第九章 さらに五年後・孤立と病気

 さらに五年の歳月が過ぎました。


 マルコ王子は、母や祖母、侍女たちや家庭教師たちの愛に囲まれて、すくすくと育ちました。


 マルコ王子は、父・ピエトロ国王のことをよく知りませんでした。というのも、プライベートで会うことがほとんどなかったのです。マルコは、お父様がこの国の国王で自分が王子だということは知っていましたし、お父様の顔も、公の式典などのときに見て知ってはいましたが、お父様がどういう人なのか、優しいのか怖いのか、そういったことは全く知らないまま、五歳の誕生日を迎えていました。


 ピエトロ国王は、王子マルコに会いに行きたくても行けない状況にありました。王子マルコはずっとカテリーナ王妃の元にいました。ピエトロ国王とカテリーナ王妃との関係は、ほとんど断絶していました。


 加えて、ピエトロ国王は、王宮内でも、社交界でも、孤立していました。王宮内でも、社交界でも、扇の要の女主人として不動の地位を確立しているカテリーナ王妃と断絶するということは、すなわち孤立を意味するのでした。公に姿を現すときには努めて仲睦まじいお国王と王妃を演じてはいましたが、そんなメッキはすぐに見破られるものです。この頃はもう、王宮内も社交界も全体的に、常にカテリーナ王妃の味方になっていましたから、二人の関係が悪いと察するや否や、ピエトロ国王に何か落ち度があるに違いないとばかりに、あることないこと、様々な噂が飛び交って、ピエトロ国王は悪者にされてしまったのです。


 さらにまた、貴族たちの間では、ピエトロ国王は、一貫性のない・朝令暮改の・賄賂の好きな・あちこちにいい顔をしようとする・コウモリのような暗君として、悪名を轟かせていました。ピエトロ国王は、何も、賄賂を受け取るために政治をしていたわけではありません。ただ、舞踏会や夜会で、カテリーナ王妃と一緒に仲睦まじいふりをしているところへ貴族から頼みごとをされると、ノーと言えないだけだったのです。しかし、利害の対立する二方面の貴族から、別々のことを頼まれると困ってしまうのでした。形式上、両方の頼みを聞き入れたようにして、朝令暮改・もしくは朝三暮四のように申し訳程度の国王令を出すしかできませんでした。賄賂を受け取るつもりはありませんでしたが、頼みごとをしてきた貴族からは毎月、お菓子や織物や宝石といった高価な贈り物が届いてしまいました。


 そんな行き当たりばったりの政治をしていたものですから、そのせいで不利益を被った人々からは当然怨嗟の声が上がります。人間は、恩はすぐに忘れ、恨みはいつまでも憶えているものです。ピエトロ国王が政策方針をころころ変えれば変えただけ、一旦は感謝してくれていたはずの相手から恨みを買うことになり、いつの間にかピエトロ国王の周りは敵だらけになっていました。


 王子マルコが大きな病気もなく元気に育つにつれ、王位の交代を望む声が王宮内や社交界に広まっていきました。それと呼応するように、ピエトロ国王は体調を崩しがちになっていきました。最初は、ケホケホと咳が出るようになり、それから、慢性的な頭痛や発熱、食欲不振が表れるようになりました。


 これは、半分は、ストレスによるものだったのでしょう。何をやってもうまくいかないこと、自分が孤立していること、それをピエトロ国王は肌で感じ取っていましたから、そのストレスが体に表れてもおかしくはありません。


 しかしもう半分は、人為的なものでした。王宮付きの侍医が、弱い毒薬・致死性ではないものの体力を奪い病状を持続・悪化させる毒薬を、処方していたのです。最初こそ、ストレスからくる自然発生的な風邪だったのですが、その薬のせいで、ピエトロ国王の病状は少しずつ悪化していきました。その薬は周到にも、苦痛を和らげる薬と混ぜて処方されていましたから、薬そのものが原因だとは誰も気が付きませんでした。何せ、薬を飲んでしばらくは、咳も頭痛もぴたりと治まるのです。そして、二~三時間も経つと、まるで薬がただの気休めだったかのように、症状がまたぶり返すのでした。


 毒薬を出した実行犯は侍医でしたが、国王の身体を弱らせるというこの謀りごとを計画して命令を出したのは果たして誰だったのか、このお話を書いている私にもはっきりしたことは申し上げられません。仮にカテリーナ王妃様がそれを望んでおられたとしても、王妃様ご自身の口から命令を出されたわけではありません。侍医は侍医で、誰に命令を受けたわけでもなく、かといって自分一人の意思でもなく、忖度の結果の行動でした。つまり、王妃様がそれを望んでおられるだろうと察して、実行に移したのです。


