美しい造形達
幼いころから美しいものが好きだった。そのきっかけとなったのは一人の少女であろう。私は孤児院で育てられ、彼女もそのうちの一人だった。彼女は最低限の言葉のみで会話をし、誕生日に贈り物をもらってもにこりとも笑わないような冷淡な人であった。死んだように生きている花。彼女に出会う前から美しいものに対する憧れは確かに存在していた。
私にとって孤児院の前の花畑は身近な美しさであり、シスターの胸元にきらりと輝く宝石は手の届かない高貴な美しさだった。しかし、彼女は宝石さえもを凌駕する美しさとなった。
少女はある日を境に花を吐くようになった。それはあの男が孤児院に来た日から。どこかの本で読んだことがあった。恋をすると花を吐く病があると。
今思えば異常なことだった。少女は口から花を吐き、友人の目には時計の文字盤が刻まれ、あの男は涙を宝石に変えた。少女、私、友人、その男は同い年ということもあり、共に過ごすことが多かった。だがそれは私にとって苦痛であった。少女は秘かに男を慕っていたのだ。
死んでいた花は息を吹き返す。彼女はよく笑うようになった。前よりも言葉を発するようになった。そして男も同じように、少女を秘かに愛した。美しさに愛された男が憎たらしかった。そんな隔たりはいつしか大きく姿を変えていった。私は美しさというものがだんだんと嫌になっていった。それが自分に向けられないという事実に嫌気がさしてしまったのだ。私は彼らに冷たく当たるようになっていった。
そしてあの日はやってきた。雨が強く吹き付ける日であったと思う。一人の老人が孤児院を訪れ、シスター泊めてほしいとにせがんだ。シスターは老人を快く招き入れ、私たちは老人と一夜を過ごすことになった。夕食を食べ終え、私たちは暖炉の前で談笑していた。シスターは幼い孤児たちの世話に追われて別の部屋へと行っていた。すると私たちの前に老人が座り込んできて、お礼にと、昔話を始めたのである。私は何故か席を外すように言われて部屋を出たが、近くに隠れてこっそりと話を聞いていた。人払いをするべき昔話とはいったい何なのか。
しかし老人が話し始めたのは、昔話などでは決してなかった。彼は忠告しに来たのである。彼らの美しくも危険な呪いのことを。
老人は言った。「その力はいずれ身を滅ぼしていき、それを抑えるには、愛するものを壊さなければならない」と。彼らは困惑し、老人に詰めよった。ただ一人を除いて。少女は微動だにしなかった。他とは違い、『死ぬ』ということに騒ぎもせず、ただ、男をじっと眺めていた。男も、彼女がやけに静かなことに気が付いたようだ。男と少女は糸がつながったかのように目を合わせる。偶然などではなかったと思う。男は老人に向けた動揺を同じように彼女にも向けた。しかし少女は幸せそうに微笑んだ。
私は嫌な予感がした。冷汗が頬を伝った。次の瞬間、彼女は部屋を飛び出してきた。私は気が付いていた。話の途中からもう既に。彼女が何を思ったか。自然と体が彼女を追いかける。少し遅れて、部屋に残されていた二人も飛び出してくる。
私にとって花とは、身近な美しさであった。青い花弁が廊下を通って、曲がって、出口へと一直線に散っていく。彼女は花を吐く。外は土砂降りである。その花には毒があった。香りにつられて寄って来たアゲハ蝶が花にとまり、蜜を吸ったところで息絶えるのを見た。重たいドアを何とか開け放ち、彼女のもとへと急ぐ。花の最後はこの目で見届けたかった。
すぐに服はずぶぬれになった。暖炉で温めた体も一瞬で凍てつくように冷えていった。花園の中心で彼女は花を吐いている。雨に打たれて今にも壊れてしまいそうな繊細な少女。宝石よりも美しい、雨の花。
男と友人も駆けつける。少女は花を呑んだ。すぐに彼女は花の群れに崩れ落ちていく。男はただ佇むだけの私の横を抜けて彼女のもとへと駆けよる。抱き寄せられた彼女の顔からは生気が消え失せていた。友人も近くに寄っていくが、二人の様子に思わず立ち尽くした。男は涙を流していた。彼女のおかげで呪いが解けたのであろう。何かを叫んでいる。雨の音がやけに大きく聞こえたせいで、何を言っているかは聞こえなかった。彼女は男の腕の中で笑っていた。老人の話を聞き終えてからの、あの表情。彼女は男に何かを伝え、息絶えていった。いつの日か見た蝶のように。私はその間一歩も動くことができなかった。残り花だけが彼女の最後を飾っていた。
雨に花束を。
やがて私は裕福な家にもらわれ孤児院を去った。しかし、一度の孤児院生活の中で経験した美しい呪いは不可思議な執着を生み出し、その後の生活に影響を及ぼしていた。なんの魅力も持たない人々と過ごすとともに、また美しさに恋い焦がれるようになっていったのだ。
一度だけ自分自身を美しくしてみようと試みたことがあった。義父にもらった美しい宝石を身に着けた。しかしそれは美しさとはかけ離れた卑しさの具現であった。とってつけたような貴族特有の髪型。高価な糸で刺繍された金色の模様。どれも死んでいた。
あまりの醜さに耐えきれず、私は思わず家を飛び出してしまった。飛び出したその先には幼い少女がいた。幼い少女は手籠いっぱいに入れた花を売っていた。あまり売れていないのか、少女も花も少しくたびれているように見えた。私は青い花を買った。それを部屋に飾るとたちまち心が潤っていった。
花に毒されていたのだ。あの冷淡な少女が頭から離れることはなく、その美しさに魅入られてしまった私は、世で評判な美しい女性や工芸品などといったものに対して美しさを感じなくなってしまったのだ。かつて美しかった宝石でさえ。
それからの日々は味気ないものだった。今更少女を失った喪失感が襲ってきた。五感は死に絶え、家の前にいつも来る幼い少女から買う一輪の花で何とか生きながらえていた。そうしてまた幾年かが過ぎ去り、両親は死に、莫大な財産だけが残された。そしてある雪の日、私の前に再び花が姿を現したのである。しんしんと雪が降り積もっていく中、幼い少女はいつものように花を売っていた。私もいつものようにそれを買おうとした。しかし、その日の少女は確実にいつも通りではなかった。コートで隠してさえいるが、その首元には確かに白い、花が、霞草が咲いていたのである。白い肌、白い髪、そして、白い花。白に包まれた少女であった。この世界に美しさは、宝石をも凌駕する美しさは、まだ存在したのである。幼かった少女は、美しさの象徴である花の少女へと変わる。私は少女を家に招き入れた。
それからすぐに私は遺産で孤児院を買った。今はもう使われていない、かつて私と彼女たちが過ごしていた孤児院である。そして、彼女らと同じように呪われた美しさを持った者達を集めた。大半はその物珍しさから売買されていた者達で、私はそのすべてを買い取っていった。孤児院はあっという間に満員となった。幸い、これまで遺産にはほとんど手を付けていなかったため、新たに大きな建物を建てることができた。彼らは元々劣悪な環境に置かれていたため、暖かい布団に食事、清潔な風呂や服を与えれば彼らは簡単に心を許していった。
私はその美しさを他人にけがされないようにするため、その呪いを異病として人々から遠ざけた。
今度こそ私は美しい造形達に愛されるのだ。
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