第2話 ジョット

「酒ェ……タバコォ……」


 その日も私が台座にじっと座していると、そんな干からびた声が礼拝堂の入り口から聞こえてきた。

 こっちに近づいてきてほしくないと思いつつも、やはりそれは無理なようで。私って、基本的に運が悪いのだ。


「チキショウ、あのクソババアぜってぇ許さねぇからな。何が出口だ、半壊した礼拝堂があるだけじゃねぇか……」


 ふらふらと歩きながら、私が結界を張った礼拝堂にその男は入ってきた。

 どうしてそうしようと思ったのかはわからない。

 けれど私は興味を惹かれて、なぜか剣の中に戻らなかった。台座に座ったまま、男が近づいてくるのを眺める。

 ふらふらとしていた男は、ついに私が座る台座の前で、ぱったりと倒れ込んだ。


「……」


 男はしばらく動かなかった。

 けれどしばらくして、ぴく、と動き、よろよろと体を起こす。そして私と聖剣を目に移すと、間抜けな声を上げた。


「……あ?」


 私はじっと台座に座ったまま、その男を見つめる。

 二十代後半くらいだろうか。

 旅の旅装をしているが、黒いグローヴや剣帯をつけているあたり、職業は剣士なのかもしれない。

 男は随分と整った顔立ちをしていた。

 銀色のサラサラした髪に、たれ目がちな紫色の瞳。

 そして無精髭。おそらくずっとこの森をさまよっていたのだろう。

 マダムたちが好きそうな顔だと思った。


「おいおい、嘘だろ。まさか死ぬ前に、一発ヤっときなさいって、神が遣わしたのか……?」


 そう言って、いきなり立ち上がると、ふに、と私の胸を掴んだ。


「……っ!?」


 訂正しよう。

 顔はいいかもしれないが、発言と行動がクソだった。


「いいぞいいぞ、よしかわいい嬢ちゃん、服を脱いでみようか。なんだったら俺、それだけで元気になるわ、死なねぇわコレ。あ、でも胸はそこまでデカくねぇな」


 なんでこんなクソ野郎の前に姿を現してしまったのか。

 私は手を伸ばしてくるクソ野郎の頬を思いっきりぶった。

 バシコーン! といい音がした。


「ぶっっ! 何すんだお前ェ!」


「口を慎みなさい、この不届きものが!」


 何すんだはこっちのセリフよ!

 そう言って私が仁王立ちすると、男は間抜けな顔で私を見た。


「お、おっ……? なんだ、俺死んだのか? おま……あなたは神なのか?」


「死んでいませんよ。それに私は神様でもなんでもありません」


「じゃあ死ぬ前くらいいいだろ。抱かせてくれよ」


 まっったく! 気色の悪い男だ!

 私が現役だったなら、八つ裂きにするところだったぞ。

 再び男が手を伸ばしてくるので、私はその手を振り払って、反対側の頬をぶった。

 乙女の敵、許すまじ。


「いってェ! な、お前、なんなんだよ、なんでぶつんだよ」


「私は……この森の精霊です。なぜぶつかって、自分の胸に聞いてごらんなさい! この破廉恥オヤジ!」


「オヤジ!? まだそんな歳じゃねぇよ……」


 とりあえず森の精霊と名乗っておく。なんだかこいつに剣の意思だとばれたらやばそうだと思った。


「あなたのような破廉恥オヤジを、この森は歓迎していません。さっさと出て行きなさい」


 そういって、腰に手を当てて威嚇する。

 それなのに男は、頬をさすりながらも引こうとしない。


「俺もこんなとこ好きできたわけじゃねぇ。だがこうしていい女に会えたんだ、これも何かの縁ってことで……」


「ふざけないで!」


 私は怒って、本体の後ろに隠れようとした。

 が、その一瞬、風がふと頬をかすめた気がした。


「……っ!?」


 低い声が耳元で囁かれる。



「まあ、待てよ」



 腕を、掴まれている。

 私の腕が、この男に。

 お前、いつ、動いたの?

 固まる私に、男は真面目な顔でいった。


「えーっと、森の精霊さんだっけ?」


「っそうよ! この手をはなしなさい!」


「なら、交換条件だ」


 また変なことをされるのかと身構えていると、男は少し笑って言った。


「変なことしねぇよ。さっきは悪かった」


「……」


「それより出口を教えてくれ。もうタバコが吸いたくてたまらん。死ぬなら一服してからだ」


 私はオロオロとしてしまったものの、仕方がないので出口……というか、流浪の民たちがキャンプを張っている方向を指した。そこまでいけば、一緒に外に連れて行ってもらえるはず。

 そう説明すると、やっと男は手を離してくれた。

 なんて力なんだろう。腕が赤くなっている。


「ん、赤くなってら。ごめんな。でもお前、妙に力が強いし、早いからな」


 そう言って私を覗き込む男の目に、一瞬身がすくんだ。

 紫色の瞳の奥に、力強い炎がゆらめいている気がした。

 そして、ほんの一瞬。一秒にも見たない間。

 全身を針で刺されるような殺気を感じる。


 なんなの、この男……。


 今まで聖剣として、何人もの男と戦ってきた。

 でもその中でも、こいつは出会ったことのないタイプだ……。

 本能的にそう感じ、あとじさる。

 怖がっている私を見て、男はヘラヘラと笑った。


「ありゃ、怖がらせちまった」


「こ、怖がってなどいません!」


「そう? ならいいや。あんがとな」


 そういって、頭をぽんぽんとなでられる。

 なんなんだこの男……。

 呆然としている間にも、男は手をひらひらと振って、私が指差した方向に消えていった。

 

