28話 大人と少年と土だるま

「──どこに行くのかしら?」


 暗い夜道を歩む少年に柔らかい声が掛けられる。

 教会を女手一つで切り盛りし、孤児の面倒を見、住人達の相談役まで兼ねる菊咲は、谷の、特に孤児の動向に殊更敏感だ。彼女から隠れて何かすることは中々難しい。だから少年もまた声を掛けられたことに驚きはしなかった。


「こんばんは、菊咲さん。長老に会いに来ました」


 菊咲が表情を変えずに首を傾げる。


「もう夜も遅いわ。子供が人に会いに来る時間でもないでしょう。何の御用か伺いますわ~」


 対して少年は微笑を貼り付けたまま崩さない。


「菊咲さんが答えてくれるならそれでもいいですよ。俺は真実が知りたいだけだ」

「何かしら~?」

「長老は──貴女達はアヤを見殺しにしましたね」


 確信を持った強い言葉に、菊咲が僅かに眉を顰める。


「色々おかしいとは思ってたんだ。アヤは俺のように孤児院でなくナイヤシア家……トキの家に預けられ、あの子と一緒に外に出れば必ず貴方達の誰かとかち合う。監視してたんですね。だから監視の目が緩くなる場所に行くと、いつも誰かがやって来た。孤児院じゃないのは、子供の人数が多すぎて行き届かないからですか? それとも伸羅さんの実力を当てにしたんでしょうか」

「……貴方は何が聞きたいのかしらねえ」

「貴女方が隠していた真実です。貴女達はアヤを警戒し、監視していた。害になると判断したらすぐに切り捨てられるように」

「そんなことはありませんわ」

「では何故アヤに風術を積極的に教えようとしなかったんです? 風術は自らの身を守るものと教えたのは谷の大人達だ。住人は等しく学び、日常的に使う。使えない者にはフォローまで入れて。貴女方がそれだけ必要だと考える技を何故アヤには使わせなかったのですか?」

「危険だからですわ」

「誰にとって?」


 食い入るように見据えてくる少年から、菊咲は目を逸らせ溜め息をついた。


「……貴方に何を言っても理解できるとは思えないわ」


 少年が不快気に眉を寄せる。


「それは俺が子供だからですか?」

「そうとも言うわね。貴方は今、自らの内にある答え以外、受け入れられないように見えるもの」

「菊咲さんが決めることじゃない。──それに何も言わずに結論だけ押し付けてきているのはっ、あんた達の方じゃないかっ!」


 少年の顔が歪み目尻に涙が滲む。気に食わない。ちょっとした言葉で揺れる自分も、向けられる菊咲の痛ましそうな表情も何もかも気に食わない。


「貴女達は向こうからやってきた小さな女の子を、受け入れるふりだけして結局見捨てたんだっ! 攻撃されたアヤがどんな気持ちになったと思ってるんだ!? アヤを返せっ! アヤが一人で……っ今どこでどんなになってるか知ってるのかよっ!!」

「貴方なにを──」

「菊咲」


 ふいに割り込んだ低く落ち着いた声に、二人がはっと顔をあげる。白髭を蓄えた細い老爺が、菊咲の背後にある家から出てきていた。その凪いだ静謐さに場が一瞬にして塗り変わる。

 気圧され勢いを失った少年が、長老と小さく呼ぶ。


「私に用があったのだろう? すぐに出てこれんですまんかったな」

「長老、まだお休みになられていた方が良いのではないかしら」

「良いよ。菊咲」


 少年が目の前に立つ老爺を見詰める。その落ち着いた瞳を見詰める内に、先程までの腹の底から沸き上がるような激情は鳴りを潜め、言いたかった言葉が見えなくなっていた。

 だからそれは、ただ何となく口からこぼれ落ちただけだった。


「アヤは……もういらなくなったの?」


 幼いその問いは、年月を経て何物をも取込み何物をも表に出さなくなった白眼に、いくつもの想いを飛来させた。

 だが少年がそれに首を傾げる前に、老爺は微笑んで首を振った。


「いいや。あの子は最初からずっと、私の大切な谷の仲間だよ」

「今も?」

「ああ。今でも変わらない」

「じゃあアヤを助けて。アヤは一人で向こうにいる。迎えに行ってあげないと」


 老爺が再び首を振る。


「それはできない」

「どうしてっ!?」


 慈しむような態度は変わらず、だが彼の言葉は厳しく強く、悲鳴のような少年の声にも動じることがない。


「私は、あの子を助けられない。私があの子をこちらに戻してあげることはできないんだよ」

「何でだよっ!? ──アヤはッ! アヤは傷付いてる! 長老に追いやられて! 一人暗い所で泣いてるかもしれないんだっ! 長老のせいじゃんか! 何で助けてやらないんだよっ!?」

「──すまない」

「謝るのは俺じゃないっ! 長老が悪いことした相手は──ッ!!」

「……すまん」


 滂沱の涙が少年の頬を濡らす。傷付き絶望した少年に、応える言葉を持たぬ大人達は誰も声をかけられない。

 縋り付くよすがさえ奪われ、無言で涙していた少年は濡れた眼差しをどことも知れぬ宙にふいと向け、茫として口を開いた。


「アヤは……生きてる」

「ああ」


 答える長老の声も、恐らく少年には届いていない。


「アヤは……一人では戻ってこれない」

「……そうだな」

「道が開かない限り……アヤは……ずっと一人」


 少年の声は小さく、ほとんど聞こえない程だったが、答える老爺の簡素な声はひどく辺りに響いた。


「ああ。──その通りだ」

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