Obsolete・Clock Works《オブソリート・クロックワークス》

本ヶ谷 鳩使

第1話

 ーーこれは、僕の物語。

 僕が僕である意義を探し、問い掛け、拾い上げた物語。ただし、決して物語には意義がない。意味もなければ味もない。


 だけど僕には。落ちこぼれで劣等感に苛まれ続けた欠陥品の僕にとっては、生きていても良かったと思えたその日。

 物語の始まりであり、現実逃避の終わりとなった、懐かしくもあり、厚かましくもあった少女との出逢いを僕は語ろうと思う。


 繰り返すが、この物語に意義はない。僕が語るのだから、きっとつまらない結末の有り触れた物語となるだろう。だけど、僕はそれで構わない。僕は僕の物語にそこまで期待していない。


 とある平日と休日の境目。“狂戦士”と呼ばれた僕は仮想世界に閉じ込められて、自分の過去と向き合う体験をしたのだった。


 ▽


 ーー今日はいつにも増して苛立つ日だった。


 それが、今日僕が学校から帰り自室に閉じこもるまでぐるぐると渦巻いていた言葉だ。


 登校早々、偽善的な担任に気遣う振りをされ、肩がぶつかっただけなのにクラスメイトの女子が泣く。


 毎日のことながら一日中クラスメイトに無視された。目に見えて露骨な腫れ物扱い。不愉快な思いで家に帰れば、口うるさい親に何度も小言を言われる。


 親の押し付けから逃れるように自室にこもると、僕はベッドの近くに置かれたメタリックブルーのラインが入った黒色のゴーグルを手に取った。もちろんただのゴーグルではない。


 幻想現実、Evolved・Virtual RealityーーE・VRという進化した仮想現実へ連れていってくれる魔法のようなゲーム機器だ。

 従来の視界だけの仮想現実ではなく、全身の感覚全てをこのE・VRゴーグルで感知、反応する。


 簡単に言えば、仮想世界に全身の感覚を移すのと同じ。別世界にワープするようなものなのだ。詳しい原理は知らない。


 そんな事を知ったところで、僕程度の人間には何もできないんだけど。


 それはさて置いて、E・VRゴーグルは近くのE・VR専用デスクトップとケーブルで繋がっている。これによってゴーグル自体の軽量化、加えて高性能が実現された。充電を気にする必要もない。


 僕はE・VRゴーグルを装着し、ベッドに横たわる。そしてカチッと電源を入れた。

 キュインという独特の起動音と共に視界が暗転。一瞬の浮遊感の後、溶明フェードインした視界に様々な文字がポップする。


 《起動しました。身体感覚を確認します》


 《感覚正常。幻想現実と繋げます》


 《ログインID:12876473ーーログインします》


 《ログインを承認しました。チャンネル15に転送します》


 《転送完了まで10秒。しばらくお待ちください》


 《ーー転送が完了しました。ゲームを開始します》


 パッと視界が切り替わる。

 自室の風景とは似ても似つかない、未来都市の景観がそこにはあった。雲を衝くビル群。都市を巡る超高速モノレール。重力を無視した円盤型の浮遊競技場。


 そして、近未来都市には似合わない歴史ある時計塔。それに含まれる壊れて動かなくなった大鐘楼は朽ちかけの老木みたいだ。


 ビルの壁に設置された複数のデジタル案内板には今日のニュースやオススメのゲームが記され、街行く人々はそれぞれが思い描くアバターで遊んでいる。


 僕のアバターは濃紺色のシャツに砂色の膝丈パンツ、黒色の上着のフードを背中に垂らして深青色のヘッドホンを装着していた。ゲーム内通貨で揃えた少し自慢のファッションだ。


