第2話

「だいたいね、未来人なんかいるわけないでしょ」

 職員用の玄関を出てすぐに、遠藤が言った。

「たまたま当たって、いい気になっただけなんじゃないですかね。引っ込みがつかなくなったんですよ、きっと」

 学校を出た途端、何かに解放されたように彼は言った。幸い、完全下校の時間はとっくに過ぎているので生徒の目を気にする必要はない。

「まあ、前から似たような奴はいたからなあ…」

「でしょ? 地震が起こるたびに『次は何月何日だ』とか言うやつ。それがたまたま成功しただけなんすよ」

 そう言うと、遠藤はわざとらしくため息をつく。

「授業中ね、そんな話題でいちいち騒がれてちゃ、たまったもんじゃないですよ」

「授業中は困るよね、確かに」

「なんでそんなに過敏に反応するかなぁ、ほんとに」

 遠藤は短い髪の毛をがしゃがしゃっと掻きまわす。彼も相当疲れているようだ。

 今年から一年部の学年主任となってからというもの、遠藤は疲れた様子を見せることが多くなった気がする。それまでは、無駄に元気な体育教師という印象だったが、最近はなかなか忙しくて滅入っているのだろう。

「大須賀先生、飲みます?」

「いや、今日はよしとこうかな。やることも溜まってるし」

「まじすかぁ、じゃまた今度っすね」

彼はそう言うと、薄っぺらいレザーバッグを持ったままわかりやすく肩を落とす。

彼と私は同じ高校の男子バレー部の顧問と副顧問という関係で、帰る方向が同じということもあって帰りに遠藤の家でよく飲んでいる。実際、私はほとんど飲まないので、彼がひたすら飲んで私がその愚痴を聞くだけなのだが、それが週末のお決まりとなりつつあった。だが、今夜は来週のための教材づくりをしなければならないので、さすがにやめておこう。

 前方から来た空のタクシーが、私と遠藤の横を通り過ぎていく。私が飲みの誘いを断ると、疲れがどっと出たのだろうか。急に彼の姿勢が悪くなったように見えた。

「いやあ、こうやってあくせく働いてると、わかんなくなっちゃいますよねえ。何やってんのか」

 遠藤は覇気のない声で言った。日頃の疲れが吐かせた言葉だろう。彼の言葉は、少し冷えた夜の空気に染み入るように消えていった。

「何やってんのか?」

「何のためにこんなに働いて、結局どこに向かってんのか、もっと大げさに言うと何のために生きてんのかも、わかんなくなりません?」

 急に威勢良くしゃべり始めた遠藤に驚き、言葉が出なくなる。彼の内側の声がまっすぐ私の頭に飛び込んでくるようだった。

「自分の好きなこともできない、大切な人とも一緒にいられない、こんなに必死になってまで何を守ろうとしてるのか、わかんなくなりますよね」

 尻すぼみになっていく彼の言葉が、次第に彼自身に向けられていくのがわかった。

 まあな、となだめるように相槌を打っておく。遠藤は小さなため息でそれに応えた。そんな彼にかける言葉は、私の中にはなかった。

 私は一人娘と共に暮らしているが、彼には訳あって家族がいない。彼の話を聞く限りでは完全に彼のせいだが、こういう時になってその後悔が彼に重くのしかかってきているのかもしれない。

 大切な人と一緒にいることの大切さについては、私も遠藤もよくわかっている。その時間が十分に足りているということはありえないのだ。それでもなお、私たちは働くために時間を削らなければならない。

「たしかに、何やってんだろうなあ…」

 素直な思いが、そのまま喉を通り抜けていった。遠藤は何も言わない。

 並んで歩道を歩く自分の姿が、とてもみじめに思えた。

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