第1話 ティア
「……ん」
小鳥のさえずりで目が覚めた。
礼拝堂のベンチで寝転がっていた体を起こし、目をこする。
すると、ぽろ、と自分の瞳から涙がこぼれ落ちた。
……なんだか、ずいぶんと懐かしい夢を見たような気がする。
それで泣いたのだろうか。
……いや、これはきっと、あくびのせいだ。きっとそう。
ぷるぷると首をふる。伸びっぱなしになった白金色の髪が、さら、と揺れた。
今にも崩れ落ちてきそうな教会の天井から漏れる木漏れ日は、すっかり朝の匂いを漂わせていた。どうやら寝坊してしまったようだ。
「……そんなこといっても、誰にも迷惑なんてかけていないけれど」
ぽつりと呟いて、立ち上がる。
創世の女神の物語が記されたステンドグラスは、ほとんどが割れ、小鳥たちがちゅんちゅんと出たり入ったりを繰り返していた。
礼拝堂は半壊し、綺麗な青い空をのぞかせている。ここは森に囲まれているため、木々や草にもう半分ほど飲み込まれそうになっていた。
私はそんな様子をぼうっと見ながら、本体の突き刺さった台座まで大きな瓦礫を避けて移動し、そこに膝まずいて祈りを捧げた。
「……天にまします我らが女神よ。我らが聖剣の父、グランドストームよ。今日この日も、誰にも見つからずに、静かに終えられますように」
白石の台座に深々と突き刺さった聖剣が、私の切実な願いに反応するかのように、きらりと輝いた。
──私は聖剣の意思、聖剣の生み出した幻影だ。
二百年も生きていると、人間と同じような感情が生まれ、神の力で人間の姿をとることができるようになった。ありがたいことだ。
しかしこの姿は本体からそう遠くまで離れることができない。人間から見れば、剣の精霊、といったところだろうか。
言わなくてもわかると思うが、聖剣ティア。それが私の名だ。光の聖剣とも呼ばれている。
私はこの静かな森の奥にある朽ち果てた礼拝堂で、ひっそりと毎日を過ごしている。
人間たちに見つからないように。
なぜかって?
そんなの、決まってる。
──二度と人に使われたくないからだ。
こんな物騒なご時世に、「聖剣」としてやっていこうなんて、バカが過ぎる。
人々は醜く争い、無意味な殺し合いをし、屍ばかりを生み出している。
グランドストームは、お父様はこんな醜い世の中を守るために私を産んだんじゃない。
二百年も生きたら、聖剣だってそりゃあ、いろんな経験をして、人格も変わってしまう。言汚い言葉だってたくさん覚える。
熱い高炉の中で生まれた、純粋な私はもういない。
誰に文句を言われても、変わってしまったのだから仕方ないだろう。
何が正義だ。
お父様のバカ。
はやく私を、壊してよ。
ガラクタにしてよ。
私の意思は、とうに折れた。
だから誰もこないこの森の奥の礼拝堂で、ひっそりと暮らしているのだ。誰にも見つからず、朽ち果てるために。
のんびり暮らすのも、いいことだ。かつて私は幾人かの使い手の元にあったが、お父様の工房を除けば、ここが一番居心地がいい。
さわ、と風が吹く。
木漏れ日が、台座に突き刺さった聖剣を照らす。
聖剣の寿命って、どんなものなのだろう。
そんなことを思いながら、ぼうっと台座に座っていると、礼拝堂の入り口から、甲高い子供の声が聞こえてきた。
「こっちこっち、見て、このぼろっちい剣!」
誰がぼろっちい剣だ。
声のした方を見れば、子供が数人、こちらに走ってくるのが見えた。
私はふっと本体の中に戻った。
精霊の姿は誰にでも見える。見つかったら厄介だ。
ときどきいるのだ。この森にやってくる、流浪の民たちが。
戦乱の世に追われて、居場所を無くした人たち。
しかしこの森には、瘴気と言われる、人の怒りや憎しみから生まれた恨みの力が蔓延している。だから長くは住むことができない。そのせいでここにいる動物たちも、魔獣と呼ばれる、無作為に人間を襲う生き物になってしまうことが多い。
この一画だけ清い空気に満ち溢れているのは、私の浄化の力のおかげだろう。浄化しているつもりなどないが、勝手に力が溢れてしまっているらしい。
たまに人は来るが、しかしここには長らくは住めないと分かると、流浪の民たちはいつしか立ち去っていく。
だから今まで、私のそばに長くいたものはいない。
「へえ、本当だ。ユナの言ったとおりだ」
「この台座の下に、ブレードの部分が埋まってるんだ」
「抜けるかな?」
「引っ張ってみようよ」
そう言って、子どもたちは一斉に私の柄に手をかける。
しかしいくら引っ張っても、私は抜けない。
当たり前だ。私は私が選んだ相手にしか、もうこの剣を渡すことはないのだから。
心優しく、親切な魔導師に、魔法をかけてもらったのだ。この台座に在る限り、私は己の意思か、この魔法を破るほどの力を持つ者が現れぬ限り、永遠にこの場にとどまり続けることができる。
「全然抜けない!」
「なんだこれ、ボロのくせに!」
子どもたちは悪態をついた。なんとしてでも私を抜こうとする。そしてびくともしないとわかると、ぽんぽんと私の体を蹴ってきた。
──まったく、なんてことを。
私は一つ呼吸をすると、すっと本体から抜け出した。
「っ!? うわっ、なんだ!」