 投影型E・VRゲーム

『オブソリート・クロックワークス』


 通称『古時計』


 未来都市をイメージしたゲームで、フィールドによってゲームジャンルが違うという特徴がある。

 例えば北地区ではシューティングアクション、東地区ではカーレース、南地区ではRPG、西地区ではスポーツといった具合だ。


 シューティングアクションと言っても、従来のFPSやスナイパーバトルだったり、サバイバルゲームがあったりする。

 カーレースの東地区でも車に限らずボートや飛行機のレースができる。


 南地区には未来都市にそぐわぬファンタジーゲームもあるし、西地区だと人間の動きを超えたスポーツをしているプレイヤーもいるらしい。


 東西南北に限らず、浮遊したエリアや地下エリアなどでもゲームを楽しめることが可能で、それ故にこのゲームはオールジャンル、総合型ゲームと呼ばれている。


 簡単に説明すると、『ゲームの中にゲームがある』ということだ。汎用性の高さ、それが『古時計』の人気の秘密とも言えよう。


 因みに今いるエリアは中央地区で、仮想ショップや仮想カフェなどとゲーム内でのコミュニケーションの場所となっている。この幻想世界で最も人が溢れる場所だ。


 そして、カップルの数も多い。ゲームの勧誘も多い。とにかく、騒がしい場所だ。


「ただ今一緒にゲームやってくれる人を募集してまーす!」


「おっと、そこのねーちゃん! 俺らと一緒にこのゲームしね? 俺ら激ウマだぜ?」


「私、このゲームの上位ランカーですけど」


「おっと、急用ができちまった。またな、ねーちゃん!」


「他の女を連れてるなんて……ひどい! 私とは遊びだったんだね!」


「いや遊びも何もゲーム……ああ、待ってくれよ! 謝るから! 俺が悪かったから!」


 相変わらずの喧騒に僕は背を向けて、目的のゲームをする為に移動を開始した。

 まずは、一番中央に建っている大鐘楼を兼ねた時計塔を目指す。

 そこは各エリアへ瞬間移動できる、転移ポイントとなっているからだ。


「転移『北地区:ノースゲート前』」

 《転移要請。『北地区:ノースゲート前』に転移します》


 淡々とした音声が流れると同時に目の前の景色が移り変わる。

 中央地区の人混みから、妙にネオンサインが点滅している寂れた風景の街へと一転した。転移場所は北地区の『ノースゲート前』。中央地区と北地区の境目だ。


 北地区はシューティングアクションが多く集まる地区。僕がハマっているゲームもそこにある。ストレスを発散するには銃をぶっ放すのが一番なのだ。


「この角を右に曲がれば……あった。『ガン・ウォー【クライシス】』」


 見た目はただの雑居ビル。だが中に入れば、そこはゲームのマッチングルーム。ビルの看板には『ガン・ウォー【クライシス】』と書かれている。


 これはプレイヤー人口90万人の、北地区で二番目に人気なゲーム。簡単に説明すれば従来のFPSのE・VR版だ。


 昔から一人称シューティングにハマっている人からの人気は高い。『ガン・ウォー』シリーズがかなり知名度が高いのも理由だろう。


 ついでだが、北地区で一番人気なのは『バトルロワイヤル・ハンドレッド』という、プレイヤー人口100万超の100人バトルロワイヤル。イベントによっては、最大1万人が同じ戦場でプレイできるとか。


 詳しい説明は割愛するが、この『バトルロワイヤル・ハンドレッド』は素人にはかなりキツイ。プレイヤースキルが上がる前に心を折られる初心者が多いのでも有名なゲームである。


 対して『ガン・ウォー【クライシス】』は自分の力量にあったランクでマッチングされる。だから僕は『ガン・ウォー【クライシス】』でゲームを楽しんでいた。


「ゲーム……スタート」


 《ID確認ーーID:12876473》


 《確認しました。ゲーム開始までしばらくお待ちください》


 視界いっぱいに『ようこそ、ガン・ウォー【クライシス】へ!』の文字が広がり、自分のアバター服が戦闘服に着替えられた。


 しばらくして、マッチングが完了する。次の景色は殺風景な部屋の中。白色の空間には所狭しと武器が並べられていた。ここは自分の武器を準備するルームだ。


 戦闘に持っていく銃は主武器メインウェポン副武器サブウェポンの2種類。加えて手榴弾グレネード各種だ。

 他にもナイフを持っていくことも可能である。これらを駆使して戦場を駆け巡り、見つけた敵を狩り殺す。


 敵対するプレイヤーをキルすることによって発散するストレス。他のゲームでは味わえない快感。ヒトをコロス、優越感。コロシテ味わう有悦感。フッと、僕は自分を嗤った。幻想だな、と呟いて。


「だから、ゲームはやめられない」


 準備完了、そう声に出した瞬間に僕は足を踏み出す。正面から徐々に世界が切り替わり、運んだ足は砂を踏んだ。慣れてしまった鉄と火薬の匂い。戦場は既に爆発音が響き渡り、銃声が鳴り止むことはない。


「……幻想だけどね、これも」


 両手に持った紫色のナイフを強く握り締めると、僕は最前線へと走り出した。


 ▽


 《ゲームを終了します。『中央地区:時計塔前』に転移します》


 淡白な合成音声によるアナウンスと共に、僕のアバターが時計塔前にポップする。僕は意味もなく体を伸ばしながら今回の対戦結果のログを見る。


「あ〜、疲れた……結局、五時間もやってたのか。時間も時間だし、そろそろ戻ろっかな」


 今日はいつもよりも調子が良かった気がする。最後の最後で油断をしなければ、きっと自己最大キル数を更新できただろう。

 記録更新出来なかったのは悔しいが、いい加減やめなければ親にまた口うるさく言われてしまう。ゲーム禁止なんてもってのほかだ。


「はぁ……帰りたくないなぁ」


 現在時刻は11時55分。もうすぐ日付が変わる。それでもまだログインしている人は多かった。それは明日が休日というのも一因かもしれない。

 中には地面に寝転がっている人達もいた。余談ではあるが、幻想世界内にもホテルは用意されている。その用途は想像に任せよう。


 指を右から左にスライドさせて、画面端からメニュータスクを開く。そこから更に設定画面を選択、その画面の右下にはログアウトボタンがある。僕はその赤色のボタンをタンッとタップした。


