第2話

 キュィイン……


 どれくらい目を閉じていただろうか、最初に耳にしたのはE・VRゴーグルの起動音だった。恐る恐る、目を開けてみる。目にした光景は驚くに値するが変哲も無い光景だった。


「ここは……現実?」


 先程の未来都市の夜景は微塵もなく、周囲にはいつもと変わらない現実世界の風景が広がっていた。


 試しに頭を触ってみるが、E・VRゴーグルの感触はない。ふと気付いた。自分の服装が仮想現実のアバターと同じ服装のままだと。


「まだ幻想世界の中か……でも、どうしてフィールドが現実に……?」


 訳の分からないエリア転送に僕は困惑する。何かのゲームが始まるのだろうか。それとも転送しただけで終わりなのだろうか。


 メニュータスクを確認しようとするが、今度はメニュータスクそのものが出てこなくなっていた。完全に、ログアウトさせるつもりはないらしい。


「まさか、このまま放置プレイか?」


 僅かに孤独感を感じて呟いた時、ようやく待ち望んだ変化が訪れる。

 目の前の空間にキャラクターが転送される直前に発生する、光の輪のエフェクトが現れたのだ。


 果たして現れた人物はこの異常事態を説明してくれるのか。そう考えると、思わずゴクリと生唾を飲んだ。そしてついに、その人物の姿が露わになる。


『はいはーい! お待たせぇ!』


 キャルンッと軽い挨拶と出て来たのは、女の子。だがその見た目は普通ではない。全体的に白色の多いフリフリドレス。


 首から提げているのは金色の鎖で吊るされた懐中時計。全身に走る若葉色の電子回路みたいなペイント。


 僕は、この少女を知っている。見知っている。


「『古時計』のイメージキャラクター……ミライちゃん」


『ピンポンピンポーン! だっいせいかぁ〜い! 久しぶりだね〜“狂戦士”くん 』


「……ああ。うん。久しぶり」


『オブソリート・クロックワークス』の公式イメージキャラクター、ミライちゃん。


『オブソリート・クロックワークス』開発部による高度なAI技術によって人間と同じ感情を持った進化型アンドロイドと言われている。


 ゲーム内の大型のイベントやライブ、あとはCMに出るのが主だったはずだ。普段は時計塔の最上階に住んでいて様々なゲームの観戦をしているという。

 可愛らしい見た目やあざとい声もあって、彼女のコアなファンは多い。


 かくいう僕も、綺麗で笑顔が可愛くて清楚な彼女のファンだったりする。有名人(人なのか?)だから僕でも知っているし、慕っている。


 そして、僕と彼女は数ヶ月前に知り合った。正確に言えば、それはすれ違った程度だったのだけれど。

 だから、今回の邂逅は初めての出逢いと言ってもいいだろう。懐かしの、初めまして。


「どうしてミライちゃんが……」


『んー? それは人間という名の軟弱で低知能の憐れな獣にこの状況を説明するためだよ! ミライの優しさに頭を地面に付けて感謝しろ!』


「……随分と上から目線だ」


『ミライは賢くって可愛い、愛されキャラ! 下等な人間はミライを崇め奉っていればいいのだー!』


 ふふんと胸を張りながらミライちゃんはドヤ顔をする。どうやら僕の中のミライちゃん像は間違っていたらしい。このミライちゃんの態度を知ったらファンは減るだろう。


 いや、別種のファンが増えるかもしれない。幻滅するか、萌え上がるか。間違えた。盛り上がるかだ。


「……結局のところ、幻想だな」


 僕は呟きながらミライちゃんを眺める。見た目は記憶通りだが、こんな高慢な態度のミライちゃんを僕は知らない。単純にミライちゃんをCMとかでしか見たことがないのもあるけれど。


