け物が、あやちゃん……?
そんな事は、信じられなかった。
あの怪物の存在自体が、俺にとっては現実とは思えない、空想の産物でしかない。それが実体しているだけでも困惑しているのに、その正体があやちゃんだって?
俺は妄想は得意だが、だからこそ、現実とは切り離して考える事を忘れないようにしている。だから、あやちゃんに限らず、全ての人間が、あんな怪物に変化する事はないのだと分かっているのだ。
それが、常識というものだ。
「残念ながら、君の常識が通用する世界じゃない。ここから先はな……」
俺の心を読んだように、ミライが言う。
しかし心を読むと言っても、今の俺の身体はミライの意思によって動いている。ミライは初めに姿を見せた時から、スクリーンに投影された映像のように背景が透けていた。実体を持っていないのだ。それが、俺の身体に憑依して実像を結んだ……?
「それを理解する力はあるのにな。やっぱり言葉だけじゃ、受け入れられないか」
ミライは俺の右腕を動かして、あやちゃんを指差した。
「見ろ」
あやちゃんが、こちらに正面を向けた。
するとその綺麗な顔が……微笑み以外の表情を想像する事が難しかった顔が、悪魔のように歪んだ。彼女の身体から、赤黒い光が発せられる。どうやら、赤と黒、二種類の粒子があやちゃんを中心に渦を巻いているようだった。
血のような粒子はあやちゃんの姿を隠し、たちまち肥大して霧散した。そこにあやちゃんの姿は既になく、代わりにあのリアライバルの姿が再び出現していた。
鋸の爪を持った四本足の獣。肩からは鴉の翼が生えているが、羽根の一つ一つは昆虫のそれのように半透明だ。鰐のような巨大な尻尾が先端を地面に跳ねさせれば、人の頭の高さまで砂埃が舞い上がる。そしてもたげられた頭を支える為に太い頸。
――あやちゃん!
顔の左右に二つずつ、四つの眼を持つ頭部の額に、二本の舌を持つ口が開いていた。その下顎の辺りにあやちゃんの顔が張り付いている。先程は獣毛に隠されていて見えなかった、閉ざされた眼と口は、あやちゃんのものだったのだ。
リアライバルと化したあやちゃんは、肩の翼を大きく羽ばたかせ、浮かび上がった。あの巨体を持ち上げる羽ばたきは、俺がよろけてしまいそうな強さであった。
リアライバルは夜空に舞い上がり、地上を覆う分厚い雲の中に吸い込まれるようにして、その場から飛び去ってしまった。
見ろ、とミライが言ったのは、あの事だったのか。俺の前で、あやちゃんがあの怪物に変化するのを見ろと……。
――どういう事なんだ? 一体何なんだよ、あれは! あやちゃんはどうなったんだ? ってか、あんたは何なんだよ! 俺はどうなっちゃったんだ!? あのメダルは? ケータイは? この姿は!?
俺は訳の分からない状況の連続に混乱して、事情を知っているべきであるミライに向けて捲し立てた。けれど俺は俺の口を動かせていないから、これはただの心模様に過ぎない。
「ああ、それは……」
ミライが口を開こうとした時、仮面の向こうからサイレンの音が聞こえた。消防車とパトカーが、牡丹坂高校の坂を上がって来る音だった。
「結構、デカい音だったからな。誰かが通報したんだろう。姿を見られると面倒な事になる。取り敢えず今は、ずらかるぜ」
悪党のような事を言って、ミライは駆け出した。
ずらかる……この場を離れると言っても、どうするつもりなんだろう。牡丹坂高校から出るには、あの坂を下りない事にはどうにもならない。他に道がないではないが、それで住宅地に戻るには崖を下りるくらいしかないのではないか。
「こうするのさ!」
ミライは校舎の反対側へ向かってダッシュし、思い切り踏み切って、跳躍した。
そのジャンプはあっと言う間に俺の身体を地上数十メートルの高さまで連れてゆき、そして牡丹坂高校の敷地の外に移動させた。
――えぇぇっ!?
「どうだ、良い眺めだろう」
俺の身体は、町を見下ろす高さにあった。明かりの消えた商店街と、都会の空の星のようにぽつぽつと光る住宅街。信号の光を交差させる十字路に、まだまだ眠らない繁華街。ショッピングモールの駐車場では車のライトが行き来している。隣町まで見渡せる。人々を乗せて走る電車が駅に滑り込んでゆく様子も、線路の下を通って海に流れ着くであろう川も、文字通り一望出来るのだった。
報道番組のヘリコプターにでも乗らなければ見る事の出来ない光景が、俺の眼窩に広がっていた。驚いた事に、今の俺は航空機からパラシュートを伴って落下している訳ではないのである。
俺の身体一つで、この高さまで飛び上がり、そして見下ろしているのだ。
凄い……
「凄いだろ? これが、クロスブラッドの力さ。おっと……」
ミライはそう言いながら、左手で仮面の左側を覆った。その部分だけ、バイザーが破損して顔が剥き出しになっている。手を退けると、その破壊された部分が修復され、新たに取り付けられたバイザーのモニターに、外の光景が浮かび上がっていた。
バイザーの内側のモニターには、今の高度や、俺の身体の状態がデジタル表示されている。その身体の調子を見ているらしい部分が、明滅を繰り返していた。そしてそれに伴って、高度が急速に下がってゆく。
「やっべ」
ミライがつい、という感じで言った。
何が“やっべ”なのか、俺にも何となく分かった。クロスブラッドとしてリアライバルと戦っていた時は気付かなかったが、そもそも俺の身体があんなに動く訳がない。あの時の、身体が軽くなる感覚がなくなり、ずっしりと全身に見えない錘が乗せられたようだった。
落ちている。
落下しているのだ。
地上まで、後、一〇メートル弱。モニターの視界が段々と狭くなり、地面が凄い勢いで俺に向かって進行して来るようだった。
――うわぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~っ!
俺は悲鳴を上げたかった。だが、俺の口は動かない。まるで夢の中で絶叫しているようだった。
誰にも届かない叫び声が、俺の頭の中でだけ反響する。地面が速度を上げていた。俺の身体は、牡丹坂高校を離れ、丁度、自宅付近の公園に向かって落下……いや、墜落してゆく!
どんっ、と、重たい衝撃が走った。
眼の前が真っ暗になり、平衡感覚がいかれる。俺は無重力状態で地面に投げ出されたのだが、それが果たして寝ているのか立っているのか分からないくらいであった。
「エネルギー切れとは、格好付かねぇなぁ……たはは」
ミライの自嘲気味な笑い声が、俺の頭に響いていた。
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