29話 光と影と土だるま

 朝ぼらけのしんとした空気の中、岩の上をぴょんぴょんと身軽に跳び移る少年の姿があった。危なげなくいくつもの岩を渡った少年は、最後の岩を力強く蹴ると、緑の繁る広い場所に飛び乗る。そこは町の外れだった。

 休む間もなく、北に高くそびえ立つ時計台の方に向かって走り出す。だが右手に建物の姿が見えた途端に彼の走りが遅くなり、やがて止まる。


 やや離れたら位置からでも見えるそこは、討伐隊の居住区だった所だ。いや今も残る隊員が住み続けているし、怪我人や重傷人も寝ているだろう。

 ただその建物は常盤の知っている姿から変わり果てていた。彼は遠目にもわかる剥ぎ取られた戸や崩れた壁、傾いた屋根等を見て、唇をきゅっと噛む。

 恐らくあの様子では、建物の中でおちおち休むこともできないだろう。だが今は、診療所や教会もどこもかしこも、隣人を収容する余裕などないのが現実だ。討伐隊のような体力のある者達は、まだ容態がマシな方だと言える。


 再び歩を進め、瓦礫や片方だけの靴、得体の知れぬ残骸が転がり、人気のない荒れた道を抜けると、少しずつ建物の形が残る場所に出る。道も歩きやすくなり、脇に壊れた荷車が残されるくらいで後は一見して気にならない程度に片付けられている。


「ああ。常盤じゃないか。伸羅さんの様子はどうだ?」


 正に今、脇で瓦礫を片付けていた中年の男が声をかけてきたため、少年は止まりぺこりと頭を下げた。


「お陰様で。父は少し前に目を覚ましました」

「そうか。まあ意識を取り戻したなら良かった。これから診療所か?」

「ええ。母だけでは回らないので」

「華芽さんも大変なんだから、常盤も無茶なことするんじゃないぞ」


 男は常盤のやって来た方をちらりと見て諌める。そちらは被害が大きく、人が住める建物はほぼない。あるのは長老と討伐隊が辛うじて住める建物と、大量の奇形種が出てきた岩場だけだ。常時ならともかく、このような時に少年の行くべき所ではない。


「わかっています。ありがとうございます」


 少年は殊勝に頷くと、会釈をして去っていく。

 終始大人びた態度で対応し、危なげない歩みを進めていた少年だが、堪えきれず途中から駆け足になってしまった所などは、まだまだ幼いと言えるだろう。谷の子供達は、このような深刻な事態になってもじっとしていられず、元気に走り回っている。それは大人達にとって心休まる光景だ。

 町の中心部に差し掛かる頃、常盤は道行く人々の中によく知る同年代の少年を見かけ、声をかけた。だが少年に近付くに連れ、常盤は不審気な表情になる。


「お前ひっでー顔だな。どーしたんだよ?」

「あ……トキ?」


 少年は常盤の姿に今気付いたかのように目を見張ると、周囲を見遣った。その様子はどこかぼんやりしており、腕や足に巻かれた包帯の白さも相まって非常に危なっかしい印象を与える。


「えーと、おはよう。朝早くからこんな所でどうしたの?」

「母さんの手伝いだよ。親父目を覚ましたんだ」

「そっか。良かった」


 少年が目元を和らげると、反対に常盤は思い切り顔を顰めた。


「良くねーよ。親父の右腕はもう、前みたいに動かねーって。仕事は片腕でも何とかなるって言ってるけど、やっぱ色々キツい。全然ダメだ」

「トキ……」

「わかってるよ。この間ので死んだヤツだっている。生きてるだけでもめっけものだって親父も言ってた。でもさ。風術の得意だった親父ですらヤられてるんだ。片腕になった親父がまた奇形種に遭ったらどうなる? 次はどこをヤられんだ? 左腕か? 足か? 俺はその時、親父を助けて一緒に戦うことできるのかって……」

「……」

「ごめん。お前も怪我して色々大変なのに、変なこと言った。ンなこと言ってる場合じゃねーよな。それにジジイがもう大丈夫だっつってんだから、大丈夫なんだろ」

「……うん、そうだね」


 まだ十代に上がりたてで自分のことに精一杯な彼は、目の前にいる少年の複雑な表情に気付かず、切り替えるように明るい声で顔をあげた。


「ところでアヤはそっちにいんだろ? 今日は帰ってくんのか? 親父が目ぇ覚ましたから、一度母さんも家帰るみたいだし、あいつも戻れんだろ」


 冷たい風が砂を巻き上げ踊る。少年の表情が固まり、乾燥した唇を震わせながらゆっくりと口を開く。


「……華芽さん、アヤのこと何か言ってた?」

「菊咲さんが見てくれてんだろ? 長老と菊咲さんにお任せしてるって言ってた。ジジイも毎日谷中うろうろしてるみたいだし、大変だよな」


 常盤の脳裡に間近で見た奇形種の姿が浮かぶ。黒いどろりとした体、鼻につく不思議な匂い、耳に残る甲高い嘲弄。ぺとりと腕についたものは、風術により弾けたあれらの体の一部。


「あいつら……あんなにいっぱいいて。普通じゃない。ジジイや恭斎さんが頑張ってくれたから何とかなったけど、だからって大丈夫なんじゃない。アレはダメだ。いることを許しちゃいけないモノだ」

「うん……」


 常盤には自分の言葉に奇妙な確信があった。そして彼はまだ、先日の襲撃による精神的ダメージが色濃く残っており、家族の状況も相まって連日の疲労が蓄積していた。

 だから自分の言葉に、最も身近な幼馴染が泣きそうな表情をしたことにも気付かず、そのまま続けた。


「俺、親父達が家に戻ったらもっと修行する。俺の場所で、どこから来たのかも何もかもよくわかんねーあんな奴らには、二度と好き勝手さねー」


 柔らかい風が少年の前髪を巻き上げ、朝陽が少年の顔を照らす。真っ直ぐな少年の決意に空が称賛の息吹をあげ、大地が穏やかに祝福する。

 対する一方の少年は、自らの影の中で、口の端をあげて笑った。


「そっか。わかった」


 風が裂け、別れた風が方向を変えてぶつかり、散る。

 光が舞い、影が広がる。光と影を生み落とした風は過ぎ去り戻らない。

 常盤もまた最後まで、影で微笑む少年の想いに気付くことはなかった。

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