 なんだったんだろう、あの人間は。

 思い返すだけで背筋がゾッとする。そして不快感がぶり返す。


「二度と戻ってこないでくださいね」


 そう呟いたまま、私は呆然と彼の消えていった方を見ていたのだった。


 ▽


 次の日。


「よお、森の精霊さん」


 タバコを口の端にくわえ、ズボンのポケットに手を突っ込んだ変態男が、私の前に立っていた。


「……」


 もう戻ってくんなと思ってたのに、戻って来た……。


「あに変な顔してんの?」


 ヘラヘラ笑って私の前に立つ男を、睨みつける。


「なぜあなたはまたここへ来たのですか?」


「んー、また迷っちゃってよ」


「本音は?」


「あんたの体をさわりてェ」


 こ、こんのすけべおやじ……!

 さっさと出て行けばいいものを!

 拳を握る私を見て、すけべ男は慌てて首を振った。


「冗談だよ、冗談。あんたバカ力だからな。首の骨おれっちまう」


「では首の骨が折れぬうちに帰った方がお前の身のためだと思いますが」


 次はグーでいきますよ、と恐ろしい声を出すと、すけべ男はひらひらと手を振った。


「昨日助けてもらっただろ。だから礼をしようと思ってな」


「礼?」


 どうやら昨日、この男は無事にキャンプについたらしい。流浪の民というのは、大概が様々な事情を抱えて、その地にいられなくなった人たちだ。だからこの男のことも受け入れてくれたのだという。さらにこの男は、その人たちの護衛をすることになったらしい。


「金はねぇけど、食いもんと酒とタバコもらえるみたいだからさ」


 そう言ってポケットからりんごを出す。


「食う?」


「そんなもの……」


 いりません、といおうとしたものの、くそ、食べ物なんか何年ぶりだろう。

 もらってやってもいいかもしれない。

 どうしようかと思ってチラチラりんごとすけべ男の顔を見ていたら、すけべ男は笑ってりんごを放り投げてきた。


「……っ」


「りんご、好きなんだな」


「……もらってやるだけです」


 聖剣も食事をするのかと問われれば、する。味を楽しむ。食べた分は聖剣のエネルギーにもなる。

 お礼としてもらってやるだけなんだから、とすけべ男を警戒しながらしゃくしゃくしゃくしゃく食べる。

 ……おいしい。久しぶりに甘いものを食べた。

 りんごはグランドストーム様が好きだったから、私も好きだ。

 台座に腰をかけて食べていると、ずいっとすけべ男が近づいてきた。


「なあ、触ってもいい?」


「触るな、変態!」


「えー、いいだろ、おじさんにちょっとくらい触らせてよ」


 こいつに昨日胸を触れたことはわすれん。剣の意思といえど、不快だ。

 彼は私をじっと見てから、後ろの聖剣本体に目を移す。


「なんでだめなんだ?」


「不快です。あなたになんか触られたくありません」


「そうか。嫌か。俺はどんなやつでも扱わせてもらってんだけどな」


 な、なんてふしだらな!

 やっぱりこいつとは関わらない方がいい。

 腐っても私は聖剣だ。こいつと一緒にいたら汚れる。

 私はりんごを食べきると、ビシッとすけべ男に指をつきつけた。


「金輪際、あなたとは会いません。早く森を出なさい」


「あ、俺しばらくはこっちにいるんだわ」


「!? さっさと出て行きなさい!」


「仕方ねぇだろ。あいつらがまだしばらくここにいるっつーんだから」


 それならそれで、私は剣の中にとどまるのみ。しばらくはこの男と合わないように、剣に中でじっとしていよう。最近、外に出すぎな気もするからそれでいい。


「なあー、触っちゃだめか? 触りたいんだよ。こんなの、滅多にねぇよ」


「さっさと帰りなさい」


 ぷいっと顔をそらすと、彼はため息をついて髪をくしゃりとかきあげた。

 無駄に顔だけはいいな、と思った。


「まあいいや。また明日くるから」


「来てももう、私はいませんよ」


「は? なんで?」


「なんでって、私は森の精霊だからです」


 そういうと、彼は驚いたように目を丸めた。それから何がおかしいのか、笑いをこらせるように、くつくつと肩を揺らす。


「そう、そうだった、森の精霊さん」


「?」


「まあいいや、また明日」


 そう言って、何がおかしいのか、彼は笑いながら礼拝堂を出て行く。

 しかしその途中で、はた、と立ち止まった。


「そーいや、俺の名前、まだ言ってなかった」


「知りたくもないです」


「まあまあ、そう言わずに」 


 彼は振り返って、ニッと笑った。


「ジョット。俺の名前は、ジョットだ」


 ……どうしてだろう。その名前に、どこか聞き覚えがあると思った。

 どこで聞いたんだろう。

 私が何かを聞き返す前に、ジョットは森の中へ消えていった。

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