第四章 歪んだ夜の生活

 貞操帯を導入しても、二人の性生活はさほど改善しませんでした。それというのも、ピエトロ国王がカテリーナ王妃の前に出ると委縮してしまうという根本の原因が変わっていないからでした。貞操帯はピエトロの浮気を防ぎ、また手淫などによって無駄に子種を発散してしまうことも防いでいたので、彼は一週間ぶりに貞操帯を外すと、確かに前よりは敏感になりました。それでも、スカートをたくし上げて仰向けに横たわって見下すように冷たい視線を送ってくるカテリーナ王妃を見ると、ピエトロは気勢をそがれてしまうのでした。とくに、「今夜は月のめぐりがちょうどよい頃ですから、頑張って子を作りましょうね」などとプレッシャーをかけられるともう駄目でした。


 貞操帯の導入によって、ピエトロ国王の生活には少し余裕がなくなりました。今まで欲求不満がたまりすぎたときには手で慰めていたのですが、それができなくなったのです。国王は苛立ちやすくなり、側仕えの者を怒鳴ることがありました。以前は全くそんなことはなかったのです。カテリーナ王妃の寝室でしか貞操帯を外すことができなくて、しかし王妃の前に出ると委縮してしまうので、結果、どんな手段を持っても性欲を発散できない日々が続きました。


 そんなある日のことです。ピエトロ国王はその日も委縮したまま、カテリーナ王妃の寝室を退きました。侍女のアリスがついてきて、いつもだったら浴室で局部の清拭と貞操帯の着用を手伝ってくれるところなのですが、その日は、委縮した気分のままだったはずのピエトロ国王の局部が、侍女のアリスに綿で拭いてもらっているうちに、なんだか急に大きくなってきてしまいました。いえ、大きくなるだけならば、前にも何度かあったのですが、その日は、それが一向に収まりませんでした。それどころか、先っぽからは透明な汁がとめどなくあふれてきて、拭いても拭いてもきりがないのでした。


 侍女のアリスの様子も少し変でした。陰部を清潔に保つために清拭しているというよりも、なんだか、ピエトロが一番気持ちよく感じるような場所を探りながら刺激しているように思えたのです。拭いても拭いても先走りが溢れてくるせいで念入りに拭き取っているだけだったかもしれません。しかし、時折、先端から出た粘液を亀頭全体に塗り広げるような動きをしてみたり、人差し指と親指で輪っかを作ってカリ首から竿の根元まで絞るように動かしてみたりと、清拭だけが目的とは思えないような手の動きをすることがあるのでした。


 ピエトロ国王は不意に快楽の高まりを抑えられなくなりました。身体の奥から迸る熱がこみあげてきて、止められないと思いました。


 白いドロドロした液体が勢いよく飛び出て、アリスの手と胸のエプロンを汚しました。アリスは「きゃっ」と短く声を上げました。


「申し訳ございません、王様! このようなつもりはなかったのです、どうかお許しを」


 アリスは跪いて小さな声で許しを請いました。ピエトロ国王は快楽の余韻で膝が震えそうになるのを抑えながら、「気にしなくてよい」とだけ言いました。それでもアリスは恐縮して、跪いたまま動こうとしませんでした。


「顔を上げなさい、大丈夫、気にすることはないのだ」

「申し訳ございませんでした。あの、王様、このことは、どうか、カテリーナ王妃様には、ご内密にしていただけませんでしょうか」


 アリスの申し出は、ピエトロ国王にとっても願ってもないものでした。本人の前では全然役に立たない性器が、侍女のアリスに拭いてもらっているときに暴発したなどと知られては、気まずくて二度とカテリーナ王妃に合わせる顔がなくなってしまうところです。


「もちろんだ、わざわざ告げ口をするようなことはしない」

「あ、ありがとうございます! 寛大な御心に感謝いたします」


 その時は自分の過失を誠心誠意詫びるだけだった侍女のアリスでしたが、次の週末、また同じことをやりました。ピエトロ国王の性器を拭くとき、必要以上にねちっこく、性感を刺激するように、拭くのです。わざとなのか、どういうつもりなのか、やめさせたほうがいいのか、ピエトロ国王が逡巡しているうちに、アリスの手の動きはどんどんいやらしくなり、執拗に、ピエトロの余裕を奪っていきます。


 白い粘液が勢いよく飛び出したとき、アリスはもう驚きませんでした。慌てることもなく綿布でそれを受け止め、別の清潔な綿を取り出して、まだ敏感なピエトロの局部を念入りに拭きました。


