いざ、魔物の群れへ! ――異世界戦国合戦譚――

中岡潤一郎/加賀美優

第1話

 手綱を引いて馬を止めると、僕の視界に有翼の怪物が飛び込んできた。

 大きさは二メートルぐらい。

 人型で、四本の腕と二本の足が伸びている。

 肌の色は灰色で、目は大きく、口元は歪んでいる。大きな二本の角と重なって、まさに鬼と呼ぶにふさわしい顔立ちをしている。

 ガーゴイル。

 こちらの世界では飛鬼ひきと呼ばれる異形の怪物が三匹、僕の頭上で旋回しながら、飛び込む機会をねらっている。

 気配は何とも禍々しい。

 いったい、どれだけの人が、こいつにやられたことか。大群で人を襲い、無惨に食い散らかしていく様子を何度も見せつけられてきた。

 いや、今もまた……。

 僕は馬を前に出すと、声を張りあげた。


「おい、こっちだ。急げ!」

 背の高い草をかきわけながら、三人の騎馬武者が馬を走らせていた。赤の当世具足を身にまとい、手には半槍がある。

 視線は、頭上のガーゴイルに向いている。

 表情には焦りがあり、明らかに怯えている。

 それを察したかのように、一匹のガーゴイルが高度を下げてきた。とんでもないスピードで、騎馬武者の背後に迫る。

 僕は馬の腹を蹴って、距離を詰めた。

 きわどい。間に合うか。

 ガーゴイルは一直線に降下し、最後尾の武者に襲いかかる。

 爪がその鎧を切り裂く寸前、僕は槍を繰りだした。

 穂先がその手を弾くと、すさまじい悲鳴をあげて、ガーゴイルは高度を取った。

 黒い瞳がこちらに向く。

 狩りを邪魔されたのが腹立たしかったのが、眼光はすさまじい。

 ガーゴイルは小さく右に曲がりながら、僕に迫る。

 強烈な一撃が来るが、馬を下げてかわす。

 さらに間合いを詰めてきたところをねらって、僕は槍を突き出した。

 ねらいすました一撃は、容赦なくガーゴイルの胸をつらぬいた。

 怪物はすさまじい悲鳴をあげ、上空に逃げようとしたが、果たせず、頭から地面に落ちた。

 紫の血が大地を染める。

 背後からの鳴き声に振り向くと、残りの二匹が迫ってきた。

 渦巻くように軌道で迫ると、右の一匹が腕を伸ばしてくる。

 僕は槍を振り回して、その顔面をひっぱたいた。

 思わぬ方向からの一撃に、ガーゴイルは耐えられず、地面に落ちる。

 骨が砕けて顔が歪み、目玉も飛び出していたが、敵意は衰えていなかった。二本の足で立って、こちらを威嚇する。

 僕がわずかに下がると、ガーゴイルはジャンプして飛びかかってきた。

 思ったとおりの動きに、僕は落ち着いて槍を繰りだし、その咽喉元をつらぬいた。

 急所を射抜かれて、怪物の動きは止まった。槍を大きく振ると、地面にあおむけに落ちる。 


「まだ来るか」

 こちらが顔をあげると、残った一匹は距離を取った。

 ゆるやかに上昇する背後には、新手のガーゴイルが見てとれた。

 数は二〇あまり。灰色の空を背景にして、こちらに迫ってくる。

 やってやられない相手ではないが、先々のことを考えると、無理はしたくない。ガーゴイルなど尖兵に過ぎない。

 横を見ると、先刻の三人が斜面を登り切っているところを確認できた。あそこまで下がれば、もう大丈夫だろう。

 僕は馬首を返して、戦場を離れた。

 途中、一度だけ振り向いて見ると、ガーゴイルの集団が後退していく様子が見てとれた。今日はこれで終わりらしい。

 馬を走らせ、小川を越える。

 ようやく一息ついたのは、丘の頂上に達した時だった。

 ここまで来れば、ガーゴイルが放つ独特の臭気もない。湖からの風が首筋をなで、五月の心地よい草の匂いがあたりに漂う。

 人の世界にようやく戻ってきた。

「思ったよりも、西に出てきたな。このままだと、このあたりも危ういか」

 僕は東の山を見やった。

「できるだけ早く押し返さないと、安土あたりまでやられてしまうな」


「同感だな。待っている余裕はないぞ」

 突然の声に驚いて、顔を向けると、三メートルほど離れた草地に、大きな黒い馬とそれに乗る大柄の武者が見てとれた。


 武者の背丈は一八〇センチ近くで、銀の南蛮胴に朱色の佩楯、同じく朱の当世具足に臑当てといういでたちだった。

 兜は桃形ももなりで、鎧と同じ銀色だ。きれいに磨かれていて、陽光を受けて鏡のように輝いている。

 右手の槍は四メートルを超える長さで、柄は棍棒を思わせるぐらいの太さだ。色は朱色。穂先は大身槍で、付け替えたばかりということもあって、鋼の光が何とも美しい。

