第2話

 僕は慶次郎さんの突きを払いのけると、右に回り込み、胴に向かって槍を突き出す。

 渾身の一撃だったが、あっさり払いのけられて、逆に左から攻められた。

 馬を右に跳ねさせてかわすと、今度は左の脇腹をねらう。

 ねらいはずれ、穂先はわずかに腕をかすめただけで、動きを抑えることはできない。

 かくなる上は……

 僕はフェイントを入れて、慶次郎さんの動きを右に引っぱった。

 わずかに馬が右に動いて、隙ができる。

 その一瞬をついて、咽喉元に一撃を放つ。

 間合いは完璧だったが、慶次郎さんはわずかに首をひねって、穂先をかわした。

 忍緒を切り裂いたところで、胸をねらった慶次郎さんの一撃が来た。

 かわせない。

 思わず腹に力を入れたところで、出しぬけに殺気は消えた。鋼の穂先はわずかに僕の胴丸をつついただけで終わった。


「見事。差は紙一重だった。運があれば、勝っていたのはおぬしだったであろう」

 慶次郎さんが笑ったので、僕は大きく息をついた。肩から力が抜ける。

「冗談はやめてくださいよ。こんな時に」

「何を言うか。儂は本気だった。本気でおぬしを殺すつもりだった。なのに、かわされたばかりか、逆に槍を突きたてられた。忍緒を斬られたのは、はじめての事よ」

 慶次郎さんは、切れた兜の紐を引っぱった。

「口はばったいが、この世にあまたの武者あれど、儂と五分に戦うことができるのは五人とおらぬ。槍ならば本多平八、宝蔵院胤栄ほうぞういんいんえい富田与六とだよろくといったところだろうか。腕自慢もさんざん相手にしてきたが、一合で決着がついたよ。そんな儂とおぬしは五分に戦ったのであるぞ。それをちーとと言わずして、なんと言うのか」

「いや、ちょっと待ってください。それは鍛えてもらってからで」

 慶次郎さんに拾われてから、僕は槍と刀の技術を徹底的に仕込まれた。生き残るために必要ということだったが、稽古はすさまじいもので、何度も命を落としかけた。槍が脇腹をかすめて肉がえぐられた時は、本当に駄目かと思った。

 死んだ方が楽と思わなくなるまで一年近くかかり、何とかやっていけるようになるまでにはさらに一年を要した。

「あれだけやれば、誰だって……」

「それは違うぞ。技を受けいれるようになるには、それにふさわしい身体と心が必要よ。残念なことではあるが、どれだけやっても、一流になることができぬ者はおる。いや、それがあたり前で、壁は思いのほか高い。それをおぬしは易々と超えた。教えれば教えるほど、さながら綿が水を吸い込むがごとく受けいれた。太刀筋の見切り方を授ければ、すぐに己のものとし、槍の繰り出し方を見れば、わずかな間に収得してみせた。それは誰でにでもできることではない。おぬしの才よ」

「そんな……」

「槍や刀だけではない。馬もそうよ。はじめは乗ることすらできかったのに、今では東国の武士よりうまく扱う。先刻、儂の槍を避けた時の手綱さばきなど、尋常のものではなかった」

「ですが……」

「味方が窮地に陥れば、渦中に飛び込み、敵を倒して、傷を受けることすらなく意気揚々と引きあげてくる。それが天下無双の力でなくて、何だと言うのだ」

 僕は反論しようとしたが、やめた。

 確かに筋は通っている。ただ生き残るために、懸命に自分を鍛えていただけだと思っていたが、いつしか天下一の槍と五分に戦えるまでになっていた。

 慶次郎さんが手を抜いていなかったことは、やりあった自分が一番よくわかる。

 無双の相手と戦えたという意味では、チートと言えないことはない。

 

 しかし……わかりにくくないか? 鍛えれば鍛えるほど強くなるというのは、普通にありえることだし。

 チート能力ではなく、元から持っていた力であることもありうるわけで、よくわからない。

 くそっ。こんなことなら、あの案内人とかいう爺様がもっとわかりやすい説明してくれればよかったのに。

 この世界に入る前、老人がいろいろと話をしてくれたが、ものすごく難解で何を言っているのかわからなかった。よくも、これだけ意味のわからない文字を並べることができると思ったものだ。