「……あれ? おかしいな」


 数秒待ってもアクションが起こらず、ログアウトされない。もう一度ボタンを押すが、やはり反応はない。タンタンッ! と強めに押しても結果は変わらなかった。タタンタンタンッ! とリズムカルにやってみたが、駄目だった。


 ……リズムが悪かったのだろうか?


「いや、リズムは関係ないか。……うーん。バグ、なのか?」


 いや、そんなバグが起きたら大問題だ。ゲームのバグならともかく、こんなE・VRの安全性を揺るがせる事態が起こるなんてまずあり得ない。


 なら、緊急のメンテナンスでログアウト機能が停止中とか? それならば運営からアナウンスがあるだろう。こんな脱出不可能な状態を放置するのは異常だ。


 メニュータスクをもう一度開き、今度は『運営報告』の画面を開く。これにクレームやバグ報告のメッセージを打ち込んで送信すれば、すぐに運営の返信が届いて対応してくれる。


 これならばと、『ログアウトボタンが反応しなくてログアウトできない。早く復旧してほしい』というメッセージを書いて送信しようとした。

 だが、送信ボタンを押すと同時に、【エラー】《接続が確認できません》という警告文が視界にポップする。


「えぇ……どうしろってんだ……」


 打つ手なし。時計塔に背中を預けてズルズルとその場に座り込む。ふと周りを見渡すと、地面に寝転がっている人達が際立って見えた。


 もしかしたら、この人達も自分と同じ状況なのではないか。そうだとしたら、声をかけるべきだろう。原因は何かを話し合った方がいいに決まっている。

 だけど、何をしても無駄だという無気力感が先に立ち、僕を立たせてはくれなかった。


 幻想世界から出られない。もし出られなかったら、自分はどうなるのだろうか。ずっとこのまま取り残されたまま忘れられるのか。出られたとしても、きっと親は怒るだろう。


 もしかしたら今度こそE・VR機器は没収かもしれない。そうすれば僕は二度と生に執着することはなくなるだろうけれど。


 現実ではいいことなんてない。その分、幻想現実は最高だ。なりたい自分になれる。自分の才能を全て発揮できる。


 ストレスの発散になるし、面倒くさい友達付き合いも必要ない。たった一人、孤独に生きていける。嫌な気持ちにも、悲しい気持ちにもならなくていい。


「帰りたくないなぁ」


 誰かが言った。


 VRは現実逃避にしかならないと。


 親が言った。


 VRは時間の無駄遣いだと。


 教師が言った。


 VRでは何も学べないと。


 同級生が言った。


 VRなんて現実の贋作だと。


 誰一人として自分を理解しようとしてくれなかった。共感してくれなかった。他人のエゴを押し付けられて、嫌になる毎日を漫然と過ごす。時間の無駄なのは現実の方だ。


 苦痛しかない現実なんて意味がない。才能のない自分をわざわざ見つめる必要なんてない。


「もういっそ、このまま……」


 ーーゴォオオオン!ゴォオオオン!


 びくっ! と唐突な轟音に体が跳ねる。音の出所は、もたれ掛かっていた時計塔。その大音響の鐘声は夜の空気だけでなく、幻想世界の地面をも震わした。

 12時を針でした時計塔の鐘は、二度三度では鳴り止まない。


「時計塔の鐘が鳴るなんて……あの時計塔は既に壊れている設定じゃなかったのか?」


『オブソリート・クロックワークス』の世界の中心にあるその時計塔は、大昔の唯一の名残で機械仕掛けの産物。

 時計塔や大鐘楼としての機能は失われ、今はただの建物……そういう設定だった筈だ。


『古時計』で何か新しいイベントが始まるという情報はない。となればこの異常事態に関連したことだろう。あるいは、これからデスゲームが始まるか。


「幻想だけどね」


 鳴り止まない鐘音に舌打ちを一つして僕は立ち上がる。折角の楽しかった気分は台無し。軽い自己嫌悪に陥り掛けた所為せいでいらいらもする。何かが起こるなら、今は流れに身を任せよう。


 やがて夜景の都市は光に包まれ始める。視界は全て白で塗り潰され、ただ鐘の音だけが自分の存在がここにあることを教えてくれていた。その鐘声ですら、段々と薄れていく。


 どうか優しい夢であってくれと願いながら、僕はゆっくりと目を閉じた。

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