名前を呼んでくれ

石川ちゃわんむし

第1話

 エアコンがいらない季節になった。寝転んでいた僕は、ゆっくりとベッドから起き上がる。窓の外は暗くなってきていた。久しぶりに血が巡った気がして、思い切り伸びをしてみる。気付けば部屋の中も薄暗くなっていた。

 耳がなんだかむずがゆくなって、剥ぎ取るようにイヤホンを外す。ひぐらしの声が急にはっきり聞こえるようになった。聴いていた音楽を止めて、ふーっと息を吐き出す。僕が音楽を聴いても聴かなくても、外の世界には関係がない。まるで自分が世界の隅っこにいるようで、少しだけ居心地が良かった。

 家の外から、人の声が聞こえてきた。あっはっは、という高らかな子供の笑い声。それに続いて何人かの子供の声がした。見なくても、最初に笑ったのは僕の家の近所に住む男子だとわかった。彼は僕とクラスが同じで、いつも明るくて騒がしいムードメーカーだ。きっとまた、クラスの友達をたくさん家に呼んできたのだろう。明日は土曜日で何もないから、お泊り会でもするのだろうか。男子の声も女子の声も、笑い声とともに僕の家の前をあっという間に通り過ぎていった。

 いつも通りだ、と思った。小学校を卒業し、中学校に入学しても何も変わらなかった。中学校に入ったら今までとは違ってたくさん友達ができるような気がしていたけど、そんなに都合良くはなかった。大して友達はできず、僕は今もこうしてベッドの上で一人、ぼんやりすることしかできないのだ。

 薄いレースのカーテン越しに、誰もいない道路が見える。さっきまでオレンジ色だった景色はさらに暗くなり、赤みを帯びてきた。

 それほど疲れてはいないはずなのに、あくびが出る。

 日が暮れていく。今日が終わる。

 こんなことをしていて良いんだろうか。世界は終わりを迎えるというのに。



 事の始まりは、SNSに現れたある人物による書き込みだったそうだ。

 オルギリオ、と名乗るその人物は国籍や性別、年齢などを一切明かさず、「自分は未来人である」と言った。そしてそれを証明するかのように数日後の地震の発生を予言して見せたのだ。震源地や地震の規模までも細かく言い当てたことに、世界中から注目が集まった。

 そして、オルギリオはさらに「二十年後、私たちの世界に破滅が訪れるかもしれない」と予言した。自分は破滅の直前からやって来ていて、まだ世界は破滅していないからわからないがおそらく世界は終わる、というのだ。

 この発言は数カ月前のもので、まだこの発言が世界に広がって間もないのだが、世界中のテレビ番組や新聞がこぞって特集を組み、世界中の評論家たちがそれに関する本を書いている。実際、オルギリオに踊らされているという声も少なくないようだが、前例がある分オルギリオの言葉には説得力があった。

 僕はいま中学二年生だが、学校はオルギリオの話で持ちきりだ。「世界が終わる前に何したい?」という話がほとんどだが、僕がその話に加わったことは一度もない。そんな話をする仲のいい人がそもそもいないし、そんな話をするよりも教科書を見返したり予習したりする方が有意義だと思う。

 別に、友達がいらないわけではないのだ。シングルマザーの家庭に生まれた僕にとって一人で過ごすのは慣れっこだが、どちらかというと友達はほしい。できることなら、さっきうちの前を通った彼らとも仲良くしたいのだ。誰かがうちのインターホンを押しに来やしないかと少し楽しみにしていたこともあったが、そんなことは今まで一度もなかった。

 僕は、部屋の床に置かれたアコースティックギターに手を伸ばす。弦はボロボロでネックも相当汚れているが、僕の数少ない友達である。

 小学校低学年の頃に、家に転がっていたギターを触り始めたのがきっかけだった。最初はチューニングがめちゃくちゃで抑え方も適当だったが、それっぽい音がするだけでわくわくしたものだ。それからというもの、一人の時間があればインターネットで知っている曲のコードを調べて練習するようになった。

 右脇に抱えるようにし、左手で弦全体をなでる。すごくしっくりくる。パズルの最後のピースをはめるのと同じように、僕とギターとで一つのものになるような気がした。

 何気なく、いくつかコードを鳴らしてみる。死んだような部屋の中に、ギターの響きは消えていった。

何もない。誰もいない。

それが悲しいことだとは思わない。

けれど、何かが足りないような気がした。

寂しさとは明らかに違う、さっきの同級生たちには埋めきれない大きな穴。

このまま、世界は終わってしまうのだ。

なんだか、悔しかった。これが僕の人生だと思いたくなかった。

何か、しなければ。

なぜか急に自分が焦り始めたのがわかった。だからといって特別なことは何もできないのだが、体の中で謎のエネルギーが湧きはじめたのがわかった。このままだと、何も残さず世界の終わりを迎えることになるかもしれない。

こんなところで、引きこもっていてはいけないんだ。僕は何かに操られるように、ギターを持ったままベッドを出て立ち上がった。僕の中の僕が腐ってしまいそうな気がした。

このまま、外に出てみようか。なんとなく、そう思った。この部屋にいても、結局一人のままだ。僕の世界を出なければ。

今のまま死ぬのは、嫌だ。

ギターのネックを握る手が少し震えたのがわかった。



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