彼の瞳を満月に透かす

 病院で暮らしている。

 私は小さいころ花を売っていて生活していた。ある日病気にかかってしまったところを院長が拾ってくれたのだ。雪の降る日だったらしい。

 あの日、私は体に花を咲かせた。小さないくつもの、雪のように白い花だった。理由はわからない。何の突拍子もなく私はこの病気を患った。そして花が育つとともに、目が見えなくなっていった。こちらも理由がわからない。そのせいで、外で遊ぶことはおろか、友達すらつくれずに独りでいた。唯一の話し相手と言えば院長だけだった。病院内を共に散歩し、花壇の花を摘んでは部屋に飾る。彼と出会うまではそんな充実しているとは言えない毎日を送っていた。

 彼と出会ったのはある夢の中。それは、月に一度だけの特別な夢だった。何故そうしたのかは覚えていないが、私はその日、目元に巻いていた包帯を外した。すると、まぶしい光が目に飛び込んできた。今まで全く見えなかったのに。私は直感した。これは夢なのだと。夢の世界で、私は自分の部屋にいた。自分の部屋だと認識できたのは、そこに花壇の花の匂いがあったから。私の部屋の窓は他の病室のそれよりも大きく作られていると聞いたことがある。そこから溢れてくる月光をたっぷりと浴びて、体にため込んでいく。

 私にとって満月は太陽だった。

 そんな夢の世界に彼がやってきた。どこから来たのか、いったい誰なのか、そんなことはどうでもよくなるほど、彼の瞳に吸い寄せられた。西洋人形の目に宝石を二つ埋め込んだような、人間離れした美しい瞳だった。私は一瞬で恋に落ちた。彼は名前をカロスといった。

 朝、目が覚めると彼はいなくなっていた。私は包帯を巻いた。やはり目は見えなかった。

 次の満月の夜。私は同じように包帯を外して夢を見ようとした。カロスは私のもとに会いに来てくれた。前はほとんど話さずに夢から覚めてしまったが、今回彼はたくさん話してくれた。部屋をこっそり抜け出して夜の病院を歩いた。それは夢のようだった。数えきれないほどのドア、窓、そして花壇に咲いた私の好きな香りのする花。全てが月光に包まれて淡く光を放っていた。夢の中で夢を見ている。なんと幸せなことだろう。彼は私を図書室へと連れて行った。あまりの本の多さに一瞬あっけにとられたが、自分が文字を読めないことを思い出しうつむいてしまう。   

 すると彼は、奥の本棚から一冊の絵本を取り出してきた。

 その本の名前は「紺碧のアーリア」。

 彼は私にもわかるよう読み聞かせてくれた。彼が言うには、本の主人公は彼に酷似しているらしい。どこが似ているの? と私が聞くと、彼は答えた。

「僕もこの男の子と同じように涙を宝石に変えるんだ。そうだ。君にも一つ上げるよ。」

 そう言って彼は一滴の涙、宝石を落した。涙と同じ大きさ。彼の青い瞳から溶けて落ちてきたような、生々しさを感じた。月の光にかざしてみると、それは彼の瞳と同じように透き通って光った。私はただ、夢から覚める時にこの宝石も一緒に消えてしまわないよう願うばかりだった。

「きっと僕たちもさ、病気なんかじゃなくてこの『フィロス』っていう力を持っているんだよ。ここに出てくる人達みたいに。この世界は僕らに冷たいけど。こんな風に誰かを助けられるんだよ」

 カロスは寂しげに、それでいてどこか期待するような目をして言った。きっとあなたはそんな人になれるんだろうなと思った。『フィロス』という力を使って花吐き少女の呪いを解き、悪の手から森や生き物たちを守っていく。そうして最後は生き物たちからお礼として素敵な贈り物を受け取るのだ。

 その花吐き少女が花咲き少女になればいいのにという考えが、一瞬頭をよぎった。

 次の満月の夜も、同じように図書館に行った。今度は私のことを教えるよと彼に言った。彼は喜んでいるようだった。

 私は分厚い、表紙に花が描かれた本を手に取った。文字は読めないが、絵がついているおかげで探していた花のページはすぐに見つけられた。  

 私はそのページの下段を指し示す。

「この白くて小さな花が、私の右腕に咲いている花だよ」

「かすみ、そう」

 彼が絵の下の文字をつぶやく。

「この花、カスミソウって言うの?」

「うん。そう書いてある。ナデシコ科、一年草、多数の小花をつける」

 自分に咲く花のことなのに知らないことばかりだ。ページをめくると、ちょうど次に教えようとしていた花が出てくる。

「これは私が好きな花。とってもいい香りがするの」

「この花はユリって言うんだよ。花壇にも咲いているよね」

 僕も好きだよ。と彼は微笑んだ。

 天窓から月光が差し込んでいる。静寂な時が続く。何も話さなくても、私は彼が隣にいるだけで十分だった。彼がふと、私に尋ねてきた。

「セレネはさ、自分の病気を嫌に思ったりしないの?」

 私は彼が何を意図してその質問したのかわからなかった。少し考えてから笑って答えた。

「私はこれを病気だと思ったことはあまりないの。皆異病だとか、気持ち悪いとかいうけれど、そうだとしたらそんなことを言う人たちはとても勿体ないことをしていると思うわ。だって、こんなにも美しいんですもの。私、貴方のことが大好きよ」

 私は素直にそう思っていた。他と違うからと言っては遠ざける人たちは、自分がどれだけ惜しいことをしているか気づいているのだろうか。

 カロスの瞳が美しいのは私の夢の中の人だから当たり前かもしれないけれど。

 彼はしばらくぽかんと固まっていた。その様子がおかしくって、自然と笑みがこぼれてしまう。カロスはハッと我に返り、よほど恥ずかしがったのか顔を真っ赤にしている。私はそれがまたおかしくてさらに笑いだす。カロスもつられて笑い始めた。真夜中の図書館に、二人の笑い声がこだましていた。

 夢の中はいつも幸せで満ちていた。夢から覚めてもカロスにもらった宝石は消えなかった。私はそれをそっと握りしめる。瞼の裏に、満月の映った彼の瞳が焼き付いていた。


 月と友人になりたかった。月はいつもそこにいて、優しく包み込んでくれる。でも、月が私に話しかけてくることはなかった。こんなにも心は澄み渡り切っているというのに。

「月が綺麗だね。」

 大きな真っ白い夜空の穴は私たちを静かに照らしている。

 彼は月を見ながらつぶやく。初めての会話だった。

 

 未だに、満月の夢でしか会えない宝石である。

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