第七章 王妃懐妊

 ある日、リチア様からの届け物を持ってジョヴァンニがカテリーナ王妃の居室を訪れたときのことです。届け物は、こんどの大きな舞踏会で着るイブニングドレスでした。カテリーナ王妃は箱を開けて中身を確認すると、ジョヴァンニに「ここで少し待っててもらえる?」と言いおき、寝室のほうへ引っ込みました。


 ジョヴァンニが居室のソファで待っていると、奥の部屋からカテリーナ王妃が出てきました。薄紫色のサテン地のつややかなドレスで、袖はなく、肩から背中までが大胆に露出しているものでした。スカートの裾の下からは、シルバーラメの入ったパンプスが、控えめに輝きを主張していました。顔には軽く白粉をたたき、頬と唇は薄紅に染まっていました。髪こそ結い上げていないものの、それ以外はいますぐにでも舞踏会に出られるようなおめかしでした。


 ジョヴァンニは目を見開いて見とれてしまいました。ジョヴァンニは今まで舞踏会や夜会に出席したことはありませんでしたから、カテリーナ王妃の盛装姿をこんなに間近で見るのは初めてでした。


「どうかしら? 似合う?」


 カテリーナ王妃はくるりとその場で一回転しました。薄紫色のつややかなスカートと、まだ結っていないウェーブのかかった金髪が、ふわりと広がりました。


「きれいです、とても」


 ジョヴァンニはカテリーナ王妃から目をそらすこともできず、見とれていました。


 カテリーナ―王妃はジョヴァンニの反応に気をよくして、少しだけ歩み寄り、エスコートを待つように右手をちょこんと差し出しました。ジョヴァンニがこの手を取ってくれるかどうか、試してみたくなったのです。


 ジョヴァンニはすぐに意図を察し、カテリーナ王妃の目の前までつかつかと歩み出ました。そしてカテリーナ王妃の手を取り、言いました。


「美しいお嬢さん、僕と一曲踊ってくれますか」

「ええ、一曲と言わず、何曲でも」


 ジョヴァンニはカテリーナのことを、既婚の女性に対する「奥様」ではなく未婚の娘に呼びかける「お嬢さん」で呼びました。カテリーナは、かつて、ピエトロ王子の求愛に応えた時と全く同じ答えを返しました。こんな他愛のないごっこ遊びの中で、二人は、互いの想いを探り当てました。


 向かい合って立つと、もうジョヴァンニの背は、ヒールを履いたカテリーナと同じくらいになっていました。ジョヴァンニの目の前にはカテリーナの青い瞳がありました。ジョヴァンニの唇の前にはカテリーナの赤い唇がありました。


 ジョヴァンニはカテリーナに吸い寄せられるように、ぴったりと体を寄せようとしました。カテリーナは後ろのソファにしりもちをつくように倒れ込みました。ジョヴァンニはカテリーナの上から覆いかぶさるようにして抱きつこうとしましたが、カテリーナが人差し指をジョヴァンニの唇に当てて制止しました。


「いけないわ、大事なドレスがしわになってしまう」

「では」 ジョヴァンニは間髪入れずに返しました。「大事なドレスを着ているときでなければ、いいんですね?」


 カテリーナははっとして、何も言い返せませんでした。ジョヴァンニは再び右手を差し出し、カテリーナをソファから助け起こしました。カテリーナが立ち上がる勢いに合わせて、ジョヴァンニはカテリーナの唇にチュッと口づけをしました。カテリーナは動揺を隠すようにジョヴァンニの目の前を逃れ、戸棚からハンカチを取り出してきて、ジョヴァンニの唇についた紅を拭き取りながら


「もう戻りなさい、お母様が心配するわ」


 と、わざとそっけなく言いました。ジョヴァンニは悄然として襟を整え、部屋を出ていこうとしました。カテリーナはその背中に声を掛けました。


「またいつでも、来てちょうだい、用がなくても」


 ジョヴァンニは満面の笑みで振り返り、「はい!」と答えました。


 その日の晩、カテリーナ王妃は、侍女のアリスを呼びました。


「かゆいわ、かぶれてしまったみたい。外してちょうだい」


 カテリーナ王妃は、ピエトロ国王と互いに着用するという約束だったはずの貞操帯を、いとも簡単に、勝手に外してしまいました。


 


 カテリーナ王妃に月の巡りのものが来なくなりました。それを知っているのは、本人と、侍女のアリスだけでした。ピエトロ国王との夜伽は依然としてうまくいっていませんでしたから、王妃の胎に宿ったのが誰の子かは明白でした。


 二人は一計を案じました。国王との夜伽を成功させて、胎の子を、国王の子として産むことにしたのです。


 王妃は異国の香油を取り寄せました。男性の興奮を高める効果があると言われる香油です。


 日曜日の夜、王妃は香油を胸元と秘所に塗って国王を待ちました。寝室にはほのかに蠱惑的な香りが漂いました。


 アリスは、夜伽の前に、国王の貞操帯を外して陰部を清拭するときに、なるべく国王の興奮が、王妃を抱いたときに最高潮に達するようにうまく調整しながら、国王の性器に刺激を与えました。これは熟練の技巧が要求される難業でした。というのも、ただ性感を高めればいいというわけではないからです。事前に絶頂ギリギリまで高めてしまうと、国王が王妃の前に出るころには興奮の波は下り坂になってしまうのです。高め過ぎず、ちょうど少し物足りないもどかしいぐらいのところで、アリスはピエトロ国王の性器を刺激しました。


 アリスは、ピエトロ国王の身体が、どこをどう触ればどう反応するか、すみずみまで熟知していました。ピエトロ本人でさえ気づいていないところまで、アリスは知り尽くしていました。


 そうして、アリスにちょうどよく仕立てられたピエトロ国王は、王妃の寝室に入るや否や、その扇情的な香りに激しく興奮を催しました。王妃の様子もいつもと違いました。いつになく積極的に求め、愛してくれているように、ピエトロ国王には感じられました。国王は喜びに打ち震えながら王妃を抱きました。最初の舞踏会のときと同じくらいの昂揚と感動を、ピエトロは感じていました。


 王妃の思惑通り、夜伽はうまくいきました。国王は王妃の胎に、決して実るはずのない種を放ちました。


 王妃のお腹は月が巡るごとに大きくなりました。王妃懐妊の報せは瞬く間に駆け巡り、王宮中を沸かせました。

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