 しかしまた、王妃様がそれを望んでおられたかどうかというのも、難しいところです。王妃様は、王宮や社交界の中心にいましたから、交流がある人々の望みや思惑には大変敏感でした。王宮内や社交界に渦巻く様々な思惑の最大公約数的な、一番バランスのいいところを、王妃様は常に望んでおられました。ですから、ピエトロ国王の身体を弱らせ、あわよくば……といったようなことを、仮にカテリーナ王妃様が望んでおられたとしても、それは、王妃様お一人だけの望みというわけでは決してないのです。誰が主謀者なのか私がはっきり申し上げられないのは、こういうわけなのです。


 カテリーナ王妃様は、様々な政府高官たちと、一対一で、あるいはごく少人数で、お茶をされることが多くなりました。そこでは、仮定の話で、もし仮にピエトロ国王の病気が最悪の結果をもたらしたら、そのあとは、だれがどのようにイニシアティブをとってマルコ王子・マルコ新国王を補佐していくことになるか、といったことが、話し合われました。もちろん、仮定の話です。カテリーナ王妃様は、政治の難しい話は分かりませんでしたが、力関係や利害関係を調整し、誰一人嫌な気分にさせずに丸く収めることにかけては、天才的な手腕を発揮されました。こうして、ベッドの上で一人苦しんでいるピエトロ国王をよそに、国王病死後の新体制は、つつがなく整っていったのでした。


 孤立し、周囲から見放されて病に苦しむピエトロ国王でしたが、ただ一つ救いがあるとすれば、侍女のアリスでした。国王付きの侍女や従僕たちは必要最低限のことしかせず、できるだけ国王から離れていたいとでもいうようにそそくさと国王の寝室から出ていくのが常でしたが、カテリーナ王妃様に仕えているはずのアリスのほうがむしろ、ピエトロ国王のそばについて何やかやと世話を焼いてくれるのでした。アリスは、他に誰もいないときは、相変わらず馴れ馴れしく、図々しい態度でしたが弱り切ったピエトロ国王にはそれがむしろありがたく感じられました。というのも、他の者たちときたら、まるで国王を人間扱いしないのです。上辺だけは慇懃に、しかしなるべく国王と口を利かずに済むように、最低限のことだけ済ませてさっさと部屋を出ていくのです。その点アリスは、言葉遣いこそ馴れ馴れしいものの、用のない時でもピエトロ国王のところへ顔を出してくれたり、ピエトロ国王が不安や苦しみを吐露するのを聞いては「考えすぎですよ、みんなそんな悪いことばっかり考えてませんて」などと宥めすかしてくれるのでした。


 アリスがピエトロ国王のところへ出入りしているのは、カテリーナ王妃様の指示でした。


「あの人は」王妃様は言いました、「わたくしのことは憎んでらっしゃるけれど、あなたには心を許しているわ。今、体も心も弱っているあの人のそばにいてあげられる人としては、アリス、あなたが一番適任だと思うの。どうかしら、頼まれてくれる?」


 アリスは一も二もなく喜んで引き受けたのでした。


 ピエトロ国王は他に心を開ける相手もいませんでしたから、アリスにベタベタに甘えました。病気の苦しみ、政務の愚痴、孤立の不安、ありとあらゆる泣き言を、アリスの前にぶちまけました。アリスは、聖母のような包容力で、それら全てをはいはいと聞き、受け入れました。


「聞いてくれアリス、侍女のエリザとフランチェスカ、いるだろう? あいつら、今日、私が寝ているすぐ近くで、箒で掃除を始めやがった! 信じられるか? この私が、咳で苦しんでいるその横でだぞ! わざと埃を立てて、私を早く死なせようというのだ! ゲホゲホ」

「そんなことないですよ、王様の考えすぎですってばー」


 アリスはいつでも、いかにも気さくに、中身のないふわふわしたことを言ってピエトロ国王を宥めました。


「熱でお身体が苦しい時は悪いほうへ悪いほうへ考えちゃうものですから。ほら、お薬飲みましょうねー」


 アリスはまだ、侍医の処方したこの薬が毒薬だと知らされていませんでした。苦痛を和らげる鎮静剤がちょうどよく調合されているせいで、薬を飲んでしばらくの間は症状が嘘のように治まり、ピエトロ国王の気分も落ち着いて、すやすやと眠りにつくこともあったのです。アリスはこれが体にいい薬だと信じて疑いもしませんでした。慈母のような笑顔で、かいがいしく、アリスは毒薬をピエトロ国王に飲ませてあげるのでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る