 年は四五才ということだが、とてもそうは見えない。兜の下の顔は皺すらなく、三〇代前半に見える。目の輝きは子供のようで、見ているだけで引き込まれそうだ。

 世に武者は多いが、これほど目を惹く人物は珍しい。一〇〇メートル以上、離れていても、その存在に気づく。

 前田慶次郎長益まえだけいじろうながますは、巧みに馬を寄せてきた。

「昨日より数は増えている。見ろ、佐和山のあたりを。数が多すぎて、一匹一匹を見極めることができぬ。まるで雲のようではないか」

 慶次郎さんはガーゴイルの群れを見つめる。その視線は厳しい。

「一〇〇、二〇〇では効かぬな」

「一〇〇〇か、あるいはそれ以上でしょうね」

「明日には間違いなく攻めてくるだろうな。いよいよ勝負の時か」

 視線の先には、灰色の山がある。上空には、ガーゴイルの群れが渦巻き、その一部が山頂に向かっている。

 あまりにも数が多いので、群れと山が一本の線で結ばれているように見える。

 山が灰色なのも、ガーゴイルが山肌でうごめいているためだ。


 その山は佐和山といい、以前はその山嶺に名の知れた城があった。近江国、今の滋賀県の要衝であり、かつては織田信長や浅井長政といった戦国の有名武将が盛んに奪い合った。

 ガーゴイルが攻めてきたのは去年の九月で、またたく間に制圧され、城兵は皆殺しになった。今では、その麓にたどり着くことすらむずかしい。


「放っておけば、これより西もあやつらにやられよう」

 慶次郎さんは山を見つめたままだった。その表情は厳しい。

「容赦なく攻めたてられ、多くの者が餌食となる。敵は空から来る故、なかなかにかわすことはできぬ」

「そうはさせませんよ。そのために、我らはここに集まったのでしょう。押し戻すのはこれからです」

「そうであったな。合戦はこれからであったな」

 慶次郎さんは、精悍な笑みを浮かべた。力強く、迫力がある。

 戦国の世を生き抜いてきた男にしかできない表情だ。


 慶次郎さんは、織田家の配下である前田家の武士もののふで、本来ならば前田家の跡継ぎになってもおかしくなかったが、主君である織田信長の意向で、叔父さんの前田利家が後を継ぐことになった。その影響もあって、しばらくは城を出て、流転していたが、叔父さんが能登で大名となると、その家臣となり、領土をもらった。

 ただ、能登に長居することはなく、本能寺の変があって、天下の情勢が大きく変わると、京に出て、自分のやりたいようにやっていたらしい。

 ぼくと知り合ったのもその頃で、以後、行動を共にするようになった。

 名の知れた戦国武将であり、本来なら気楽に話ができるような立場ではないが、いつの間にかこんなことになった。思いのほか長い付き合いだ。

 慶次郎さんと気楽に呼びかけるのもおかしいのだが、今さら変えることもできない。

 僕たちは佐和山に背を向け、丘を降りた。


 慶次郎さんが口を開いたのは、川に沿って西に進路を取った時だった。

「そういえば、藤堂家の家臣はどうなった」

「うまく逃げたようですよ。見かけませんでしたか」

「そういえば、赤い具足の武者が一目散に逃げていったな。みっともない。勝手に深入りして、ろくに戦いもせず、人に助けてもらって立ち去るとは。腹がすわっておらん」

「いいじゃないですか。無茶をして、命を落とすこともありませんよ。ガー、いえ、飛鬼と戦うのはしんどいですから。助けることができて何よりです」

「何を言うか。古来、合戦でしゃにむに突っ込んだ者は討ち取られて然るべき。己が罪であるのだから、放っておいてもよいのだ」

「この先、どうなるかわかりません。一人でも二人でも兵は多い方がよいかと」

 僕は笑った。

「そう言う慶次郎さんも気になったから、ここまで来たのでしょう。いざいという時には手を貸すつもりで。ありがたい話です」

「本陣にいても、やることがなかった。暇つぶしよ」

 慶次郎さんはぷいと横を向いた。素直でないところは、はじめて会った時から変わらない。

 僕がこの戦国屈指の武者と知り合ってから、四年になる。この世界に飛ばされて、はじめて知り合った名のある人物がこの人だった。

 もし出会っていなかったら、どうなっていたか、考えるだけでおそろしい。

 野盗に斬り殺されていたか、人買いに捕まってとんでもないところに売られていたか。あるいはガーゴイルに襲われて、無惨に食い殺されていたか。とても倖せな死に方ができたとは思えない。本当に幸運だった。