「申し訳ございません、わたくしの不注意です。どうか、カテリーナ王妃様にはご内密にお願いいたします」

「う、うむ、気にしなくてよい」


 こんな調子で毎週日曜日、カテリーナ王妃の寝室を訪れた後に侍女のアリスに抜いてもらっているうちに、ピエトロ国王は、自分の中で主目的がすり替わってきていることに気づいていました。王妃の寝室を訪れるのは、氷の女王を抱いて拷問のような時間を過ごすためではなくて、それを我慢すればアリスに拭いてもらえるからだ、というふうに、知らず知らずのうちに主目的が変化してきてしまっていたのでした。


 アリスはアリスで、態度が少しずつ図々しくなってきました。最初はこの世の終わりみたいな顔で跪いて許しを請うていたというのに、一ヵ月も経った頃には、あからさまにしゅこしゅこと手を往復させながら、ピエトロの耳元で「王妃様にはナイショですよ」などと馴れ馴れしく囁くまでになったのです。ピエトロ国王はと言えば、一番弱いところを握られているせいで、アリス相手に強く出るわけにもいかず、流されるままになっていたのでした。


 ちょうどそのころ、義母リチア様の血縁の侯爵家で、三男を宮仕えの修行に出したいという話が持ち上がっていました。三男ともなると、家督相続も婿入りも難しく、せめて上流階級の教養を身につけさせるために小さいうちから王宮の空気に慣れさせようというのですが、宮仕えと言っても他のものと同じように働くわけではなく、要するにリチア様のお屋敷に客人として長期で泊まりに来る、という話なのでした。名はジョヴァンニ、年齢は九歳で、たいそう美しい少年らしいというもっぱらの評判でした。


 ジョヴァンニがリチア様のお屋敷にやってきた次の日、彼はリチア様に手を引かれてピエトロ国王とカテリーナ王妃に挨拶に来ました。


 サラサラの金髪に、透き通るようなグレーの瞳。ピエトロ国王とカテリーナ王妃は、ジョヴァンニを一目見ただけではっと息を呑みました。森の妖精が王宮に迷い込んできてしまったのかと思うほどに、奇跡的な美しさでした。はにかむように笑う口元からは、子供の歯の抜けたすき間がちらりと覗き、それさえも魅力を添えているようでした。


 舌足らずながらも優美で洗練されたしぐさで挨拶の口上を述べたジョヴァンニに対し、ピエトロ国王は、「向上心を持って励むように」と激励し、カテリーナ王妃は、「第二のあなたの家だと思ってくれていいのですよ」と歓迎の意を表しました。


 挨拶が済むとカテリーナ王妃は「王宮の中を案内してあげましょう」とジョヴァンニの手を取って歩き出しました。ジョヴァンニは一片の曇りもない笑顔でカテリーナ王妃についていきました。


 その日から、ジョヴァンニはカテリーナ王妃と一緒にいることが多くなりました。散歩をしたり、家庭教師代わりに古典語を教えてもらったり、詩を読んでもらったりしていました。ジョヴァンニはカテリーナ王妃によく懐きました。ピエトロ国王と二人のときには氷の女王のようなカテリーナ王妃も、ジョヴァンニの前ではお菓子の魔女のように甘い笑顔を見せるのでした。ピエトロ国王はそれを複雑な思いで眺めていました。まさか自分がジョヴァンニに嫉妬しているとは考えたくもありませんでした。


 ある日曜日の晩、ピエトロ国王がカテリーナ王妃の寝室を訪れると、ジョヴァンニが部屋にいて、王妃はジョヴァンニに英雄が船旅をする叙事詩を読み聞かせてあげているところでした。九歳の少年とはいえ、夜に、王妃の寝室に、男の子がいるということに、ピエトロ国王は動揺を隠せませんでした。


「こんな時間まで何をしているのか。もう夜だ。自分の部屋に戻りなさい」

「あら、いけない、ジョヴァンニとお勉強をするのが楽しくて、つい時間を忘れてしまいましたわ。続きはまた今度ね、ジョヴァンニ」


 カテリーナ王妃はさして気にした様子もなく、侍女のアリスを呼んで、ジョヴァンニをリチア様のお屋敷にある彼の部屋まで送るように言いつけました。アリスとジョヴァンニを見送って、カテリーナ王妃の寝室には二人残りました。


「さすがに度が過ぎるのではないでしょうか、カテリーナ」

「何がですの?」

「ジョヴァンニのことです。可愛がるにしても、夜に寝室で共に過ごすのは、王妃としていかがなものかと思いますが」

「自分の部屋で、親戚の子供の面倒を見るのが、そんなに問題でしょうか? わたくしはそうは思いませんわ。あなたがどうしてそこまでジョヴァンニを遠ざけたがるのか、わたくしにはわかりません」


 結局その日は、いつにもまして険悪な雰囲気になってしまい、夜の営みどころではありませんでした。侍女のアリスもジョヴァンニを送って行ってしまったため、アリスに抜いてもらうこともできませんでした。

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