2話 出逢いと縁と土だるま

 レグサスが初めてそれと対峙した時、一応曲がりなりにもごく一般的な人より使う機会の多く、優秀であるべきと自ら課しているその頭脳が、大変遺憾かつ不本意なことに一時その動きを止めた。

 そうして無様な自分を自覚しながらも、彼は目の前のモノから目を離せなかった。

 別にそれが奇想天外な姿をしていたという訳ではない。ましてや見たこともない珍しい物という訳でもない。

 それはただ普通のよくある──いや、最近お目にかかることはなかったが──まあ一般的によくある、ただの、そうただの、

『土だるま』だった。






 土だるま。土を捏ねて丸めて球状に硬めたものを二つ作り、大きい一方にもう一方を乗せて人形に見立てたもの。

 そう。別にそれ自体は珍しいものではないのだ。

 煉瓦造りの建物が並ぶ街中に、地面を見れば土や砂でなく石畳が広がる路地裏で、ぴょこんぴょこん飛び跳ねてさえいなければ。


「……落ち着け落ち着こう落ち着く俺っ」


 青年レグサスは自らに言い聞かせた。土色の塊は動いていない、今はもう。では自分が次に取るべき行動は何だ? ごきげんようの挨拶? いやそれはお貴族様の社交界。任意同行願う……あれそれって無機物にも言っていいんだっけ。ヤバイ混乱してるわ俺。

 こういう時は基本に立ち返るべしだ。個人の浅い経験より、万事に通ずる先人の知恵。記憶にうっすらある何某の本に書かれていた緊急事態への対処法は何だったか? わかんなーい。教えて先人偉人さまぁぁぁ……あ、そうそう現場保全ですね。保全、証拠採取。そして


「身柄確保っ!」


 最もこの場に相応しいと思われる解に至った瞬間、レグサスは即座に行動に移した。数メートル先で微動だにしない土だるまに手を伸ばし、捕まえる──!


「あぁぁぁぁっ! 見つけたーっ!」


 だがレグサスの手は、土だるまに届く手前で大声に遮られた。振り返るレグサスの傍らを枯草色と零れる黒髪が通り過ぎ、それを追いかけるように砂の香が舞う。


「すみません! これ俺のですありがとうございます!」


 一瞬の内にレグサスの目前にあった土だるまをかっ攫いその手に抱えていたのは、綺麗な黒目と黒髪を持った、恐らく十代前半の旅装束の少年だった。

 少年が枯草色の外套の内側に、土だるまを隠すように急いで入れてしまうと、隙間から一瞬明るい橙のシャツが覗く。

 レグサスは手をわきわき動かし、少年と、寸前で触れられなかった土だるまを名残惜しく見詰めた。その表面、いや土面に見えない冷や汗がだらだらと垂れていると思うのは穿ち過ぎか。


「君は?」

「はじめましてこんにちは。ついさっきこの町に着いた旅の者です」

「その土だるま? が君のだって?」

「はい。俺が作った俺のものです。知らない内に落ちちゃったみたいで驚きましたありがとうございます」

「落ちた? いつも持ち歩いているのかな?」

「はい。よく変だと言われますが、大抵一緒にいます」

「土だるまと?」

「はい。こいつとです」


 確かに少年は手慰みで土だるまを作るような年齢と言えなくもない。やや前のめり気味の返答だが、目線をレグサスから外すこともない。さて。

 レグサスは外套の隙間から僅かに見える土だるまに、もう一度目を向けた。少年の振動にあわせて揺れはするものの、自発的に動く気配はない。年下の少年の登場により冷静になった今振り返ってみると、あれは見間違いだったと判断することも難しくない。だが。


「そっか。いつも一緒にいる土だるま君が突然いなくなって、さぞ君も心配したことだろう。君にとって土だるま君はとても大切な存在なんだね」

「は!? じゃなくてはい。大事……だから焦ってあちこち探したんですが、中々見つからなかったんです。こんな路地裏にいたなんて」

「ああ、元々大通りにいたんだと思うよ。この道に転がってくのを見掛けたから」

「大通りに……」


 少年はちらりと自らの抱える土だるまに目をやる。土だるまからの反応はない、のが当然だが。


「その子が好んでそんな所にいた訳じゃないだろうから、責められないよね。もしかしたら土だるま君は何か思う所があって、君の元から逃げ出したのかもしれないけど」

「あ。いえそんなことは……」


 土だるまへの視線に非難の色が見えた気がしてジャブとして投げかけてみたが、反応は芳しくない。だから更に続けてみる。


「うん。それで一つ謝らなきゃいけないんだけど、実は俺、さっきその土だるま君ちょーっとだけ壊しちゃったんだわ」

「はい────え?」


 目を剥いた少年に、レグサスは笑みを浮かべて一歩前に踏み出す。相手が明らかに警戒したのがわかったが、それでもレグサスの言葉が気になるらしく、聞く姿勢は崩れない。


「君が来る前に拾ったんだけどさ。急に手の上で動き出したから、驚いて投げて壁にぶち当てちゃったんだよ。衝撃で一部破損したようだから確認しようとしたら君が来たってわけ」