 僕がこの世界に来たのは、人に突き飛ばされて、崖を転げ落ちた直後だ。


 最初は日本の戦国時代に来たかと思ったが、かなり違っていた。

 ここは日本の半分、そしておそらく海外の半分も、化物に支配される異様な世界だった。ガーゴイルはその一部でしかなく、日本各地にはとんでもない化物が現れて、人と戦っていた。

 浅井長政の城であった小谷城には、バジリスクが住んで、琵琶湖に出て、人を襲っている。

 甲府にはサイクロプスの集団が降り、時折、関東平野に進出して、さんざんに土地を荒らし回っていく。

 未確認だが、岐阜城には黒竜ダークドラゴンがおり、周囲に猛毒を振りまいているとのことだ。

 九州や四国にも化物はおり、その数は増える一方らしい。

 人と魔の混在する世界に、僕は放り込まれた。よく今まで生き延びることができたと思う。素直に人との出会いには感謝したい。


「合戦はいつになりますかね」

「明日か、あさってか。どちらにしろ、そう先の事では……」

 そこで慶次郎さんは馬を止めて振り向いた。

 佐和山の上空でうごめいていたガーゴイルが動きを変えていた。ひとかたまりとなて、こちらに迫ってくる。さながら山が歩きはじめたかのようで、強い意志を感じる。

 数はどのぐらいか。一〇〇〇は超えているはずだ。

「なんと。明日でもあさってでもなかったな。気の早いことだ」

「そうですね」

 今日は終わりだと見たのは、とんでもない勘違いだったようだ。本番はこれかららしい。

 身体が一度だけ震える。

「怖いのか」

「はい。あれを見れば」

「実のところ、儂も怖い。このまま逃げ出してしまうかな」

 そう語る慶次郎さんの口元には、笑みがある。

 まったく戦国武者はこれだけから困る。言っていることとやりたいことが違いすぎる。

 実のところ、僕も興奮を抑えられない。先刻のは武者震いで、敵に挑みたいという思いは強くなる一方だ。ガーゴイルが数え切れないぐらい飛びかっているのに、己の力を試したくて仕方ない。

「おい、お前さん、口元が笑っているぞ」

「そんなことありませんよ」

 テンションがあがって、どうにもならなくなり、僕はつい思っていたことをそのまま口にしてしまった。


「あーあ、こんな時にチート能力があればな」

「ちーととは何だ? 前にもそんなことを言っていたな」

 まさか返事があるとは思わなかったので、僕は慌てた。

「すみません。余計なことを」

「だから、ちーととは何だと訊いておる」

「ああ、なんて言いますか……かいつまんで言えば、天下無双の力ですよ。光の球をぶつけて、一〇〇〇人、二〇〇〇人を一瞬で倒してしまうとか。人にはない知識で、相手の裏をかいたりするとか」

「何かよくわからんな」

「刀や槍だと、こう相手の動きを見きって、やられる前にやってしまうとかいうのもありますね。息を切らさずに二〇人ぐらい倒してしまうというのも。あとはどうですかね」

 自分の貧弱なイメージに情けなくなる。ゲームを知っていてくれれば、説明しやすいけれど、戦国時代ではどうしようもない。

 慶次郎さんはしばらく考えていたが、やがて僕を見て話を切り出した。

「他の者よりも抜きんでていればいいのか」

「とんでもなく突き抜けていれば。そんな力があれば、あの飛鬼が相手でも……」

 そこで、僕は馬を下げた。

 とんでもない殺気とともに、槍が飛んでくる。

 慶次郎さんだ。

 僕がかわすと、今度は馬を寄せて、頭上からに槍を振りおろす。

 僕は下がって、槍で受ける。重い一撃で、払いのけることができたのは奇跡だ。

 慶次郎さんは、まっすぐに僕を見ていた。

 その眼光は息を呑むほど鋭い。

 本気だ。

 やらなければ、間違いなくやられる。

 ならば……。

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