 確かプラトンとかいったか。いったい何だったのであろうか、あれは。


「それとも、もっとわかりやすい力があればよかったか。空を飛ぶとか、光の球を出すとか」

 慶次郎さんに問われて、僕は首を振った。

 最初から無双だったら、この世界を嘗めてかかって、ひどい目にあっていただろう。

 野盗のボスになって寝首をかかれたか、どこかの武将におだてられて、いいように使われて、最後は毒殺されていたか。

 偉くなった気になって、周囲の者を見おろして、一人の友達も得ることなく、虚しく死んでいただろう。

 少なくとも、慶次郎さんとこんな風に話ができることはなかった。

「これで十分かもしれませんね。もう少し楽はしたかったけれど」

「儂の目から見れば、とんでもなく楽をしているように見えるのだがな。そのあたりもちーとだからなのか」

 慶次郎さんは、そこで改めて東の空を見つめた。

「さて、あやつらであるが、どうするかな」

「本陣へ戻って評定をした上で、兵を出すということになるのでしょうが、正直なところ面倒くさいですね」

「儂が一声かければ、血の気の多い連中が百は集まる」

「奇遇ですね。僕にも似たような知り合いがいますよ」

 目線があっただけで、慶次郎さんの考えていることはわかった。

「やりますか」

「おう。合戦だな」

 慶次郎さんの表情は一瞬で引き締まった。まさに戦人いくさびとのそれである。

 僕の血も沸き立つ。たまらない。かつて住んでいた世界では、決して味わうことのできない感覚だ。

「では、行きましょうか」

「おい」

 声をかけられて、僕が顔を向けると、慶次郎さんは笑って言った。

「お前、いい顔をしているぞ」

 笑った僕が返事をしようとしたところで、彼方から声が響いてくるのに気づいた。


 黒の具足に身をつつんだ武将が迫ってきた。背が高く、がっちりとした体型で、遠くからでも目を惹く。

 供の者を十人ほど連れてきており、全員が馬に乗っている。

 陽光を浴びて、白地に鶴の旗印がきらめく。

「まさか……」

 僕が驚いている間に、黒の武者は近づき、あっという間に馬を寄せてきた。

「探したぞ。まさか、こんなところまで出ていたとはな」

 兜の下にある白い顔には、笑みが浮かんでいた。整った顔立ちで、役者と見間違うほどの柔和さだ。

 対照的に手足は太く、胸板も厚い。鍛えていることがはっきりわかる体型だ。

 事実、合戦の場であれば、ガーゴイルであろうが、コボルトであろうが、たやすく蹴散らす。本物の戦国武者だ。


 蒲生忠三郎賦秀がもうちゅうざぶろうますひでは、近江蒲生郡の出身の勇将で、天下統一の戦いでその名を売った。まだ三〇と若いが、武略、知略に長け、今後の天下を支える武将と目されている。

 茶人としても知られており、千利休とも付き合いがあるという。

 そんな、本来ならば決して顔をあわせることない人が、親しげに話しかけてくる。

「藤堂の馬鹿武者を助けに出たと聞いたのでな。深入りしてはいないかと思って、気にかけていた。気になって出てみたら、いつまでたっても追いつかん。どうなっていることかと思ったぞ」

「すみません。余計な手間をかけさせました」

「今度からは一声かけろ。手の者をつける」

「ですが、大事な家臣の方々を……」

「何の。おぬしに万が一のことがあっては困る。まだ決着はついておらぬからな」

「あ、あれは二年も前の事ではありませぬか。それに、うまくいったのはたまたまで」


 二年前の五月、僕は蒲生様に招かれて、日野城に赴いた。槍の名手がいるとのことで、ぜひともその実力が見たいとのことだった。

 面倒だと思ったが、慶次郎さんがぜひ行けというので、やむなく出向いた。

 日野城では、蒲生様の前で家臣と打ち合い、その腕前を披露した。

 それで終わればよかったが、最後には蒲生様が自ら出てきて、僕との戦いを望んだ。見ているうちに血がたぎってしまったらしい。

 確かに蒲生様の技量は高く、槍自慢をしたい気持ちはわかった。

 槍を合わせると、たちどころに攻められ、僕はきわどいところまで追いつめられた。

 しかし、太陽の光に目がくらんだところをうまく攻めたて、かろうじて引き分けに持ち込んだ。

「あの時、風が吹かず、雲の背後から太陽が出なければ、僕は負けていました。勝負はついていたのですよ」

「なんの。それに気づかなかったことこそ、我が不覚。いや、逆にいえば、おぬしは日射しをいつでも使える場所に自ら導いていた。だから、勝機を生かしたと言える。そのことが頭になかったとは言わせぬぞ」

 確かに太陽の位置には気をつけるように、慶次郎さんには言われていた。それを忠実に守ったから隙を生かすことはできたが、それが技量の差かと言われてしまえば、よくわからない。