 この清純派を裏切るような、面から切り捨てるような態度は、果たしてそれは僕相手だからなのか。それとも素なのだろうか。


『因みにこの性格は酢だよー』


「すっぱいんだね……」


 僕は生姜だと思うけれど。

 ……すごくどうでも良かった。


「はぁ……教えてください、ミライさーん。この状況はどうなっているんですかー」


『棒読み口調だからやり直し! 次やったらその頭捻り潰すぞ〜』


「怖っ!?」


 笑顔のままなのに、出てきた言葉がヤクザのそれだった。ただでさえ訳の分からない状況なのに、ミライちゃんまでこうと来た。


 最早、夢としか思えない。それもとびっきりの悪夢としか。僕は手で額を押さえると、肺の中の空気をゼロにするように溜息をこぼしながらミライちゃんに懇願する。


「……はぁ、本当に教えてください。この状況は何ですか」


『ふふん、仕方ないから教えてあげる! でも喋るのは疲れるからこのボードを見といてー』


 いつの間にやら、どこからか現れたホワイトボードを目の前に引っ張り出し、ミライちゃんは指し示す。どうやら勝手に読んで理解しろ、ということらしい。


 このキャラにしばらく付き合わなければいけないのかと思うと憂鬱だが、今は我慢して状況確認に努めよう。僕は退屈そうに欠伸をするミライちゃんから、ふいっとホワイトボードへ目を移した。


 《あなたはこの世界に閉じ込められましたぁー! 元の世界に帰りたい? それともゲーム世界がいい? どちらにせよ、このままだったら嫌だよねぇ? ねぇねぇ、仮想世界に閉じ込めらた気分はどんな気持ちぃ〜?》


「内容がウザいっ!」


 イライラを込めて力強く、バンッ! とホワイトボードを叩く。すると、くるりとボードが回転して、裏側に次の文章が現れた。今度は短く、たった一文。


 《帰りたくないの?》


 思わず呼吸が止まった。その言葉だけで自分の心が全て見透かされている気がして。僕はしばらく固まっていたが、やがてトンッと背中に小さな衝撃を感じる。振り向けば、ミライちゃんが僕の背中に拳を当てていた。


『この世界から出るためには、たった一つの方法しかない』


「たった一つ……どんな方法なんだ?」


『過去と向き合い、現実世界にあってこの世界にはないものを見つけること。それが唯一の脱出手段』


「過去云々はともかく、この世界にないものを見つけるって……無理じゃないか」


『現実世界にはあるんだから、記憶と照らし合わせればいいんじゃない?』


「そんな曖昧な……」


『ごちゃごちゃうるさい。取り敢えず、歩こっか』


「え? あ、ああ」


 突然、くるりと反対方向へ向いて歩き出したミライちゃんの後に続くように、理解が追いつかない僕は取り敢えずと、住宅に囲まれたアスファルトの道を歩き始める。


 時間帯は昼のようなのに、人気ひとけは全く感じない。とても居心地が悪かった。何となしに周囲を見渡していると、少しだけ既視感を覚える。見慣れている、という程ではない。だが、見たことはある気がする景観だ。