「どこから出てきた?」
突然目の前に立ちはだかった私に、驚いたのだろう。子どもたちは腰を抜かした。
「お前たち、いい加減になさい。剣を乱暴に扱ってはなりません。怪我をしますよ」
「な、なんなんだよ、お前!」
そう問われて、私はしばし考えた。
「……私はこの礼拝堂で眠る森の精霊です。お前たちのあまりにも不届きな行為に、怒りを覚え、ここに現れました」
厳かな声でそう言ってみせると、子どもたちは悲鳴をあげておでこを地にこすりつけた。
「ご、ごめんなさいごめんんさいっ!」
「母ちゃんには言わないで」
「とうちゃんにも!」
この国の人たちは、精霊を大切にしている。そして精霊たちも、たまに人の姿を借りて予言やお告げなどをすることがある。だから私のことも、信じてしまうのだろう。
おほん、と咳をしていう。
「それでは、今すぐに帰りなさい。ここは危険なのですよ」
「は、はいいっ!」
子どもたちはたったかと逃げていく。けれどその中で一人だけ、じっと私を見上げている女の子がいた。
「……どうしたのですか」
「あ、あのっ!」
声をかけると、少女は目をキラキラと輝かせて言った。
「あなたは、剣の精霊様ではないのですか?」
ギク、としてしまった。
「な、なにを……」
「私、西の地で聞いたのです。聖剣の物語と、そこに記された女性の姿を。英雄の聖剣は、人の姿になることができるのだと、聞きました!」
心臓が跳ね上がった。
変な汗が出てくる。
西の地。英雄。
もう二度と聞きたくない言葉だ。
「あなたは、というかこの剣は、聖剣なのではないのですか?」
女の子はキラキラした目でそう問うてくる。
「白金に輝く髪と、天国の海を表したかのように美しい、青色の瞳。まさにあなたのことなんじゃ……」
私は思わず、ぶんぶんと首を振った。
「違います違います。これはその辺で売ってた剣だし、さびついて抜けないだけです。ほら、さびっさび!」
見てここ! と剣を必死に指で刺す。
女の子は私の弁解に納得がいかないような顔をしていたが、しかし本体を見て、急に笑顔がしぼんだ。
「そうですよね……」
じっくり見て、それから納得したようだった。
ちょっと、悲しい気分になった。
「……森の精霊さま、騒がしくしてごめんなさい」
ぺこ、と頭をさげる。
「世界に七振りあると言われている、伝説の聖剣。その聖剣があれば、少しは世の中もよくなるんじゃないかと思ったの……」
「……」
私は静かに、女の子の名を聞いた。
「あなたの名前は」
「ユナ、です」
「それではユナ。大人たちに伝えなさい。ここは危険な場所です。長く居ることはできませんよ。特に子どもや赤子、妊婦には悪影響を及ぼしてしまう」
その言葉を聞き遂げると、ユナはぺこっと頭を下げて、踵をかえした。と思いきや、思いとどまって、そっと台座に近づいてきた。
「?」
「聖剣じゃなくても、蹴ったりして、かわいそう。あの子たちが悪いことをして、ごめんなさい」
「!」
ユナはそういうと、服の袖でゴシゴシと剣を磨いてくれた。もう十数年ここに埋まったままだったから、ずいぶん汚れていたのだ。
「それじゃ、すみませんでした」
「待って!」
すっかりきれいにしてくれたあと、ユナはたったっと走り去っていく。
それを止めて、私はいった。
「あ、ありがとう」
「?」
ユナはきょとんとすると、にこにこ笑って、私に手を振った。
私もちょっと考えてから、手を振りかえした。
久しぶりに、人の心に触れたと思った。
▽
父、グランドストームは、剣の名匠として歴史に長く名を残した。彼の伝説は数知れず、彼の生み出した剣たちは、いつの時代も英雄とともにあったという。
その中でも特に伝説化されているのが、彼の生涯の最期にうたれた、七振りの聖剣だ。
彼は死ぬ間際に、己の全てをこめて七振りの聖剣を作った。心血、魂を注ぎ込まれて作られたその剣たちは、強い力と己の意思を持って、使い手に莫大な力をもたらしてくれるのだという。
だからこそ、人は私たちを聖剣と呼び、尊ぶのだろう。
……で、私はそのシリーズの三作品目らしい。
らしいというのは、私が他の聖剣たちを見たことがないからだ。でもきっと、世界のどこかでそれぞれみんな活躍しているのだろうと思う。
私以外は。
私は自分の意思でもう活動しないことを決めた。だからこれは仕方のないことなのだ。
決して、絶対に、他の聖剣たちが羨ましいなんてことはない。
「自分で決めたことだから」
私はポツリと呟くと、ユナの去っていった方を見た。
ここは深い森の中。
きっと、私を求めてやってくる人はいない。
森を抜けると村があって、街があって、国がある。
人の負の感情によって暴走した魔獣たち。飢えた人々と、憎しみ合う国民。
そしてこの世を支配する、悪魔。
──でももう私には、関係ない。
あの子供たちが来てから数日がたった。あれ以来、森は変わることなくいつもの静けさをたたえている……はずだったのだけれど。
どうも最近の森は騒がしいらしい。
また新たな客人が訪れたのだ。
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