「いずれ、目に見える形で決着をつける。その時まで、おぬしには生きていてもらわねばならぬ。我が家の武士もののふは、おぬしとともに戦うぞ」

 蒲生様の言葉は心に響いた。それほどまでに気にかけてくれるとは。思わず涙が出そうになる。

「それは、後から来る者も同じであろう」

 蒲生様が振り向いた先には、指物がうごめいていた。


 一〇、いや、二〇はあるか。一団となって、僕たちに迫ってくる。

 先頭に立つのは、黄色の地に石餅。土佐、長宗我部家の旗印だ。

 茶の具足を来た武者は、こちらに気づいて、まっすぐに馬を寄せてきた。ものすごいスピードで、ぶつかるのではと思ったほどだ。


「まさか、蒲生様に後れを取るとは。手前が一番乗りだと思っていたのに」

 声を張りあげたのは、長宗我部ちょうそかべ家の嫡男、弥三郎信親やさぶろうのぶちかであった。

 四国の雄、長宗我部土佐守元親の息子であり、知勇に秀でていることで、その名を知られていた。

 阿波での対ケンタウロス戦では、自らが先頭に立って敵を引きつけ、勝端城解放への道筋を作った。

 僕たちが知り合ったのは播磨でゴルゴンと戦った時で、半ば石になっていたところを僕が救って、その後は三木城まで行動を共にした。

「水臭いではありませぬか。味方を助けに行くといえば、いくらでも手をお貸ししたものを。手前がおれば、余計な苦労はさせませんでしたぞ」

 顔を思いきり寄せてきたので、僕は下がった。

「お、お待ちを。長宗我部様は、土佐の手勢一万とともにおられたではありませんか。勝手をされては何かと」

「あんなものは父上にまかせておけばよいのです。手前は貴殿と共に戦いたいのです」

「お、おう」

「それに、また家名でお呼びになった。あれほど弥三郎と呼んでくれと頼んだのに。我らは知己ではないのですか」

 長宗我部、いや、弥三郎殿の顔に涙が浮かんだので、ぼくはあわてた。

 慶次郎さんを見るが、ニヤニヤ笑っているだけで何も言わない。

 弥三郎殿は、ゴルゴン戦以来、何かと声をかけてくるようになり、一時は毎日のように屋敷に訪ねてきて話をしていた。あまりにも頻繁なので、気にした父である土佐守様がストップをかけたが、それでも口実を見つけて会いに来てくれた。

 慕ってくれるのはありがたいが、ここまで熱く遇されると、かなり困る。とにかく感情量の多い人なので、何かあるとすぐに感激して、こちらとしてはどうしていいのかわからなくなってしまう。

「貴殿を慕っているのは、手前だけではございませんぞ。見てくだされ、この旗を」

 僕の周りには、島津、毛利、真田、武田、宇喜多といった大名の旗がずらりと並んでいた。

 駆けつけてきたのは、島津豊久しまづとよひさ真田信繁さなだのぶしげといった若手の武将たちだ。

 彼らとは何度となく共に戦った。化物相手に刃を振るい、死地をくぐり抜け、酒を飲み、語り合った仲間たちだ。共に過ごした時間は、何にも代えがたい。

 もし、僕がこの世界に飛び込んできた時からチートだったら、彼らとも知り合うことはなかっただろう。武士なんか馬鹿にして、近づくこともなかったはずだ。

 僕に特別な力があるかどうかはわからない。ただ、苦労して自分を鍛えて、色々とな人たちと交わってきた時間は無駄ではなかった。

 それがはっきりとわかる。


「さて、どうするね。思いのほか数はそろったな」

 慶次郎さんが声をかけてきた。

 そろった武者は一〇〇人を超え、その数はさらに増えそうだ。

 ひるがってガーゴイルを見れば、先鋒はすでに半里ほど先に迫っている。ぶつかるまで、さして時はない。

「行きましょう。もう待ってはいられません」

「ならば、声をかけよ」

 慶次郎さんにうながされて、僕は集まった武者たちの前に出た。不思議と心は落ち着いていた。

「これより我らは、佐和山から迫る飛鬼を迎え撃つ。ここを抜かれれば、次は安土、瀬田が危うくなる。京の都を守るためにも、ここは勝たねばならぬ。天下分け目の大戦よ」

 弥三郎殿は笑みを浮かべた。まったく恐れはないようだ。

「相手は強い。されど、我らは負けぬ。相手の弱味をつき、ひるむことなく戦えば必ず打ち破ることができる。それだけの力を持った者がここに集まっていると、我は信じる」

 熱気が高まるのを感じる。僕は思わず手を握りしめた。

「では、行こう。勝負を決めるのは今ぞ!」

 おおと声があがって、集まった武者ははがいっせいに馬を出した。

 僕も馬首を返して、斜面を降っていく。

 血がたぎる。最高の気分だ。

 元の世界で家族にいじめられ、みじめな暮らしをしていた時とはまるで違う。父親に背中を突き飛ばされた時には、最悪の気分だったが、そんなものははるかな過去だ。

 こんな天下分け目の合戦に先陣を切って飛び込めるなんて。

 信じられない。夢みたいだ。

 僕は大声で笑っていた。

 隣を見ると、慶次郎さんも笑みを浮かべている。

 槍を高くかかげながら、僕たちは迫るガーゴイルの集団に突っ込んでいった。

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いざ、魔物の群れへ! ――異世界戦国合戦譚―― 中岡潤一郎/加賀美優 @nakaoka2016

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