「もしかしてこの街って……昔、僕が住んでいた街なのか?」


『気付くのが遅いよー。小さい脳みそだから仕方ないのかな? まぁ、ミライは寛容だから許してあげる〜』


 既視感があるのも当たり前だった。今歩いているのは、小学生時代に僕が住んでいた街なのだから。


 とは言っても小学校高学年に上がる頃に引っ越しをして、今住んでいる街に来たから景色をしっかりとは覚えていなかった。


 思い出せば、小さい頃はこの街をよく走り回っていた。一度だけ細い路地裏で迷子になって、散々泣いた記憶がある。


 限りなく薄れてしまった、過去の記憶だ。これが、過去と向き合うということなのだろうか。


『あそこの公園で休憩しよーっと』


 ミライちゃんが指差したのは、僕が幼少期に何度も訪れたことのある公園。カラフルな滑り台、二つの椅子があるブランコ。砂が少なくなった砂場。錆び付いている鉄棒。

 ここは僕が毎日のように遊びに来ていた、お気に入りだった公園。


「懐かしいな。よく一人で遊びに来てたよ」


『子供の時から孤独……ぷぷっ』


「笑うな」


 ミライちゃんの小馬鹿にするような笑いにムスッとしながら、砂場の方へ足を向けた。砂場の端の方でしゃがみこんで、右手で砂を持ち上げる。


 確か昔はよく砂の塔を作っていた。子供の作るものだから、不恰好ですぐ壊れて、その度に躍起になって作り直していた。


 せっかく作り上げた砂の塔を別の子が飛ばしてきたボールで破壊された時は、泣きながら喧嘩してたっけ。


 随分と子供染みた真似だった。子供の頃だから、その表現はおかしいけれど。


「あの時……確か女の子だったかな? 一回だけ『一緒に遊ぼう』って声を掛けられたんだけどね。その時は本当に一人で砂を弄っていたくて、断ったんだ」


『あー、人生最初で最後の女子との会話チャンスを逃したのかー。そりゃ可哀想だねぇ』


「あながちハズレでもないけど当たりだとは思いたくないな、それ。……えっと、それでその時に結構強く拒絶しちゃって。あの時の女の子の悲しそうな顔、今でも覚えているよ」


『ふーん。後悔してるの?」


「……どうしようもないことは、分かってるんだ」


 冷たい風が吹いて、手のひらに残っていた砂をサァーッと吹き流す。センチメンタルな気分とは、このような感じなのだろうか。


 どれだけ後悔しても、反省しても、最後に残るのは幻想でしかない。センチメートル先の未来ですら見えないのだから。


 僕が気持ちを整理して立ち上がるまで、ミライちゃんは何も言わないで待ってくれていた。ただ、『次の場所に行こっかー』とだけ声を掛けて彼女のペースで歩き出す。深呼吸を一回した後、僕は早足でミライちゃんを追いかけた。


「次はどこに向かってるの?」


『さぁ? 気の向くままに歩いているだけだからー。それで、現実にあってこの世界にないものは見つけたぁ?』


「さっぱりだよ。正直、限りなく答えに近いヒントが欲しい」


『それはダメだなー。ちゃんと自力で見つけるからこそだよー』


「まぁ、そう簡単にはいかないよなぁ……」


 解答。この世界から抜け出すための鍵。この世界には無くて、現実には有るもの。


 分からない。そもそも、僕って奴は現実世界がどんなだったかを忘れている。


 だから、ゲームの難易度は最上級だ。仮想世界に閉じ込められた主人公や異世界に飛ばされた勇者は、どうして現実に戻りたかったのだろう。


 いや、こんなことを考えているのもやはりーー


「幻想だね」


 僕は皮肉めいて言った。誰に言うでもなく、僕は言った。それからミライちゃんと歩き続けていると、いつのまにか目の前には中学校があった。


 いや、中学校ならばそこら辺にもあるのだが、今回は特定の中学校。つまり、僕が今住んでいる街の中学校だった。

 もちろん、引っ越す前に通っていた思い出のあの公園から歩いて数分の距離ではない。


 不審に思った僕だが、ここは現実ではないと思い出す。だから直ぐに謎は解けた。


「もしかしてエリア転移? 気が付かなかった……」


『なぁに、ショートカットしただけだよ〜』


「じゃあ次の場所は……」


『通っていた中学校。さあ、昔の気分で登校しよう!』


「こんなところに現実にしかないものってあるのかなぁ……」


 とはいえ、どうにか違和感を見つけるしかないんだけど。この世界にないものを見つける。殆ど不可能だけど、やらなければ一生ここに閉じ込められたまま。


 いくら幻想世界とはいえ、土足で校舎に入ることに躊躇していると、ミライちゃんがどこからかスリッパを取り出した。受け取ったスリッパを履いて、僕は校舎の廊下を進んでいく。


 ほんと、何でも有りなんだな……


『一番記憶に残っているのは何年生の時かなぁ?』


「うーん、どうだろう。やっぱり中学三年生かな。あの頃は楽しかったけど、一番嫌な時期だったからなぁ」


『嫌な時期……何があったのー?』


「友達……というか、仲のいいクラスメイトと大喧嘩してね。向こうは周りに人気のあるやつだったけど、あいにくほら、こっちはそんなことないからさ」


『クラスで浮いて孤立していたのかー。それでも学校には通ってたんだぁ?』


「まあね。その頃はほんと、学校に行くくらいしかやることがなかったから」


 そうだ。そうだった。


 あの頃はまだE・VRは高額過ぎて手が出せなかった。ストレス発散する時はゲームをして、あとはずっと本を読んでいたっけ?