 握りしめた左手をチラつかせながら歩を進める。もちろん完全なる嘘である。手にも別に土だるまの破片だの何だの持っている訳ではない。少年の注意を引くための、うまくいったら儲けものの餌でしかない。

 だって気になるではないか。

 少年は土だるまを『自発的に動く、自らとは別の個体』として扱っている。いつも一緒に『いる』無機物が見つからなくて焦り、 しかもそれを『非難』するって? 少年の態度や言葉は彼の好奇心をちくちくと刺激し、放置という選択肢を選ばせてくれない。


「俺のせいで大切な存在を傷物にしたのなら申し訳ないから、確かめさせてもらえるかな?」

「えっ。いやっ。大丈夫です」

「大丈夫なら、尚更確かめて安心させてほしい」

「いや。遠慮します来ないでください」

「何で? そんなに怖がることじゃないよね? 俺怖いお兄さんじゃないよー」

「いや充分怖いです。なんですかその手やめて下さい来ないで下さい」

「大丈夫だいじょぶー」

「イヤだイヤ怖い怖い怖いって」


 じりじりと後退する少年をじわじわと追い詰めながら、レグサスは笑みが零れるのを止められなかった。右手がわきわきする。好奇心でぞくぞくする。彼の頭は今や動く無機物の分解、実験、構造解析と次から次へと産み出される妄想で占められていた。

 だが遺憾なことに、またもやそれは新たな声によって阻止されることとなる。


「何をしているんです?」


 今度現れたのは若い女性だった。通りすがりの街の住人だろう。濃紺のストールとグローブで目鼻以外を隠し、日と風除け対策万全の様相をした女性は、眉を顰め、見える部分全体で不審を示している。子供に詰め寄る不審者の図に見えたのだろう。マズイと思い、咄嗟に両手を上げて無害を主張するが、同時に少年が駆け出してしまう。


「あっ! ちょい待……っ!」

「えっ!? 何なの!?」


 そのまま女性の脇をすり抜けた少年を一旦は追おうとしたものの、思い直しレグサスはその場に留まった。少年の姿は瞬く間に見えなくなる。


「あら? あらら? 私何か悪いことをしてしまったかしら?」

「……いえ。問題ありませんよ」


 おろおろする女性に嘆息しつつ応える。実際まあ、単なるお遊びのようなものだったのだ。残念だとしくしく痛む胸を押さえてそう言い聞かせる。優先すべきことは、たった今他にできた。


「大変失礼致しました。年若い子供が一人でいるようだったので、つい気になって問い詰めるような形をとってしまいました。貴女にも誤解を与えるような真似をしてしまい申し訳ありません」

「あ。いえ。こちらこそ何かお邪魔してしまったようですみませんでしたわ」


 改めて対峙したレグサスの物腰に、思うところがあったのだろう。女性の不審な態度が払拭され、代わりに申し訳なさが滲み出る。

 神秘的と言われたこともある紫がかった黒目を笑みの形に細め、外面という名の仮面を意図的にかぶったレグサスは、にこやかに紳士的に女性に話しかけた。


「こちらは気候も穏やかだし街全体も美しいですね。ああいった子供が一人で観光に訪れることも珍しくないのでしょうか」

「そうですねえ。ここらは風が強いですが、治安も良いので近隣からであればあのくらいの年頃の子が一人でやってくるのも、そう珍しいことではありませんよ」


 近隣からという感じではなかったけどな、という思いは笑顔の下に隠す。


「治安も良いのですか。素晴らしいですね。それでも最近は色々あるのではないですか?」

「……どういうことでしょう?」


 女性が眉根を寄せる。いっそ胡散臭いのではないかと自問しつつ、他に浮かべる表情もないことからレグサスは笑顔を張り付ける。


「例えば突然の引きこもり、消息不明といった事例があると耳にしたのですが、ご存知ありませんか? つい先日までは普通に生活をしていたのに、突然姿を消す人、昨日まで仕事をしていたのに急に一歩も外に出なくなった人、そんな人がいらっしゃるとか」

「……存じ上げません」

「うーん街の方から伺ったのですが、貴女はご存知ありませんか」

「存じ上げません! 不躾に……貴方なんなんですか⁉」


 失敗したなという思いを笑顔で覆い隠す。


「通りすがりの旅人です。初めて来た街の治安が心配でつい。失礼な言でしたね。すみません」

「……ええ。お役に立てないようですから失礼しますわ」


 女性はストールから覗く黒目で睨み付けると、くるりと身を翻した。嘆息したレグサスは大人しくそれを見送る。基本的にこういう役回りは苦手なのだ。相手が子供だろうと女性だろうと、舌先三寸で言いくるめ必要な情報を聞き出すような真似は、本来レグサスの役目ではない。

 だが自分がやらなければならないこともまた把握していた。更に大きな溜息をつくと、彼は女性と少年が姿を消した大通りの方に、自らのなすべきことをしに向かうのだった。

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