 本を読んでいる時だけは嫌なことを全部忘れて没頭できた。だから学校も我慢できたし、ちょっとのことではイライラしなかった。生きるのが苦痛なんて、一度も思ったことなんてなかった。


 いつからだろう。

 親の小言に敏感になり、教師の言うことが嘘に聞こえ、他人が信用できなくなったのは。

 何もかも不必要だと思い始めたのは、何がきっかけだったんだろう。


 唐突に、開け放たれた窓から風が吹き込んだ。まだ昼頃なのに、空気が冷たく感じる。


 階段を上って進み、三年生の時に使っていた教室に入ると、そこはまるで昔が再現されたかのように記憶通りの景色だった。


 変わらないなぁと口に苦笑いを浮かべながら、慈しむように教卓に手を這わす。そして、僕はゆっくりと口を開いた。今度は、語るために。


「昔から、勉強は得意じゃなかったんだ」


『ん? うんうん。そのまま続けてー』


「ずっと考えていた。どうして周りはこれだけできるのに、自分にはできないのか。もしかしたら自分は人間として欠陥品なのかってね」


『完璧な人間は存在しないよー。ミライから見たらどれも欠陥品だしぃ』


「まぁ、そこはミライちゃんだからね。それで、考えたんだ。きっと自分には勉強以外の才能が何かあるんだって。すぐに才能が開花して周りに認めてもらえるって。でも、そんなのただの幻想だった」


 何もできないのは辛かった。苦しかった。

 惨めで恥ずかしくて、自分が嫌いになった。

 どうしてこんなこともできないのだろう。周りと合わせれないのだろう。他人が羨ましかった。妬ましかった。一緒に、笑っていたかった。


 そんなことを考えていたらいつしか苦笑いが口元から離れなかった。


 教師に怒られても、クラスメイトに笑われても。


 失敗しても、怪我しても。


 仮面のような、苦笑い。


「先生に言われたよ。お前は何かが欠けてるぞって」


 確かに欠けてはいたのだろう。元からヒビが入っていて、破片が地面に落ちていた。だけど治せるはずだった。焦らず慎重に欠片を拾い上げて、ゆっくりとくっつけていけば違ったのかもしれない。


 元からあった小さな亀裂。それを広げたのは、現実だ。


『ーー“孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私は最もよく知っている。孤独な人はあまりに深く苦しんだために笑いを発明しなければならなかったのだ”』


「……何それ」


『ニーチェの名言の一つ。まさしく、この通りだった中学時代だねー』


「ははっ、そうだね。その通りだ」


 チョークの粉が付いた指先にフッと息を吹きかけた後、ミライちゃんを連れて教室を後にした。


 懐かしの校舎中を歩いていると、ずっと付きまとう苦い記憶。

 怒りを殺し、悲しみを封じ、痛みを隠した涙色の過去。幻想を望んだ僕の古傷。


 小学校時代は孤独の後悔。


 中学校時代は劣等感。


 そして今は、無気力だ。


「次向かう場所は、高校かな?」


『さぁ? 辿り着く場所は、ミライが決めることではないので〜』


 フンフーンと鼻歌を歌いながらミライちゃんは先々進む。慌てて付いていこうとしたが、やめた。


 後ろを振り返って、中学校の校舎を眺める。柔らかい風が優しく頰を撫でた気がした。焦る必要はないよと、言ってくれたようだった。


 正面に向き直ると、ミライちゃんは足を止めて待ってくれていた。だから落ち着いて深呼吸をして、声を掛ける。


「……ねえ」


『はいはーい、どうしたのー?』


「ゆっくり歩いても、いいかな」


 ミライちゃんは目を大きく見開いてパチパチとさせていたが、次にはニヒッと笑って嬉しそうにこう言った。


『うん。いいよ。ミライが付き合ってあげる』


 人生の中でこの瞬間だけは、ちゃんとここに自分がいるんだと、僕はそう思えた気がした。

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